関西ぶらり歴史散歩
最近訪れた関西の風景を写真でたどることにした。
兵庫:生野銀山
かつて銀で栄えた生野を訪れた。その日はイベントがあり、クラシックカーが展示されていた。三輪車から日本の産業の復興が始まった。
街には古い医者の建物が残っている。診察室の天井である。
江戸時代は天領で徳川幕府が支配していたが、明治には宮内庁が管理し、後に三菱に払い下げられた。鉱山の入口でフランス人の設計である。
採掘された銀の鉱石はこの道を通って播磨の港まで運ばれ船積みされた。
大阪:淀屋橋界隈
淀屋橋は江戸時代の豪商、淀屋に因んで名づけられた。写真は橋の上から北浜方面を撮ったで、かつては両岸に蔵屋敷が並び天下の台所として賑わった。
淀屋橋界隈には歴史的建造物が残されている。「友の会」の定例会の会場にもなる大阪市中央公会堂もその一つである。明治の株式仲買人岩本栄之助の寄付によって建てられたもので、来年で100年になる。
三階の特別室には日本神話の天井画が描かれている。
この付近には近代的なビルに並んで日本家屋が残っている。写真は幼稚園である。
付近には緒方洪庵の適塾もある。ここで日本の近代医学が始まった。
奈良:纏向遺跡と箸墓古墳
「まきむくいせき」と「はしはかこふん」と読む。纏向遺跡は三世紀に邪馬台国があったとされる場所である。近畿各地のみならず関東、東海、中国地方の土器が出土し古い日本の首都であったと考えられている。
纏向遺跡の近くには卑弥呼の墓という説のある箸墓古墳がある。前方後円墳の始まりである。
写真では木が生い茂っているが、当時は葺石という石で覆われていた。
この地域には多くの古墳がある。山の尾根を利用して造られたので、その向きは一定しない。前方後円墳の後円に葬られた大王の頭は常に北の方角に向いている。
滋賀:大溝城と清水山城
近江には信長が築いた水城が四つある。大溝城はその一つで、当時この地を支配していた浅井長政を討った後に築かれた。JR湖西線近江高島駅の東側にある。
この付近はかつて勝野津という港があり交通の要衝であった。万葉集にも歌われている。
珍しいものを見た。写真はサイフォンを利用した上水道である。太いパイプが山から引いた湧水を流し込むもので、細いパイプで各家庭へ送られる。今も使われている。
商人が住んでいた町である。道に真中に溝が流れている珍しい光景が残っている。
清水山城は鎌倉時代にこの地を支配した佐々木氏の城であった。戦国時代になって湖北と湖西高島を支配していた浅井長政の最後の砦となった山城である。攻め寄せる信長軍と戦わずして一日で落城した。
石垣はなく土塁であった。
主郭からは琵琶湖が一望できる。正面は伊吹山でその左に浅井長政の居城小谷城があった。