初めての台湾
台北を起点に2月21日から4泊5日で、時計の反対周りに一周した旅
髙田忍
台湾は南北400Km、東西は広い所で144Km、北回帰線が通っている。その北は亜熱帯、南は熱帯地方である。バナナがよく取れる。
南北に3千メートル級の山脈が連なっている。その西、3分の一の所に人が住んでいる。東側は海岸に山が迫っている。人口は日本の5分の一、面積は10分の1、人口密度は2倍。
歴 史
もともと先住民が互いの交流がなく暮らしていた。先住民とは文字がない民族を言う。1600年代オランダ人が南部に上陸した。
その後、明や清の支配を受けた。1895年、日清戦争で日本が勝利し、下関条約が結ばれ総督府がおかれた。各地に学校が建てられ、日本語教育が行われた。一つの言葉が使われるようになった。社会生活基盤も整備された。このため、日本に対する悪感情は比較的少ないようだ。
この点、同じく学校建設や日本語教育をした朝鮮半島の人々が悪感情を未だに持っているのは、文字や共通の言葉が持っていたためではないかと思う。
終戦と同時に、日本統治は終り、中華民国の支配となった。毛沢東から逃れた蒋介石が台湾を統治するようになる。
蒋介石が台湾に逃れたとき、北京の紫禁城にあった秦時代からの財物を持ち込み保存したのが故宮博物館である。ここには天皇陛下が返却した屏風が展示されていた。秦始皇帝が国を統治するため、升と秤が展示されていた。
風 景
初日、車窓から外を眺めていると、田植え間近の水田の光景が印象に残った。左の東側に目を向けると富士山より高い3千メートル級の山々が連なる。
交通システム
道路はよく整備され、走行レーンの白線が鮮やかに引かれている。移動手段としてのバイクが目についた。自動車は、日本製が多く、他にFordやVW,ベンツが見られた。バイクは台湾メーカー、自動車は部品を輸入し組み立てが現地で行われている。
道路は右側通行であるが、鉄道は日本時代の方式が残り、左側通行になっている。
印象に残ったこと
路上にはバイクが整然と枠内に駐車していた。自動車は隙間の少なく縦列駐車をしている。
ガイドの説明によると、枠内に入れないと罰金が取られた。今では罰金はないが、整然と駐車する習慣が身に着いた。
言 葉
台湾では、日本や中国本土とは異なり、使われる漢字は略さない元の文字が使われている。例えば、広島は「廣島」と書く。「団」は口の中に「専」である。
意味が同じと思われる言葉
民宿、銀行、薬局、財団法人、厠、行李(旅行の荷物)
意味が異なるもの
汽車=自動車、単車(鉄馬、自行車)=自転車、新聞=ニュース
全く異なる言葉
公司=会社、郵局=郵便局、機車=バイク、便当=弁当
洗手間=トイレ、便所、停車場=駐車場
日本から逆輸入された言葉(明治時代、留学生が持ち帰った)
科学、哲学、文化、時間、経済、革命、銀行、人民、共和国
風 景
美しい景色の観光地を訪れた
太魯閣峡谷(大理石でできた峡谷)
三仙台
料 理
朝のバイキングを除いて、昼食、夕食ともツアーであるため、丸テーブルを囲んでの、コース料理であった。キャベツのサラダ、魚、肉料理に飯、汁が出され、最後に果物のデザートが出る。毎日、同じ内容で違いが判らなかった。帰国後、体重は1Kg減っていた。必ずビールを注文した。150~200台湾元。小瓶がなく、大瓶くらいの量があったが、アルコール度数が少ないためか、酔うことはなかった。
宗 教
道教とキリスト教
道教とキリスト教が主な宗教である。道教とは、古代中国の民間信仰(不老長寿や神仙思想を中心とした道教的信仰)に入り、色々な思想(道家、易、陰陽、五行)が複合して成立した。他にオランダ人が布教したキリスト教が信じられている。
神社とお寺
日本の神社の狛犬は阿吽(あうん)といわれるが、台湾の雄獅子(右)は阿のみ、左の雌獅子は子供を銜えているので声を出せない。
墓 地
土葬が多いが、最近は火葬が増えているそうだ。ガイドの説明によると、葬式は、にぎやかに行われるという。
町の中で
トイレ
台湾らしい光景