富士山とダイヤモンドプリンセス号

富士山とダイヤモンドプリンセス号


2月5日、日本医療研究開発機構の主催による「AMED再生医療公開シンポジウム」に参加するために上京した。会場は品川にあるTKPガーデンシティーであった。
参加申し込みと同時に往復の格安航空券を購入した。冬の太平洋岸は天気が良いので、上空から富士山の写真を撮影しようと考え、行きは左側、帰りは右側の窓側の席を予約した。
伊丹空港を離陸すると急に左旋回をする。かねて撮影したいと思っていた昆陽池(伊丹市)が目に入った。近くにはかつて勤務した工場がある。池には日本列島を模した島がある(画面右下)。

昆陽池(伊丹市)池に日本列島を模した島

昆陽池(伊丹市)池に日本列島を模した島



飛行機はやがて紀伊半島を通過し、名古屋上空に差し掛かった。はるか前方に富士山が浮かんだ。

横浜港上空に美しい富士山

横浜港上空に美しい富士山

伊豆半島を超え三浦半島に差し掛かると左に旋回、東京湾を北上し着陸態勢に入った。横浜港の上空に差しかかった頃、再び美しい富士山が見え何枚も撮影した。数日経って、画面を良く見ると左下に大きな船が写っている。形から見て、クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」であることに気付いた。貴重な写真ではないかと思う。

海上左側にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」

海上左側にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」

翌2月6日も天気が良かった。大阪行きは少し山側の航路を飛ぶ。富士山の火口が見え、その上の方には南アルプスの山々が雪に覆われていた。

富士山の火口の向こうに南アルプスの山々が雪に覆われていた

富士山の火口の向こうに南アルプスの山々が雪に覆われていた



伊丹空港からモノレールに乗り阪急に乗り換えようとした時である。携帯に電話がかかった。

大学時代の友人T君からである。「どこからかけていると思う?」「クルーズ船からでしょう」。彼は一年に何回もクルーズの旅をしている。ニュースを聞きながら「もしかして」の予感が的中した。感染しないで早期に下船できることを祈る。


高田忍(2020,02,10)

NPO法人役員変更マニュアル

特定非営利活動法人(NPO法人)の役員変更の手続

 

はじめに

NPO法人の組織運営は定款の規定に従って行われる。定款には役員の任期が2年と規定されている。再任は妨げないとの但し書きがついている。任期の最終日に一旦退任し、新たに就任することを意味する。

透明性を持って組織運営するためには、原則として、規定に沿った手続きを行う必要がある。以下はNPO法人黄斑変性友の会が、発足後二年目に行った役員の変更手続きである。手続きには内部手続きと外部手続きがある。

 

[Ⅰ]内部手続き

1.総会

役員の選任は定款の規定に従って、総会の議決が必要である。

総会は会員の半数以上の出席をもって成立します。出席には委任状による出席を含める。そのため、事前に総会の招集通知を出し、出席できない会員から委任状の提出を求める必要がある。

総会が終了後、議事録を作成する。

議事録に記述する事項は以下のとおりである。(総会議事録の様式はP4)

1)開催年月日及び時間

2)開催場所

3)出席会員数(委任状)、正会員数

4)議長の選任

5)議事

  議事には1号議案として理事の選任、2号議案として議事録署名人の選任

  選任された理事について再任、新任、氏名、住所を記載する。

 

2.理事会

理事会では理事長、副理事長の選定を行う。

総会で選任された理事で理事会を開催する。

<開催日時>

*理事が全員重任の場合

予選が可能なので、総会後(今回の場合なら12/2の総会開催後に、12/31の任期満了を待たず)に理事会を開くことができる。

*理事に1名でも変更があった場合

予選は出来ないので、任期が開始されて以降となる。具体的に、例えば前の任期が12月31日に終了していれば、任期の開始は1月1日です。理事会は1月1日以降の早い時期の行うことが望ましい(理事長・副理事長が不在となるため)が、いつまでにという規定はない。

その後、議事録を作成する。議事録の形式は総会議事録と変わらない。

(1)開催日時と時間

(2)場所(建物名、会議室名、所在地)

(3)理事総数と出席理事数(出席した理事の氏名を記載する)

(4)審議事項(理事長、副理事長の選定)

(5)議事の経過の概要及び議決結果(議長名、署名者を記載)

議案:理事長、副理事長の選定の件と記載し、役職名と氏名を記録する。

(6)理事長(当法人の理事会の場合は議長)の印鑑は、(個人の印鑑ではなく)法人の代表印を押印すれば、他の議事録署名人は認印で良く、実印・印鑑証明は省略できる。

 

 

[Ⅱ]外部手続き

この結果を受けて、登録している自治体への報告と法務局への登記変更申請をする必要がある。

1.自治体(大阪市)への届(役員に変更が無くても2年に1度)

提出書類は3つです。

(1)役員等変更届書

(2)役員名簿(氏名と住所)

(3)就任承諾書と誓約書(新任の役員が所定用紙に署名捺印する。再任の場合は不要)及び住民票

市の担当者はその場で提出書類をチェックします。新任の理事については、住民票の住所と一致しているか確認する。全て形式的な確認のみで受理される。

 

大阪市の手続きは以下のホームページに掲載されている。

https://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000209173.html#02

 

2.法務局への登記変更申請(理事長に変更が無くても2年に1度)

提出書類は4つです。

(1)変更登記申請書(P5参照)

            登記内容は理事長の退任と就任である。

            登記すべき事項に次の事項を記入

        退任年月日 退任

        住所

        氏名

       就任年月日 就任

       住所

       氏名

(2)総会議事録

(3)理事会議事録

(4)定款(最後に自筆で「これは現行定款と相違ありません。」と書き、法人名と理事長の署名捺印をする。割り印)

法務省のホームページには、このほか就任承諾書や印鑑証明が記載されているが必要ない。

窓口は受付番号を押すだけで書類を受領します。不備がある時は、時間をおいて電話で指摘を受ける。今回は、登録した印と押印した印が異なるとの指摘を受けた。会の名称変更をしたとき,改印の手続きをしていなかった。そのため、改めて改印届を提出した。改印届には、団体の印の他に、代表者の実印、印鑑登録証明が必要である。

訂正の後、数日して登記事項証明を受け取ることが出来る。

全て形式的な書面上の確認が行われるだけで、実際に総会や理事会が開催された事実の確証を求められることはない。

 

役員変更登記の手続きは法務省のホームページに掲載されている。

http://houmukyoku.moj.go.jp/homu/COMMERCE_11-1.html#anchor4-3

 

[Ⅲ]事実経過

2019年 

       11月27日       提出した書類(事業報告)の不備を指摘されたため、

                                      大阪市役所 市民局NPO担当を訪問。

                                    役員の任期が12月末で終了との指摘を受け、提出

                                       書類の様式を受け取った。

          直ちに、現理事に再任承諾を求める書状発信。

       12月    2日   大阪市中央公会堂で定例会開催

                                   (議事録では総会とした)

       12月5~7日  現理事6名の内、5名が再任承諾。

2020年 

  1月8日    二水会開催(議事録では理事会)とした。

                                     出席した女性会員4名に口頭で就任要請した。

                                     内3名が承諾、他に女性(東京在住)男性

                                  (京都在住)に要請した所、女性(東京)

                                    承諾した。

         性別、地域のバランスを考慮して選定。

  1月24日        大阪市に役員変更届書を提出。

                                     一部の地名に記入漏れがあったので、手書きで

                                   修正。(最初の法人登録時には、誤字(ヶとケ)

         に対して再提出を求められた)

  1月28日  総会議事録、理事会議事録に署名捺印を依頼(星野さん、

                                     末田さんを訪問)。

  1月29日  午前10時30分、法務局に登記変更申請提出した。

                                     午後4時頃、代表者印が登録印と異なるとの電話

                                     連絡あり。

  1月31日  改印届と本人印鑑証明書を提出し、手続きはすべて完了した。

ミステリーツアー

ミステリーツアー

 1月14日から二泊三日のミステリーツアーに参加した。ミステリーツアーとは予め目的地が分らないツアーのことをいう。とはいえ、おおよその予想をすることはできる。冬の東北と予想した。
 集合は午前7時5分伊丹空港であった。予想した通り仙台行きのANAに乗った。薄曇りであったが富士山を見ることが出来た。写真は山梨県の上空から撮影したものである。右下に光るのが富士五湖の一つである。富士山の向こうに光っているのは、太平洋である。

富士山

富士山


 仙台空港でバスに乗り換えた。バスは東北自動車道を北へ進み、盛岡ICで一般道に入った。秋田県に入った。行先は田沢湖からさらに北の山中にはいった「乳頭温泉郷にある大釜温泉」であった。廃校になった小学校に温泉があった。

廃校になった小学校に温泉

廃校になった小学校に温泉

 ここから、駒ヶ岳を見ることが出来た。

駒ヶ岳

駒ヶ岳

 温泉に入った後、元来た道を戻り岩手県盛岡市の郊外にある「つなぎ温泉」のホテルに泊まった。
 二日目、バスは7時30分に出発した。再び東北自動車道に入り北上する。鹿角ICで出て、一般道を南下した。この頃、雲一つない天気に変わっていた。田園地帯を通り抜け、やがて山の中に入る。青空を背景にした湯煙の光景は美しかった。

田園地帯

田園地帯

青空を背景にした湯煙の光景

青空を背景にした湯煙の光景

 

 朝から温泉に入った。後生掛温泉という。

後生掛温泉

後生掛温泉

 下山の途中、「死の雪中行軍」で知られる「八甲田山」が見えた。

八甲田山

八甲田山



 昼食は鹿角市内の道の駅で秋田県特産の「きりたんぽ鍋」を食べた。この付近には小坂という町がある。かつて鉱山の栄えた町である。明治時代に建てられた芝居小屋を見学した。従業員とその家族のための娯楽施設である。

芝居小屋

芝居小屋

舞台

舞台


 回り舞台の下に入り、八人がかりで回した。意外と軽く回る

回り舞台

回り舞台


 その後、「瀬戸内寂聴」も訪れたという「新安比温泉」に入った。バスは「当方自動車道」を南下、石川啄木や宮沢賢治の生誕地を通過し、南花巻温泉に宿泊した。結局、この日は四回も温泉に入ったことになる。写真は車窓から見た岩手山である。

岩手山

岩手山



 翌日、花巻空港からJALに乗った。新潟上空と通過し名古屋まで南下、方向を西に替えた。鈴鹿山脈上空から琵琶湖を撮影することが出来た。画面の中ほどの山は観音寺城跡と思われる。琵琶湖の先にはうっすらと比良山系の山が霞んで見える。今年は雪が見られない。

琵琶湖

琵琶湖


 ミステリーツアーとはいえ、過去に何度も通ったことのある道を行ったり来たりする。今回も目新しいものといえば芝居小屋くらいであった。やはり目的地は初めからはっきりわかっていた方が良いいと思う旅であった。

(2020,1,21 髙田 忍)

「患者・家族のための災害対策ハンドブック」

「患者・家族のための災害対策ハンドブック」

2019年10月29日(火)開催された製薬協セミナーで熊本難病・疾病団体協議会から患者とその家族のために有用な「災害ハンドブック」の説明が有りそのハンドブックを掲載します。

pdfファイル→熊本難病・疾病団体協議会「患者・家族のための災害対策ハンドブック」

上記pdfファイルをクリックすると、画面が一旦ファイル表示画面に切り替わります。さらにその画面をクリックするとファイルが開くようになっております。ご注意下さい。

 

バルト三国旅行記

バルト三国旅行記

 11月18日から25日までフィンランド、バルト三国、ワルシャワのツアーに参加した。


 Thank You、Hankyuの後呂合わせで39万89百円の往復ビジネスクラスであった。安いだけのことはあった。寒くて暗いという印象しか残らない。そのうえ、早朝にホテルを出発し、数百キロバスで移動、訪問先の町は夕暮れ迫る中を駆け足で回るという物で決して快適という物ではない。食べ物も見た目は悪く味もいまひとつであった。


 それでも見知らぬ土地を訪ねるのは新しい発見があって楽しいものである。


1. バルト三国?


 バルト三国という名前を知っていたとしても、地図上のどこにあるのか。ましてや三つの国の名前をいえる人は少ないのではないだろうか。首都の名前に至ってはなおさらである。隣国の外交官がバルカン三国というくらいだから知名度は低い。


 国の名前を知っていたとしても、北からどのような配置になっているか。


 場所はロシアの西の端、北から五十音順にエストニア、ラトビア、リトアニアと並んでいる。人口は南の方に行くほど多くなる。豊かさは北が豊かで南へ行くほど貧しくなる。エストニアの人口は愛媛県と同じくらい132万人しかない。人種、言葉はエストニアが他の二カ国と異なる。


 三国とも国旗は三色旗、その色に意味を持たせている。ヨーロッパに三色旗の国が多いのは16世紀には国旗を制定していたオランダをまねたといわれている。いずれの国もEUとNATOに加盟し、通貨はユーロである。かつては国境に検問所が設けられてたが、現在は自由に行き来することが出来、検問所の跡が残っている。センゲン条約に加盟しているからである。センゲンとは条約が締結された町の名前に由来する。


 いずれにしても、日本の県くらいの大きさで、一つの国を構成している。ワルシャワのホテルで見たBBC放送の天気予報では登場しない国である。

バルト三国

バルト三国

2. 冬のヨーロッパ


 冬の北ヨーロッパは暗くて寒い。日の出が8時半、日の入りが午後3時半、そのうえ空は毎日雲で覆われていたため、一日中鬱陶しい。
ヘルシンキからエストニアに向かう船、午前10時頃撮影したが曇り空で薄暗い。



 エストニアの首都タリン、旧市街を望む、その先に海がある。


 道路わきの風景は、北から南に進むにつれ少しずつ変わる。エストニアでは白樺林が多く見られたが、次第に赤松の林に変わり、やがて広い野菜畑になる。



 三国を結ぶ道路は直線、片側一車線、暗いので昼間もライトをつけている。

 ようやく明かりが見えたのは杉浦千畝記念館を訪れた5日目、なんだか象徴的。1940年8月にポーランドから押し寄せたユダヤ人がかすかな光を見たのではないだろうか。



 午後1時頃の太陽の高さである。



 冬とはいえ花屋が目立った。ワルシャワ市内ではハボタンの寄せ植えが街路にかざられていた。



 同じワルシャワ市内で、街路樹の普段桜が満開であった。



 冬といえばクリスマス市、広場にツリーが飾られ店が並ぶ。寒さで防寒用の帽子を買った。15ユーロ。

3. ヨーロッパならではのこと


 日本と違う点は、どの小さな町でも城壁で守られていることである。小さな門と城壁がセットになっている。そして広場がある。道は石畳で歩きにくい。

 キリスト教会が沢山ある。プロテスタント系は質素でポルトガルで見た金銀をちりばめるようなことはない。ロシア正教は玉葱型である。十字架の下の方にある月はイスラムを表しジュ、十字軍が勝ったことを意味する。


 水はガス入とガスなしがある。ガス入りはSparkling、ガスなしはStillと表示されている。1.7ユーロ、約200円で日本より高い。


 町で見かけた派手な救急車。クロスした三本の青い線に中に蛇と杖が書かれている。スターオブライフというシンボルマークはアメリカが赤十字と区別するために1973年に考え出したもので、その後世界に広まった。日本の救急車にも使われている。蛇と杖は古代神話に由来する。

4. 杉浦千畝記念館


 杉浦千畝は、ドイツに侵攻されされポーランドから逃れてきたユダヤ人1600人に命のヴィザを発給した。家族を含めると6000人の命が救われた。リトアニアもソ連が侵攻し領事館は退去を求められていた緊迫した状態の中であった。


 ヴィザには滞在期間は拾日限りで敦賀上陸と書かれている。それまで薄暗いヨーロッパであったが、この日は日が出て少し光が見えた。79年前を象徴するようであった。



 記念館の門には「希望の館、命のヴィザ」と書かれている。


 ユダヤ人はこの駅から列車に乗って、シベリヤ経由で敦賀に向かった。シベリヤを通過するのに2週間かかったと館内の説明に書かれていた。

 

5.ワルシャワ

 ポーランドは3回目、ワルシャワは2回目、ほぼ20年ぶりである。当時はソ連の支配から解放されて10年経ちNATOに加盟した年だが、ソ連の雰囲気が色濃く残っていた。目立つ建物といえばスターリンが建てた高い建物であった。他にもごつごつとしたアパートが立ち並んでいた。

 今は文化科学館となっている。30階の展望台に上った。夕方の曇り空で視界はよくなかった。20年も経つとすっかり近代的な街に変わり、高層ビルが林立していた。

 

 

 

 ポーランドといえば、地動説をとなえたコペルニクス、放射線でノーベル賞を二度も受賞したキューリー夫人、作曲家ショパンである。

ショパン博物館には、自筆の楽譜やピアノが展示されていた。

 

ショパン博物館

ショパン博物館

ショパン自筆の楽譜

ショパン自筆の楽譜

ショパン使用のピアノ

ショパン使用のピアノ

 ショパンの心臓が葬られている聖十字架教会。

聖十字架教会

聖十字架教会

 キューリー夫人博物館

キューリー夫人博物館

キューリー夫人博物館

 

 日本語を話すガイドはしきりに蜂起という言葉を口にした。ある時はドイツに、ある時はロシアになった歴史がある。ワルシャワは第二次大戦で壊滅的被害を受けたが、戦後旧市街は瓦礫を集めて修復された。そのため例外的に世界遺産に指定されている。20年前とほとんど変わっていない。

 ここも城壁がある。

 

6.町で見かけた日本語

 フィンランド:ヘルシンキのホテルの隣 北海道寿司

 ヤクザという名前のすし屋(ラトビア)には驚いた。

 同じくラトビアの町の中でみた茶道の文字、何のためかよくわからない。

 現地語に並んで日本語が並んでいる。

教 会の中で、他の外国語に並んで日本語の小さな紙きれの案内が置かれていた。

 リトアニアのリネンの店に八女茶が売られていた。

 ワルシャワ市内の看板、琥珀の店でカタカナでアンバーと書かれていた。

 エストニアの首都タリンの市庁舎前の駐車場。トヨタが三台並んで駐車。日本車はどこでも見かけた。トヨタのタクシーもあった。

 最後はヘルシンキ空港内のラーメン屋。空港の中も日本語の案内表示があった。

 ヘルシンキへは最短ルートで9時間の飛行、便利な空港である。フィンエアー機内のモニターでは機外に付けられたカメラで外の様子が写される。これを見ていると退屈しない。

障害者手帳と交通機関の割引

障害者手帳と交通機関の割引

1.身体障害者手帳申請方法

  (1)市区町村の窓口で「身体障害者診断書・意見書」用紙を受け取る

  (2)病院に「身体障害者診断書・意見書」の記入を依頼する

  (3)市区町村の窓口に必要書類を提出する

  (4)書面等で判定結果が通知される

  (5)通知が届いたら、市区町村役所に行き手帳の交付を受ける

2.さまざまなサービス

  ・医療費の軽減 ・税金の軽減 ・交通機関の割引 ・補装具の交付など

 

3.自動券売機について

 障害者用の切符を自動券売機買う時、統一されておらず鉄道各社によって,押すボタンが異なります。

 関西の私鉄各社は「障害者マーク」です。

 近鉄は左に「障害者割引」の文字があります。京阪は障害者マークの下に「わりびき」 の文字です。大阪メトロは「福祉」の表示です。

近鉄

近鉄

京阪

京阪

阪急

阪急

大阪メトロ

大阪メトロ

 

 駅員から尋(たず)ねられた場合は、障害者手帳を見せてください。

 

 JR各社と関東地方の小田急、相鉄、京王、横浜地下鉄のいずれも子供ボタンを押します。  

      

JR西日本

JR西日本

JR東日本

JR東日本

写真は、東京、大阪、京都の会員の方の協力で撮影したものです。

 

 

抗VEGF薬の注射について

 抗VEGF薬の注射について

抗VEGF薬、なぜ注射?

抗VEGF薬の一つであるバイエル薬品のアイリーアは血管内皮増殖因子との優れた結合親和性を持つ薬剤創出目的に、ヒト免疫黒グリン(Ig)G1のFcドメインにヒトVEGF受容体(VEGFR)の細胞外ドメインを結合した「遺伝子組み換え融合糖タンパク質」から作られています。タンパク質は一般的に分子構造が大きいため、点眼では患部に散布できないので注射による投与がされている。

 専門的なことを知りたい方は下記にアクセスしてください。

https://pharma-navi.bayer.jp/omr/online/product_material/EYL_PUG_201808200_153472

 

眼球注射針穿刺位置

角膜輪部(黒目(角膜)と白目(結膜)の境目)から4mm程度の位置です。 ※虹彩根部と網膜を避けた位置。位置は、青マーク箇所あたりとなります。

注射針穿刺位置 正面

注射針穿刺位置 正面

注射の深さ

注射の深さ

注射の深さ

注射薬剤の量

アイリーア薬剤の量は投与液量0.05ml(アイリーア薬物量2mg

注射針の太さ

注射針は30ゲージの注射針が使われる。太さは0.31±0.02mmである。(大体ハガキの紙厚程度の直径)

参考までに採血に使われる注射針は21Gで太さは0.81±0.02mmである。

 

眼科を受診するときの心得

眼科を受診するときの心得

1. 加齢黄斑変性のチェック

加齢黄斑変性は「失明の怖れ」という言葉が枕詞のようにつく眼の病気です。そのため、早期発見早期治療が大切といわれています。早期に発見する方法は、片目で格子状のものを見ることです。一般にはアムスラーチャートで薦められていますが、一般家庭にあるわけではありません。障子の桟や台所のタイルでもチェックできます。

アムスラーチャート

アムスラーチャート

障子

障子

タイル

タイル

 

中央がかすんで見えるとか、障子の桟が歪んで見える場合は加齢黄斑変性の可能性があります。その場合は、直ちに眼科医の診察を受けましょう。

アムスラーチャート見え方

アムスラーチャート見え方

 

2. 眼科医の選定

どこの眼科医で診察と治療を受けるか。眼科医を選ぶにあたっては、インターネットで「加齢黄斑変性症の治療件数」で検索し、通院に便利な病院を選ぶ方法があります。あるいは、とりあえず近くの眼科医を訪ね、検査設備の整った病院を紹介してもらう方法もあります。ただし、白内障の治療件数などの実績の宣伝をしているところは避けた方がいいと思います。混雑していて待ち時間が長い所があります。

3.眼科医を受診する時

眼科医を訪ねるときは車を避け、公共交通機関を利用しましょう。出来れば家族の付き添いがあると安心です。なぜなら、受診した日に抗VEGF薬の注射をした後、眼帯をしなければならいからです。注射しない場合でも、検査のために瞳孔を開く眼薬を点すからです。

医師には、いつ頃からどのような症状(見え方)であったかをまとめておき的確に伝えることが大切です。

医師の患者に対する持ち時間は限られており、診察の時思い出しながら伝えるのでなく事前に伝えたい現在の症状など整理の上メモ書きしすべて的確に伝える患者側の努力がよりよい治療を受ける手立てになります。

4.検査について

医師が加齢黄斑変性の疑いがあると判断したときは、視力検査と眼圧検査の後に眼底検査、蛍光眼底造影、光干渉断層計検査などを行います。

視力検査は、誰でも経験があります。丸い輪のどの部分が空いているかを見えた通り答える自覚検査です。上下、左右で答えます。判断しにくい場合でも、一瞬目をつぶり開けた時に分かることがあります(涙が不足すると見えにくくなるため涙を補う)。リングがぼやけて見えていても大体空いている方向が分かればそれを答えます。視力検査の後、瞳孔を開く眼薬(散瞳剤)が点眼され、お薬が効くおおよそ20分後に眼底検査が行われます。

ランドルト環

ランドルト環

(1)眼底検査

眼底検査は赤い点を見つめながら行われます。かなりまぶしい検査です。瞬きしないようにと注意をされます。この検査では網膜の状態、特に黄斑を見ます。出血や血液中の水分が漏れて溜まっていないか、網膜がむくんでいないか、それらの原因になっている脈絡膜新生血管がないか、などを調べます。ただし眼底検査だけでは、新生血管の位置、大きさ、活動性を確定することはできません。

(2)蛍光眼底検査

診断確定と治療方針を決めるためには、蛍光眼底造影がとても大切です。造影剤を腕の静脈から注射し、造影剤が血液中を流れて眼内の新生血管に入ったときに写真を撮り、新生血管の位置や大きさ、活動性を調べます。造影剤にアレルギーがあったり、血圧が高いなど、造影剤が好ましくない病気がある場合には、この検査はできません。

そのため、承諾書にサインを求められます。

(3)OCT(光干渉断層計)検査

OCT(光干渉断層計)検査は赤い縦と横の線を見つめます。線は点滅しますが、多少の瞬きは問題ないようです。これは、眼底の断面を調べる断層検査です。新生血管の有無や形、大きさ、新生血管と中心窩との位置関係、網膜のむくみなどもわかります。数分で検査でき、造影剤も使いません。

萎縮型は進行がゆっくりで、治療法がないので、蛍光眼底造影や光干渉断層計を行わないこともあります。

5.治療方法

「萎縮型」の治療

治療は必要ないといわれています。ただし、「滲出型」に移行して急激に視力が低下することがあるので、定期的な検診が必要です。

「滲出型」の治療

抗VEGF療法という新生血管を沈静化させる薬を硝子体内に注射する方法が一般的です。

眼球注射の場面

駐車しているところ

注射針穿刺位置 正面

注射針穿刺位置 正面

注射の深さ

注射の深さ

抗VEGF薬にはノバルティスファーマ社の「ルセンティス」とバイエル薬品の「アイリーア」があります。医療費はアイリーアの方が少し安いようです。医師はいずれかを選択して治療しますが、その理由を聞きましょう。

どんな病気でも、自分の病気の状態をよく知ることが大切です。内科で血液検査を受けたらそのデータをもらいます。それと同じように、眼科で検査を受けたら、眼底写真や断層写真をもらい、アルバムに貼っておくと症状の経過や治療の効果が確認できます。写真は医療機関によって有料のところもありますが。それほど高いものではありません。

カラー写真が眼底写真で、モノクロが断層写真です。眼底写真では、赤い部分が減っていることが一目瞭然で分かります。医師によっては、赤い部分や青い部分の質問をすると親切に説明してくれることがあります。医師とは、対等の立場で積極的に質問し納得した治療を受けたいものです。

OCT(光干渉断層計)検査

OCT(光干渉断層計)検査1

OCT(光干渉断層計)検査2

OCT(光干渉断層計)検査2

その他にも、光に反応する薬剤を体内に注射し、それが新生血管に到達したときに弱いレーザーを照射し新生血管を破壊する「光線力学的療法」、新生血管をレーザーで焼く「光凝固法」などの新生血管を破壊することで黄斑へのダメージを食い止める外科的治療もあります。

光線力学療法の場合は、一泊入院の治療になるようです。抗VEGF薬の注射と光線力学療法が併用される場合もあります。

 

先進的な治療法としてiPS細胞の臨床研究が行われています。2019年4月に、理化学研究所で2017年から行われてきた5人の患者に対する臨床研究で安全性が確認されたとの発表がありました。実用化の日が来ることが期待されています。

iPS細胞治療原理

iPS細胞治療原理

6.診察と治療を終えて

抗VEGF薬の医療費は3割負担の場合、4万数千円、一割負担は一万数千円です。光線力学的療法の場合は十数万円かかります。

ただし高齢者の場合、高額療養費の自己負担限度額が定められています。必ずしも上記の額を窓口で支払うわけではありません。2019年8月の場合、一割負担の一般の人は、個人で18000円、所帯全体で57600円です。

領収書は必ず保管しておきましょう。一年間に支払った医療費が10万円を超える場合、確定申告すれば医療費控除の対象になります。タクシー代も控除対象になる場合があります。

抗VEGF薬の注射をした場合は、眼帯を付けるので足元が見えにくく、家族の付き添いがあると助かります。眼帯は翌日の朝まで着用し、感染予防のため三日間目薬を点します。

7.最後に

タバコは絶対に避けましょう。食べ物は緑黄色野菜を食べるとよいといわれています。これらにはルテインという成分が含まれています。黄斑部にあるルテインは、抗酸化作用やブルーライトの光を吸収するフィルターとなって私たちの目を守っています。

緑黄色野菜

緑黄色野菜

サプリメント(栄養補助食品)も、個人差がありますが効果があるといわれています。食物だけでは十分なルテインを摂取することが出来ません。これを補うために、サプリメントを飲んだ人は、飲んでいない人よりも加齢黄斑変性の発症率が少なく、病気の進行も25%抑えられたという報告があります。

(2019,11,11 髙田 忍)

かいま見た中国

かいま見た中国


8月30日から9月4日まで初めて中国を旅行した。目的地は武陵源と桂林である。5泊6日であったが移動日が3日もある駆け足の旅であった。初日はCathay Pacificで関西空港から香港経由長沙まで飛んだ。直行便であれば4時間で行けるが、経由地での長い待ち時間があり9時間20分かかった。自宅からホテルまでは12時間以上となる。欧米に行くのとあまり変わらない。観光地は2日と3日目が武陵源、5日目が桂林であった。この間、感じたことを写真とともにまとめることにした。


1. 中国という国
人口は14億人、面積は日本の25倍もある。台湾を含む23の省の他に、チベットなど少数民族の自治区が5つある。一番人口が多い都市は重慶市で3050万人、次いで上海が2420万人、首都の北京は2150万人と続く。


2. 武陵源
武陵源は湖南省にある。湖南とは洞庭湖の南にあることから名づけられた。洞庭湖は琵琶湖の4倍程度の大きさで、広い中国の地図では、どこにあるのか見つけにくい。上海の西南西、香港の北を結んだ線が交差した辺りにある。洞庭湖から流れ出た水は長江(揚子江)に流れ出る。長江は北上し、やがて東に向きを変え上海にそそぐ。毛沢東はこの湖南省で生まれた。詩人李白も訪れている。
観光の一日目はテレビでも報じられたこともあるガラスの橋のある天門山である。荷物検査の後、パスポートの名前入りに入場券を照合を受けてロープウェイに乗るまでに約一時間、さらに30分以上もかかる長い(7455m)ロープウェイで山頂付近まで行く。中国の奥地だから標高も高いと思ったが、1000m程度であった。



ガラスの橋を渡る時は、傷がつかないよう靴にカバーをした。

 

ガラスの橋

ガラスの橋

      
下山は何度も長いエスカレーターに乗り換えた。そこには天門洞がある。さらにエスカレーターに乗ることもできたが、景色が見えるとの添乗員とガイドの勧めで、999段の階段を下りた。しかし、階段の幅が狭く足元を見ないで降りることは出来なかった。その上踊り場がないので休むこともできず一苦労であった。途中、振り返ると巨大な洞穴、天門洞が見える。

長いエスカレーター

長いエスカレーター  

999段の階段、後方は天門洞

999段の階段、後方は天門洞


さらにシャトルバスに乗り換え、曲がりくねった道を猛スピードで町に下りた。

翌日は袁家界や天子山風景区をハイキングした。階段の昇り降りが多く疲れた。スティックを持って行けば良かったと悔やまれる。

360メートルの三菱製エレベーターで下山した。観光客を呼び寄せるためとはいえ、世界遺産にこのような人工物を設置するのがいいのか疑問に思った

エレベータ(岩山の四角い物)

エレベータ(岩山の四角い物)


3. 桂林
桂林は広西省チワン自治区にある。湖南省の南西、香港の北西方向にある。ベトナムに近い。
約3時間半の漓江川下りを楽しんだ。沿岸の特徴のある山には名前が付けられている。九頭の馬が見える岩山には「九馬画」と名づけられていた。かなりこじつけであった。似たような景色がどこまでも続いた。途中、水上生活者の村などを通過した。

川下り

川下り

九馬画

九馬画

水上生活者の村

水上生活者の村

                    
4. 鉄道と道路
長沙から桂林迄は中国高速鉄道に乗った。現地ガイドは高速鉄道のことを新幹線と称した。日本の技術によることを認めているようであった。乗車賃は三時間半の距離を二等車で179.5元(約3000円)と極めて安い。
広い待合室には優先座席が置かれている。何本もあるホームへは飛行機と同じように発車時間に近づくまで入れない。飛行機の優先搭乗のように優先改札が認められ、その中には軍人が含まれていた。軍人は災害時などに役に立つ人という説明であった。

広いコンコース

広いコンコース

愛心専座(専用座席)

愛心専座(専用座席)

専用通道(老、幼、病、孕、?、軍人)

専用通道(老、幼、病、孕、?、軍人)

      

座席は1列に5席があり番号は1A、1B、通路を挟んでC,D,Eと新幹線と同じである。最高時速304キロを出していた。広い中国で直線の線路を敷くことが出来るからだと思う。

時速304km

時速304km

 

日本の新幹線と異なるのは、乗車券に旅券番号と氏名が記載されること、改札に先立ちパスポートと荷物検査が行われることである。飛行機に搭乗する場合と同じである。ガイドからハサミや爪切りは車内に持ち込むことが許されず没収されると聞いていた。直ぐに取り出せるようショルダーバッグに入れていたが検出されず通過できた。
乗客の中に召集された兵士が赤い大きなリボンを付けて乗っていた。

名前入り乗車券

名前入り乗車券



             招集さ

招集された兵士

招集された兵士

ガイドの説明によると、少数民族が住む地域を発展させるために今後も建設が進められているという。現在の総延長距離は約8万キロである。乗客数が増加しているため、2階の列車を開発中だそうだ。それにしても、すれ違う列車の本数は少なかった。日本のように4分おきに走らせるシステムは出来ていないようだ。

来年開業予定(長沙―張家界)

来年開業予定(長沙―張家界)



5. 道路
中国の自動車販売台数は最近伸びが鈍っているが、2019年2800万台の販売が予想されている。アメリカより多い世界最大の自動車国である。自動車が多いため高速道路が整備され、分離帯には百日紅などの木が植えられている。

日本車も多く見かけた。故障しないため人気があるそうだ。写真はサービスエーリアの駐車場で撮影した。前の2台、その後方の2台も日本車であった。


高速道路の案内標識は中国語と英語の表記がされていた。英語の場合、日本では固有名詞の後に、例えば「橋」のことを「Hashi」とローマ字で書かれていることが多い。中国では「Bridge」となっていて外国人にとって、親切な表記である。日本と同じように車間を表す0m、50m、100mの標識があった。もしかすると日本の仕組みを採用したのかもしれない。運転マナーはウィンカーを出さないで急に車線変更し、車間距離も短い。その注意の看板が目についた。

短い車間距離 

短い車間距離

追尾危険 保持車間

追尾危険 保持車間

長沙は湖南省の州都で人口は950万人である。経済が豊かな都市であるためかバイクはあまり見かけなかった。
ウィンカーを出さないで頻繁に車線変更する車があり運転マナーは良くない。バスの運転手は追い越しの時、警報音を出して知らせていたが煩く感じた。
しかし広西チワン自治区の少数民族が多く住む桂林では、経済格差がありバイクが群れを成して走っていた。車道は自動車とバイクは分離されている。環境保護のためほとんどが電動バイクだそうだ。中には後ろに子供、前に赤ん坊を抱きかかえて3人乗りのバイクを見かけた。ヘルメットの着用は義務付けられていないようだ。



       

群れをなすバイク

群れをなすバイク

三人乗り(男性、子供、女性)

三人乗り(男性、子供、女性)

6. ホテル
5泊の内、長沙で一泊、武陵源のある張家界と桂林でそれぞれ2泊した。いずれも高級ホテルで快適に過ごすことが出来た。施設は威容を誇るように大きなものであった。

広いロビー

広いロビー         

充電用アダプター

充電用アダプター


外国を旅行して困ることの一つがバッテッリーの充電である。国によってコンセントの形状が異なるので、色々な種類のアダプターを携行する必要がある。しかし、中国ではどのホテルでも複数の種類の差し込み口や写真のような延長コードが置かれていた。
部屋のテレビは、中国製はなく韓国やヨーロッパのPhilip製であった。トイレ、風呂は日本のTOTO製であった。どのホテルにも体重計とペットボトルの水が置かれていた。
普通、机の中には聖書が置かれていることが多いが、張家界のホテルには赤い表紙の中華人民共和国憲法が置かれていた。
桂林のホテルではロビーを会場にして結婚式の披露宴が行われていた。招待客の服装は、親族以外は平服でもよく、中にはTシャツに半ズボンの男性やジーンズ姿の女性がいた。職場から駆け付けるためだとのガイドの説明であった。

結婚式披露宴会場

結婚式披露宴会場


7.食事
ツアーの参加者は60歳以上の8名で、一つのテーブルを囲んで中華料理を食べることが多かった。地域によって料理には特徴があるという。土家族の住む張家界ではお椀にご飯とスープを入れる猫飯であった。桂林では米の粉で作ったビーフンが特徴である。ビーフンは秦の始皇帝の時代からの伝統料理だという。
張家界の少数民族が経営するレストランでは入り口で歓迎を意味する酒がふるまわれた。テーブルに着くと代表者が店から出された酒を飲み干すことが求められた。
正直のところ、連日の中華料理には飽きてくる。鶏肉や魚は骨付きで食べにくい。日本で中華料理というと炒飯、焼きソバであるが、色々なものを混ぜるのは料理とは言えないそうだ。食器の扱いも荒く欠けているものが多かった。添乗員が持参したふりかけは美味しく頂いた。
ビールの価格は銘柄品の青島、地ビールのいずれも中瓶で30元(約500円)とほぼ日本並みの価格である。統制価格かと思うほど、どこでも同じ価格であった。

プラスチックのビール用コップ

プラスチックのビール用コップ

火鍋料理

火鍋料理

7. 文字
中国は建国後、簡体文字を使うになった。日本の当用漢字のように簡略化された。「国」のように同じ文字を使う場合もあれば、「機」が「机」になっていたりする。しかし、おおよその見当がついた。同じ文字でも「小心」は心が小さいではなく、「気を付けよ」の意味である。英語が併記されているので意味が分る。
入口と出口は日本語と同じである。トイレは「洗手間」「公共ヱ生間」となっていた。「ヱ」は「衛」の簡体字である。関空から乗ったリムジンバスは後方にあるトイレのことを「厠所」としていたが、中国でこの言葉を見かけたことはない。
男女別の英語表記は男性がMale,女性Femaleとしているところが多かった。

 

公共ヱ生間(公衆トイレ)

公共ヱ生間(公衆トイレ)


最終日に宝物の博物館を訪れた。二枚の看板が掛かっていた。前には「藝術」、後方には「藝朮」となっている。日本では「藝」を「芸」に簡略化したが、反対に中国では、難しい「藝」を残し「術」を「朮」にしている。

8. お金と支払い
中国のお金の単位は元である。8月30日の関西空港での両替レートは1元が16.43円であった。人民元安と円高の効果であった。100元、50元、10元のお札が渡された。中国国内で買い物した時、お釣に1元、5元のお札が渡された。日本やアメリカ、ヨーロッパのようにコインがあるのかわからない。
しかし、現在の中国では現金が使われることはなく、ほとんどスマホ決済である。およそ7割の人がスマホで支払っているという。関空行きのリムジンバスの切符を買う時現金で支払い、紙の切符を受け取った。長沙の空港の市内行きのバス停には、行先ごとのQRコードの案内板があった。かなり進んでいるようだ。

行先別QRコード

行先別QRコード


9. 発展する中国
至る所で建物や道路が建設されている光景を見た。すでに経済力は米国に次ぐ世界二位である。ますます発展する力強さを感じた。初めて見た長沙の町は高層建物が立ち並び30年以上前に見たアメリカのニューヨークかと思うほどであった。

長沙のホテル客室から 

長沙のホテル客室から

長沙郊外

長沙郊外

今年で建国70周年になる。至る所に政治スローガンが書かれていた。
一番よく目についたのが社会主義価値観である。富強、民主、文明、和諧
など十二の言葉が並ぶ。小学生が覚えるそうだ。右の富強以下の四つは国家、真中の自由以下は社会、最後の愛国以下は公民(国民)の価値観である。国家目標が富強というと明治政府の富国強兵政策を思い出させる。

日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。

日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。


日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。


10. その反面
発展する中で、環境問題が気になった。毎日、曇り空の日が続いたが、同じ曇りでも日本とは違って、どんよりと靄が掛かっていた。高層ビルの写真からも分かる。
人々は親子の会話でも大声でする。店では売り子がマイクを付けて呼び込む。観光地ではガイドがマイクを使って大きな声で説明をする。とにかく、どこへ行っても騒々しい。
タバコの場所は指定されているが守られていない。トイレは煙草の煙で充満し臭い。高速道路のサービスエーリア(服務区)には下の写真の貼り紙があった。バスの運転手はガソリンスタンドでタバコの吸い殻を捨てた。

ガソリンスタンドで喫煙

ガソリンスタンドで喫煙

禁止吸煙、禁止随地吐痰など

禁止吸煙、禁止随地吐痰など

ガイドに「痰、唾を吐くな」の注意書きを見たというと、これはアフリカから来た人に対するものだとムキになって反論した。それでも、ゴミが散らかっているという印象はなかったが、シェア自転車が沢山放置されている印象を受けた。

中国は革命後10数年を経った頃、革命の成果で、「ハエ一匹いなくなった」とのニュースが伝えられた。それから、70年経った今年、クルーズ船の中でも蠅が飛んでいた。
しかし、国が豊かになると清潔で衛生的な国に発展し、人々のマナーも改善されるのではないかと思う。とはいえ、至る所に政治スローガンが溢れ、行く先々でパスポート、名前入り入場券と荷物検査をされると監視社会を旅行しているようで息苦しい。


11. その他ガイドの説明
長沙では65歳以上には無料のバス乗車券が配布される。老人が空調の効いたバスに乗り一日を過ごす。
以前は、役人に賄賂が必要であったが、今は一掃する運動が行われている。

さいごに桂林の女性ガイド李さんが語った言葉が印象的であった。中国は5千年の歴史がある。10数年間の日本との不幸な歴史に拘っていては、国は発展しない。
髙田 忍(2019,9,8)

名称変更について思うこと

名称変更について思うこと

多彩な人材

 2015年10月、主に関西在住の会員20数名で発足した関西黄斑変性友の会は、活動内容の充実が充実し、中でもホームページによる日常的な情報発信を務めてきた結果、グーグル検索のトップに掲載されるようになった。

 特に抗VEGF薬の注射で手術している写真はこれまでに約4万件のアクセスがあった。患者やその家族だけでなく医療関係者も閲覧されているようで、その紹介で入会する人もいる。その結果6月10日現在の会員数は73名となった。「病気は人を選ばず」で全国から多彩な人材を会員に迎えるようになり、当会の貴重な財産となった。(8月26日現在79名)

抗VEGF薬の注射で手術している写真

 このように会員が全国に広がってきた状況を考えると、会の名称の「関西」は地域団体の印象を与える。むしろ、関西ではiPS細胞から作った網膜細胞を移植するなどの先進的な臨床研究が行われている。関西こそ全国の中心ではないかとの思いから、「NPO法人黄斑変性友の会」に変更することに決定した。

 6月10日臨時総会を行った。会員総数の過半数を超える55名(委任状を含む)の出席があり、満場一致で賛同を得た。ただし課題も残った。実際に出席した人数はわずか21名で、過去の出席数と比べると下から二番目に少ない人数であった。また、返信用はがきに切手を貼っていたにも関わらず出欠の回答のない人が11名もいたことであった。定例会をより魅力的にするなどの工夫が必要かもしれない。

 

役所の仕事

 法人名を変更するについて、3月に大阪市役所のNPO法人担当に手続きを聞きに行った。係の人から70ページ(付属ページを含めると82ページ)もある「特定非営利活動法人(NPO法人)運営の手引き」という冊子を手渡された。

 臨時総会の数日前に、用意した申請書類のチェックを受けるためた窓口を訪れ、確認することにした。会の名称は定款の第一条に規定されているので、定款の変更手続きをすればいいと考え、「定款変更届書」(第6号様式)に変更内容と理由を記載し、「議事録」と「変更後の定款」を添えて持参した。

 ところが、「名称変更」の場合は、「定款変更認証申請書」(第5号様式)が正しい手続きであるとの指摘を受けた。どちらも、書類に記入する内容は変更内容と変更理由のみで同じであるにもかかわらず、異なる書類を用いる仕組みになっている。

 総会の翌日、窓口を訪れ書類を提出した。すると、窓口にああ現れた女性係員が開口一番「予約しましたか」との応対である。それならば、事前に「予約をとってから来るように」といえばいいのに、役所とはこんなものか。

 お役所の仕事は事前に丁寧に説明すればいいのに、いつも後から問題を指摘する。

 一応書類を預かってくれたが、代表者の印は個人印ではなく、法人印であるとの指摘を受けた。たしかに70ページに及ぶ説明書には「法務局に届けた印」と書かれていた。しかし、申請する書類にも「法人印」との記載があれば、迷わずに済むではないか。

この法人印も、山梨県の会員の方に無料で作って頂いた。多彩な人材は何物にも代えがたい当会の貴重な財産である。

 もっとも、議事録には署名・押印するようにと注意が書かれていたが、実際は自筆ではなく予め印字したものを提出した所、受理された。規則と異なるではないか!

 翌日、法人印を押印した書類を再提出した。市役所には結局4回も足を運んだ。

 

たのんまっせ、市長さん

 申請書類の選択や記入方法、押印する印鑑の間違いは私だけではあるまいと思う。市役所の係員は、間違いの傾向を把握しているはずである。申請者には、70ページの冊子を渡すときに、注意すべきポイントにマーカーで示して説明するくらいの親切心が欲しいと思う。

 民間会社であれば、事務改善の提案制度があり、優秀な提案には報奨金が支払われ、日夜改善の努力をしている。お役所には改善という意識はないのだろうか。

 大阪府と大阪市の一体化が検討されているが、市民に身近な書類の一体化を提案したい。書類の具体的な一体化の案を示します。参考にしてください。

具体的な一体化の案

具体的な一体化の案

 それにしても気がかりなことが一つある。府と市が一体化された場合、大阪市のNPO法人はどうなるのだろうか。新たに申請が必要になるのだろうか。。。

 

認証から登記変更届まで

 6月11日、臨時総会の翌日に提出した定款変更認証申請書は一か月間の閲覧期間を経て、ほぼ2カ月後の8月19日に認証された。翌20日に市役所で認証書を受け取り、大阪谷町二丁目にある大阪法務局へ変更登記するために訪れたた。相談窓口の女性に、登記変更のために必要な書類は何かと質問した。女性は、そのような相談は予約が必要だという。訪問した時間は午前11時30分で、予約できたのは2時間後の午後1時30分であった。

 質問の内容は簡単であるから、その場で答えられるはずである。2時間も待つわけにはいかない。予約をキャンセルし、自宅に戻り法務省のホームページで調べると「名称変更」の用紙をダウンロードした。添付書類として、市役所の認証書、総会議事録、定款の三つが必要であることが分かった。

 このような基本的な手続きは、窓口で説明できるようにしてほしいし、そうでなければ説明書の閲覧が出来るようにしてほしい。民間がこのような対応をすれば、お客は離れていくと思う。

 翌日、受付窓口に行くと添付書類は全て原本が必要という。一応受理されたが、総会議事録の原本は市役所に提出してある。市役所から原本を借り受け、法務局に再提出した。すべての手続きが終わったのは8月27日である。

 ところがその場で登記事項証明書をもらえるわけではない。翌日の28日であった。結局法務局へは4回も足を運んだ。

 これですべて完了というわけではない。市役所に「登記事項証明書提出書」という書類を市役所に、登記事項証明書とその写しを添えて提出する。これは郵送でもよい。

 とにかくお役所の仕事は手間がかかるものである。