かいま見た中国
8月30日から9月4日まで初めて中国を旅行した。目的地は武陵源と桂林である。5泊6日であったが移動日が3日もある駆け足の旅であった。初日はCathay Pacificで関西空港から香港経由長沙まで飛んだ。直行便であれば4時間で行けるが、経由地での長い待ち時間があり9時間20分かかった。自宅からホテルまでは12時間以上となる。欧米に行くのとあまり変わらない。観光地は2日と3日目が武陵源、5日目が桂林であった。この間、感じたことを写真とともにまとめることにした。
1. 中国という国
人口は14億人、面積は日本の25倍もある。台湾を含む23の省の他に、チベットなど少数民族の自治区が5つある。一番人口が多い都市は重慶市で3050万人、次いで上海が2420万人、首都の北京は2150万人と続く。
2. 武陵源
武陵源は湖南省にある。湖南とは洞庭湖の南にあることから名づけられた。洞庭湖は琵琶湖の4倍程度の大きさで、広い中国の地図では、どこにあるのか見つけにくい。上海の西南西、香港の北を結んだ線が交差した辺りにある。洞庭湖から流れ出た水は長江(揚子江)に流れ出る。長江は北上し、やがて東に向きを変え上海にそそぐ。毛沢東はこの湖南省で生まれた。詩人李白も訪れている。
観光の一日目はテレビでも報じられたこともあるガラスの橋のある天門山である。荷物検査の後、パスポートの名前入りに入場券を照合を受けてロープウェイに乗るまでに約一時間、さらに30分以上もかかる長い(7455m)ロープウェイで山頂付近まで行く。中国の奥地だから標高も高いと思ったが、1000m程度であった。
下山は何度も長いエスカレーターに乗り換えた。そこには天門洞がある。さらにエスカレーターに乗ることもできたが、景色が見えるとの添乗員とガイドの勧めで、999段の階段を下りた。しかし、階段の幅が狭く足元を見ないで降りることは出来なかった。その上踊り場がないので休むこともできず一苦労であった。途中、振り返ると巨大な洞穴、天門洞が見える。
さらにシャトルバスに乗り換え、曲がりくねった道を猛スピードで町に下りた。
翌日は袁家界や天子山風景区をハイキングした。階段の昇り降りが多く疲れた。スティックを持って行けば良かったと悔やまれる。
360メートルの三菱製エレベーターで下山した。観光客を呼び寄せるためとはいえ、世界遺産にこのような人工物を設置するのがいいのか疑問に思った
3. 桂林
桂林は広西省チワン自治区にある。湖南省の南西、香港の北西方向にある。ベトナムに近い。
約3時間半の漓江川下りを楽しんだ。沿岸の特徴のある山には名前が付けられている。九頭の馬が見える岩山には「九馬画」と名づけられていた。かなりこじつけであった。似たような景色がどこまでも続いた。途中、水上生活者の村などを通過した。
4. 鉄道と道路
長沙から桂林迄は中国高速鉄道に乗った。現地ガイドは高速鉄道のことを新幹線と称した。日本の技術によることを認めているようであった。乗車賃は三時間半の距離を二等車で179.5元(約3000円)と極めて安い。
広い待合室には優先座席が置かれている。何本もあるホームへは飛行機と同じように発車時間に近づくまで入れない。飛行機の優先搭乗のように優先改札が認められ、その中には軍人が含まれていた。軍人は災害時などに役に立つ人という説明であった。
座席は1列に5席があり番号は1A、1B、通路を挟んでC,D,Eと新幹線と同じである。最高時速304キロを出していた。広い中国で直線の線路を敷くことが出来るからだと思う。
日本の新幹線と異なるのは、乗車券に旅券番号と氏名が記載されること、改札に先立ちパスポートと荷物検査が行われることである。飛行機に搭乗する場合と同じである。ガイドからハサミや爪切りは車内に持ち込むことが許されず没収されると聞いていた。直ぐに取り出せるようショルダーバッグに入れていたが検出されず通過できた。
乗客の中に召集された兵士が赤い大きなリボンを付けて乗っていた。
招集さ
ガイドの説明によると、少数民族が住む地域を発展させるために今後も建設が進められているという。現在の総延長距離は約8万キロである。乗客数が増加しているため、2階の列車を開発中だそうだ。それにしても、すれ違う列車の本数は少なかった。日本のように4分おきに走らせるシステムは出来ていないようだ。
5. 道路
中国の自動車販売台数は最近伸びが鈍っているが、2019年2800万台の販売が予想されている。アメリカより多い世界最大の自動車国である。自動車が多いため高速道路が整備され、分離帯には百日紅などの木が植えられている。
日本車も多く見かけた。故障しないため人気があるそうだ。写真はサービスエーリアの駐車場で撮影した。前の2台、その後方の2台も日本車であった。
高速道路の案内標識は中国語と英語の表記がされていた。英語の場合、日本では固有名詞の後に、例えば「橋」のことを「Hashi」とローマ字で書かれていることが多い。中国では「Bridge」となっていて外国人にとって、親切な表記である。日本と同じように車間を表す0m、50m、100mの標識があった。もしかすると日本の仕組みを採用したのかもしれない。運転マナーはウィンカーを出さないで急に車線変更し、車間距離も短い。その注意の看板が目についた。
長沙は湖南省の州都で人口は950万人である。経済が豊かな都市であるためかバイクはあまり見かけなかった。
ウィンカーを出さないで頻繁に車線変更する車があり運転マナーは良くない。バスの運転手は追い越しの時、警報音を出して知らせていたが煩く感じた。
しかし広西チワン自治区の少数民族が多く住む桂林では、経済格差がありバイクが群れを成して走っていた。車道は自動車とバイクは分離されている。環境保護のためほとんどが電動バイクだそうだ。中には後ろに子供、前に赤ん坊を抱きかかえて3人乗りのバイクを見かけた。ヘルメットの着用は義務付けられていないようだ。
6. ホテル
5泊の内、長沙で一泊、武陵源のある張家界と桂林でそれぞれ2泊した。いずれも高級ホテルで快適に過ごすことが出来た。施設は威容を誇るように大きなものであった。
外国を旅行して困ることの一つがバッテッリーの充電である。国によってコンセントの形状が異なるので、色々な種類のアダプターを携行する必要がある。しかし、中国ではどのホテルでも複数の種類の差し込み口や写真のような延長コードが置かれていた。
部屋のテレビは、中国製はなく韓国やヨーロッパのPhilip製であった。トイレ、風呂は日本のTOTO製であった。どのホテルにも体重計とペットボトルの水が置かれていた。
普通、机の中には聖書が置かれていることが多いが、張家界のホテルには赤い表紙の中華人民共和国憲法が置かれていた。
桂林のホテルではロビーを会場にして結婚式の披露宴が行われていた。招待客の服装は、親族以外は平服でもよく、中にはTシャツに半ズボンの男性やジーンズ姿の女性がいた。職場から駆け付けるためだとのガイドの説明であった。
7.食事
ツアーの参加者は60歳以上の8名で、一つのテーブルを囲んで中華料理を食べることが多かった。地域によって料理には特徴があるという。土家族の住む張家界ではお椀にご飯とスープを入れる猫飯であった。桂林では米の粉で作ったビーフンが特徴である。ビーフンは秦の始皇帝の時代からの伝統料理だという。
張家界の少数民族が経営するレストランでは入り口で歓迎を意味する酒がふるまわれた。テーブルに着くと代表者が店から出された酒を飲み干すことが求められた。
正直のところ、連日の中華料理には飽きてくる。鶏肉や魚は骨付きで食べにくい。日本で中華料理というと炒飯、焼きソバであるが、色々なものを混ぜるのは料理とは言えないそうだ。食器の扱いも荒く欠けているものが多かった。添乗員が持参したふりかけは美味しく頂いた。
ビールの価格は銘柄品の青島、地ビールのいずれも中瓶で30元(約500円)とほぼ日本並みの価格である。統制価格かと思うほど、どこでも同じ価格であった。
7. 文字
中国は建国後、簡体文字を使うになった。日本の当用漢字のように簡略化された。「国」のように同じ文字を使う場合もあれば、「機」が「机」になっていたりする。しかし、おおよその見当がついた。同じ文字でも「小心」は心が小さいではなく、「気を付けよ」の意味である。英語が併記されているので意味が分る。
入口と出口は日本語と同じである。トイレは「洗手間」「公共ヱ生間」となっていた。「ヱ」は「衛」の簡体字である。関空から乗ったリムジンバスは後方にあるトイレのことを「厠所」としていたが、中国でこの言葉を見かけたことはない。
男女別の英語表記は男性がMale,女性Femaleとしているところが多かった。
最終日に宝物の博物館を訪れた。二枚の看板が掛かっていた。前には「藝術」、後方には「藝朮」となっている。日本では「藝」を「芸」に簡略化したが、反対に中国では、難しい「藝」を残し「術」を「朮」にしている。
8. お金と支払い
中国のお金の単位は元である。8月30日の関西空港での両替レートは1元が16.43円であった。人民元安と円高の効果であった。100元、50元、10元のお札が渡された。中国国内で買い物した時、お釣に1元、5元のお札が渡された。日本やアメリカ、ヨーロッパのようにコインがあるのかわからない。
しかし、現在の中国では現金が使われることはなく、ほとんどスマホ決済である。およそ7割の人がスマホで支払っているという。関空行きのリムジンバスの切符を買う時現金で支払い、紙の切符を受け取った。長沙の空港の市内行きのバス停には、行先ごとのQRコードの案内板があった。かなり進んでいるようだ。
9. 発展する中国
至る所で建物や道路が建設されている光景を見た。すでに経済力は米国に次ぐ世界二位である。ますます発展する力強さを感じた。初めて見た長沙の町は高層建物が立ち並び30年以上前に見たアメリカのニューヨークかと思うほどであった。
今年で建国70周年になる。至る所に政治スローガンが書かれていた。
一番よく目についたのが社会主義価値観である。富強、民主、文明、和諧
など十二の言葉が並ぶ。小学生が覚えるそうだ。右の富強以下の四つは国家、真中の自由以下は社会、最後の愛国以下は公民(国民)の価値観である。国家目標が富強というと明治政府の富国強兵政策を思い出させる。
日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。
10. その反面
発展する中で、環境問題が気になった。毎日、曇り空の日が続いたが、同じ曇りでも日本とは違って、どんよりと靄が掛かっていた。高層ビルの写真からも分かる。
人々は親子の会話でも大声でする。店では売り子がマイクを付けて呼び込む。観光地ではガイドがマイクを使って大きな声で説明をする。とにかく、どこへ行っても騒々しい。
タバコの場所は指定されているが守られていない。トイレは煙草の煙で充満し臭い。高速道路のサービスエーリア(服務区)には下の写真の貼り紙があった。バスの運転手はガソリンスタンドでタバコの吸い殻を捨てた。
禁止吸煙、禁止随地吐痰など
ガイドに「痰、唾を吐くな」の注意書きを見たというと、これはアフリカから来た人に対するものだとムキになって反論した。それでも、ゴミが散らかっているという印象はなかったが、シェア自転車が沢山放置されている印象を受けた。
中国は革命後10数年を経った頃、革命の成果で、「ハエ一匹いなくなった」とのニュースが伝えられた。それから、70年経った今年、クルーズ船の中でも蠅が飛んでいた。
しかし、国が豊かになると清潔で衛生的な国に発展し、人々のマナーも改善されるのではないかと思う。とはいえ、至る所に政治スローガンが溢れ、行く先々でパスポート、名前入り入場券と荷物検査をされると監視社会を旅行しているようで息苦しい。
11. その他ガイドの説明
長沙では65歳以上には無料のバス乗車券が配布される。老人が空調の効いたバスに乗り一日を過ごす。
以前は、役人に賄賂が必要であったが、今は一掃する運動が行われている。
さいごに桂林の女性ガイド李さんが語った言葉が印象的であった。中国は5千年の歴史がある。10数年間の日本との不幸な歴史に拘っていては、国は発展しない。
髙田 忍(2019,9,8)