花の旅(4月2日~4日、東京と静岡)

花の旅(4月2日~4日、東京と静岡)

 

靖国神社の標本木

初めて靖国神社を訪れた。参拝が目的ではない。桜の標本木を見るためである。4月2日のことである。この日、気象庁は東京の桜の満開宣言を出した。3月の寒さのせいか全国的に開花が遅れたが、今年一番早く桜の開花宣言出されたのは東京で3月21日のことであった。開花宣言は気象庁が標本木を観察して出される。桜の種類によって開花時期は異なるのでソメイヨシノを標本にする。東京は靖国神社、大阪は大阪城の西の丸庭園のように、都道府県ごとに決まっている。多くの場合、各地の地方気象台にある桜である。

4月2日は日曜日と重なり、多くの人で靖国神社は混雑していた。

 

 

境内には、他にも沢山の桜が咲いていたが、目にとまったのは幹の根元から咲いている花びらであった。その生命力に感心した。

 

九段坂と千鳥ヶ淵

 靖国神社界隈の通りには街路樹として桜が植えられている。バスの中から花見をしていると、突然スカイツリーが飛び込んできたので思わずシャッターを切った。

 

千鳥ヶ淵にの桜も咲き揃い、多くの花見客で賑わっていた。

 

六義園(りくぎえん)

 続いて向かったのは六義園である。関西ではあまり知られていないが、多くの人が入場券を求めて長蛇の列を作っていた。六義園は五代将軍徳川綱吉の信任厚かった柳沢吉保が築いた庭園で、明治になって三菱の岩崎弥太郎の別邸になった。JR駒込駅近くにあり、東京に、こんな広い空間が残っていることに驚いた。

 

桜は一本の枝垂桜だけで、そこに花見客が群がりカメラに収めていた。翌日の朝、NHKが現場中継をしていた、

園内にはさつきも植えられていた。ひと月後には、楽しませてくれるであろう。スミレが咲き始めていて、春の訪れを感じさせた。

 

 

椿山荘(ちんざんそう) 

一度は訪れたいと思っていたのが椿山荘である。萩出身の藤田伝三郎が事業を起こした藤田観光が経営しているホテルの庭園である。同じ萩出身の山縣有朋公の庭園であった。一万五千坪の庭園に5千本の樹木が記が植えられている。その名の通り椿が100種類、1000本も植えられている。椿はシーズンが終わりに近づきつつあった。

園内には樹齢500年という椎の木が神木として祭られていた。

桜はいずれも満開を迎えていた。園通閣という三重塔と並んだ桜がひときわ目立っていた。園通閣は元々広島賀茂郡にあったもので、明治になって廃仏毀釈で破壊されそうになったのを移築したお寺である。

庭園の中には秩父山系からの湧き水が出ていて、夏には蛍が飛び交うという。

 

神田川 

椿山荘を一歩外へ出ると神田川が流れている。南こうせつとかぐや姫が歌ったことでも知られている。川沿いに全長二キロにわたって桜が見事に咲いていた。

 

 

伊豆高原「さくらの里」 

伊豆は東京より温かい地であるからと満開を期待していたが、ようやく咲き始めたばかりであった。伊豆半島東海岸に沿って南下し、伊東温泉を過ぎると大室山がある。その麓に「さくらの里」があった。観光目的で作られたようだ。大室山には樹木はなく、野焼きされたあとであった。

 

伊豆四季の里公園 

当初の旅程では桜並木を観る予定であったが、開花が遅れているということで、急遽「伊豆四季の里公園」に変更された。城ヶ崎海岸にある公園で、はるかかなたに大島を見ることが出来た。花壇に四季折々の花が植えられていた。

 

 

下はようやく咲き始めた桜である。海の前方に大島がある。

 

帰りに店で花の種を買い求めた。

 

三嶋大社 

富士山の湧き水がでるという三島には三島大社がある。創建された時代は明らかでないが、源頼朝が尊崇した神社と伝えられている。池の淵にある枝垂桜が咲き誇っていた。


富士山を背景に撮影しようと思ったが、ここからは富士山は見えなかった。下は車窓から見た富士山である。

ここには樹齢1200年という金木犀が生き残っていた。

 さいごに駿府城

 徳川家康が引退して後すごした駿府城は開花が遅く一本だけ寂しく咲いていた。

目盛入りワイングラスと枡酒文化

目盛入りワイングラスと枡酒文化

「お爺さんも昼寝」

 1990年代の終わり、定年まで残り二年という年にドイツのフランクフルトに転勤した。ドイツでの生活を楽しもうと庭付きの家を借りることにした。日本のように、隣家との間に高い塀はなく、隣の庭に咲く花も楽しむことが出来た。

(地上三階、地下一階の庭付きの家)

(地上三階、地下一階の庭付きの家)

 

 この家を紹介してくれた不動産業者のNさんは、元大関琴欧州をスカウトし、佐渡ヶ嶽部屋に入門させた人でもある。

 Nさんは、午後1時から2時の間は庭の芝刈りが法律で禁じられていると注意してくれた。その理由を尋ねると「お婆さんが昼寝をするからだ」という。半信半疑で、レッスンを受けていたドイツ語の先生に聞くと「あなたの理解は半分だけ正しい。お爺さんも昼寝をする。」との答えであった。国の法律か、地方自治体の条例によって、大きな音を出す芝刈り機によって安眠を妨げることのないよう、昼寝の時間を保護していることに驚いた。

近隣同士のお互いの思いやりで話し合いで解決できる問題ではないか。なぜ身近な生活上の問題に、公の機関が介入するのか疑問であった。

 

「出張手当」

 ドイツで暮らしを始めると、日本では考えられない色々な規則に出会った。その一つが出張の日当である。日本であれば各企業が自由に決めている出張手当は、ドイツでは所得税法で一律に決められている。ホテルでの宿泊費は実費請求できるが、食事代は朝食、昼食、夕食別に出張先の都市ごとに細かく決まっていた。規定以上の食事代の支給は所得とみなされ課税対象になる。日本であれば支給される出張手当をどのように使っても会社から干渉されることはない。安いホテルに泊まって、呑み代に充てる。サラリーマン時代のささやかな楽しみの一つであった。

 

「法律の陰で」

 ドイツの人々は法律をよく守る。横断歩道では、車は停止してくれる。駅にゴミは落ちていない。紙屑を落とす人を見かけると注意して拾わせる。電車の中でヘッドフォンから音が漏れると注意する。お互いに注意しあって暮らしているようだった。しかし、人が見ていないところでは法律を守らない。町の中に落書きが多いのはこのためではないか。規則、規則の生活に反抗している姿ではないかと思った。

 

落書き

落書き

「メモリ入りワイングラス」

 もっと驚いたことは、ワインやビールのグラスに目盛り線が入っていることだった。これは度量衡法で決められているという。店が営業としてワインやビールを客に提供するときは、このようなグラスで出す必要がある。目盛り線に達していなければ、客は店に要求できる。客との間で多い少ないでもめないための工夫かも知れない。しかし、目盛り線の入ったグラスでワインを飲んだが、美味しいという感じはしなかった。

(チェコ・プラハのレストランで) 

(チェコ・プラハのレストランで)

 

(京都、四条烏丸の居酒屋で)

(京都、四条烏丸の居酒屋で)

 

 

 これに比べると、日本はおおらかだ。居酒屋で枡酒を注文すると、グラスから溢れ出た酒を枡で受ける。酒ファンにとってはささやかな楽しみの一つである。ヨーロッパに比べると、どこか温かみのある文化のように思う。

 

 この目盛入りグラスは最近ではEU各国で見られるようになった。写真上は2014年春チェコのプラハで撮影したものである。2月に訪れたキプロス島でも線が入っていた。ドイツの基準がEU全体の基準になったようだ。英国がEUから離脱した理由の一つにEUの官僚主義指摘されている。 このような生活の隅々まで規則や法律で規制するあり方に失望したのではないかと思う。     (高田 忍)

のぶなが

のぶなが

 「のぶなが」の名を知ったのは小学校入学前、生家の囲炉裏端であった。生家は琵琶湖西岸の若狭に至る街道沿いにあった。正面には伊吹山が聳え、背後には比良山系の山が迫っていた。村の人々の多くは、その間の狭い土地に米を作って暮らしていた。信長を語ったのは明治20年生まれの祖母である。その昔、酷いことをしたという。しかし、「酷い」内容までは語らなかった。

雪を被った伊吹山(琵琶湖西岸から撮影)

(雪を被った伊吹山(琵琶湖西岸から撮影)

 

 

 

 それから半世紀がたち、定年を迎えた。このことが気になり、郷土の古文書研究家に何か記録が残っていないかと尋ねたが、参考になる様な事は聞けなかった。

 その後、信長の側近太田牛一が書いた「信長公記」の存在を知った。それによると、元亀3年(1572年)7月26日、「信長公御下り、直ちに江州高島表、彼の大船を以て御参陣。(中略)高島の浅井下野、同備前、彼等進退の知行所へ御馬を寄せられ、林与次左衛門所に至って御居陣なさる。当表、悉く御放火。」と記されている。

(信長に焼き討ちされた田畑や小さな村。右上に浮かぶ島の向こうに安土がある。)

(信長に焼き討ちされた田畑や小さな村。右上に浮かぶ島の向こうに安土がある。)

 

 

 当時、天下統一を目指していた信長は、1570年、姉川の戦いで近江の浅井長政、越前の朝倉義景連合軍を破り、その翌年には比叡山を焼き討ちした。さらに、その後も琵琶湖西岸の高島を支配し続けていた浅井にとどめをさすために火をつけたと思われる。

 

 中世の歴史の研究家によると、火をつけた対象は家屋だけでなく、田畑も焼いたという。7月26日は旧暦で、新暦では8月も終わりの頃になる。収穫間近の米を焼きはらったに違いない。この信長の残虐行為は人々の口から口へと400年もの間、語り継がれてきたのだ。隣国の大統領が歴史と外交を関連させる姿勢には賛同しかねるが、「この恨みは千年経っても消えない」と発言したことは理解できないわけではない。

 比叡山の焼き討ちは歴史の教科書にも載っているが、小さな村の出来事までは記録されない。しかも火をつけた行為を「御放火」と尊敬語で表現されるのを読むと、何か違和感を覚える。

 一昨年の三月、滋賀県の歴史研究会の催しで、信長が陣を構えたという打下城に上る催しに参加した。60年前に、母と柴刈りに上った所である。その間に、人々の暮らしは大きく変わり、柴はプロパンガスに置き換わった。人が入らなくなった山は、倒木で山道が塞がれ荒れ放題であった。

信長が火を放つために陣を構えた打下城跡(当時の山城は、下からの攻撃を避けるため樹木は全て伐採されていた)

信長が火を放つために陣を構えた打下城跡(当時の山城は、下からの攻撃を避けるため樹木は全て伐採されていた)

 

 

 

 

 

 

 

 

初めての地中海

初めての地中海

(2017,2,19~2.25)

 

地中海の島、キプロス島とマルタ島のツアーに参加した。キプロス島は地中海の東にあり、四国の半分程度、人口は87万人、マルタ島はイタリアのシチリア島の南、東京23区の半分の面積に40万人程度の人が住んでいる。いずれも独立国でEUに加盟しており、通貨はユーロである。

二つの島はともに、かつては海底にあって地殻変動で隆起してできた島である。島全体が石灰岩で覆われ白っぽく、青い空と海とのコントラストがきれいである。

 

キプロスの海岸

キプロスの海岸

キプロスの山間部

キプロスの山間部

 

マルタの海岸の町

マルタの海岸の町

石灰岩の建物(マルタ)

石灰岩の建物(マルタ)

 

地中海から上る太陽は真っ赤で、また空気は澄んでいて、星空も観察でき、オリオン座と冬の大三角形を見ることが出来た。

地中海から上る太陽

地中海から上る太陽

 

 

二つの島は石器時代からの遺跡が残る歴史の古い点で共通している。また多くの民族が往来し支配者も時代によって入れ変わってきた。共通点は大英帝国の植民地であったことだ。そのため、街にはイギリス時代の名残が残っていた。

一つは郵便ポストである。Royal Postと銘の入った赤いポストが今も使われている。日本でも一昔前までは使われたポストである。マルタでは箱形のポストも併用されている。よく見ると投函口が二つあり、一つは国内便(Local)、もう一つは国際便(Foreign)に分かれている。小さな島国ならではのことと思う。

 

赤いポスト

赤いポスト

箱形ポスト

箱形ポスト

 

電気のコンセントも英国式で、ホテルでスマホに充電するにはアダプターが必要である。

英国式電気コンセント

英国式電気コンセント

日本との共通点は車が左側通行であるということだ。日本は鉄道の技術をイギリスから導入されたことから、車も鉄道も左側通行になった。

左側通行(キプロス)

左側通行(キプロス)

 

交通

日本車が多く見られる

システムが共通であるためか、ヨーロッパ大陸に比べると日本車が多く見られた。日本市場では苦戦している三菱車が意外にも多く、見かけないのはダイハツのみであった。

日本車が多く見られる

手前の二台は三菱、その向こうの白い乗用車とトラックはトヨタ。(マルタ)

日野のバス

日野のバス

 

写真下は、とっくの昔に製造しなくなったいすゞの乗用車である。30年以上も昔に、中古車として輸入されたものではないかと思う。今でも走っているのは日本車の性能の良さかもしれない。

いすゞの乗用車

いすゞの乗用車

 

このように古い車を長く使用するので、排ガスが問題になる。マルタでは国が補助金を出して排ガス対策の新車購入を推奨しているという。写真はマルタの漁村で見た充電中の電気自動車である。

電気自動車

電気自動車

充電ポスト

充電ポスト

 

交通システムについて、ヨーロッパには三つのタイプがある。一つはイギリス型で車も鉄道も左側通行である。ヨーロッパ大陸では自動車は全て右側通行になっている。このうちドイツのように鉄道も自動車と同じ右側という国がある。ところが、フランスやスイス、イタリアのように鉄道は左側通行という折衷型もある。大陸を支配したナポレオンがイギリスとは異なる道路のシステムを決めたことによるという。彼の死後、フランスは鉄道技術をイギリスから導入したため鉄道は左側にしたが、車は右のままで変更しなかった。さらに不思議なことは、地下鉄は車と同じ右側を走る。地下鉄は路面電車の延長との考えかも知れない。

下の写真は20年ほど前、スイスで列車の車内から道路を走る車を撮影したものである。

スイスの鉄道と道路

スイスの鉄道と道路

 

街の中で見かけた看板に面白いものがあった。これはメガネ屋の看板である。上から文字数が増え、小さくなる。視力検査ができるようだ。

眼鏡屋の看板

眼鏡屋の看板

下の写真は電気店の営業時間を表している。午前は8時30分から12時、午後は4時から7時。まるで日本の開業医のようだ。ところが開業医の診療時間はもっと短い。午後4時(5時)から7時までである。

電気屋の営業時間

電気屋の営業時間

 

開業医の診療時間

開業医の診療時間

 

閉店中の看板は「Sorry we are CLOSED」である。日本の店はこの英語をよく間違える。営業中は「Open」だから、閉店中は「Close」と勘違いする。営業中は「Come in we are OPEN」の看板がつり下がっていた。

Sorry we're closed

Sorry we’re closed

Come in we are open

Come in we are open

マルタ島では日差しがきついためか、日本の「すだれ」のようなものを日よけに使っている家があった。

すだれを掛けた家の入口

すだれを掛けた家の入口

すだれの材料となる植物

すだれの材料となる植物

 

地中海に浮かぶ二つの小さな島国は、古代から多くの民族が行き交い支配者も次々に変わった。キプロスは今もトルコとの間に紛争があり、国連の兵士が駐在している。同じ島国である日本はそのような歴史を経ていないことに幸せを感じる旅であった。(髙田 忍)

 

アメリカの商人(あきんど)

アメリカの商人(あきんど)

アメリカのトランプ大統領は、日本は自動車を大きな船に乗せてアメリカに持ち込むが、日本は閉鎖市場でアメリカの車を買えないようにしていると非難する。たしかに、アメリカでは日本車がよく売れている。写真は15年ぶりにアメリカを訪れたとき、ヨセミテ公園(カリフォルニア)の駐車場で撮ったものである。GMの車が一台あるだけで、他は全て日本車であった。

高田氏提供

高田氏提供

アメリカの主張に対して、日本政府関係者は1980年代の認識だと反論する。1980年代には日米の間で自動車摩擦が起き、多くの日本の自動車メーカーが北米に工場を作った。自動車部品を作る会社に勤めていた私は、オハイオ州に工場を作る仕事に携わり度々日本とアメリカの間を往復した。工場が完成すると、自動車の町デトロイトに駐在し営業の仕事に携わることになった。

ある時、日本から上司が出張してきた。靴を買いたいというので、大きなショッピングモールの中にある老舗の靴屋に案内した。店の主人は、足のサイズを測り、店に倉庫に置いているいくつかの靴の中から、足にぴったりの靴を選び薦めた。それから一年ほど経った頃のことである。アメリカに来た上司が、もう一度靴屋に行きたいという。履き心地が良いから、さらに一足買いたいという。

店の主人は、一年前と同じようにサイズを測った。しかし、一年前とは少しサイズが違うようだった。主人は、「間違ったサイズの靴を薦めて申し訳なかった。」といって、一年前に支払った代金を返してくれた。店の名はJonston Murphyという。

(写真は20年経った今も型崩れしないアメリカの靴)

(写真は20年経った今も型崩れしないアメリカの靴)

デトロイト郊外のアパートの近くに洋服屋(テイラー)があった。腕が良いという評判のインド人の職人で、7年間のアメリカ駐在中に何着かの背広を仕立ててもらった。ある年のことである。柄物のシャツを誂えてもらった。出来上がったシャツを見ると、色の具合が注文したものと違うように思った。実際は私の思い違いであったが、テーラーは自分に非があるといって、料金を取らなかった。

アメリカの自動車メーカー、フォードは昨年日本市場から撤退した。それを日本は閉鎖市場だとトランプ大統領に訴えている。フォードは約100年前T型モデルという単一モデルだけを大量に作り消費者の売りつけて大きくなった会社である。それから時代は変わった。消費者の好みも変わった。それに合わせた車づくりが求められている。いくら政治的圧力にたよっても、会社は発展しない。是非、デトロイトの靴屋や洋服屋から「あきんどの精神」を学んでほしい。靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる考え方に替えて欲しいと思う。

(髙田 忍)

02/17/2017

「ひこにゃん」はなぜ猫か?

「ひこにゃん」はなぜ猫か

今年のNHK大河ドラマは 「おんな城主直虎」 である。

NHKの大河ドラマが初めて放送されたのは昭和38年である。今年の大河ドラマ「おんな城主直虎」は56作目である。

再び井伊家が登場する。そのためか、彦根市のマスコットキャラクター「ひこにゃん」には全国のファンから多くの年賀状が届いたという。

粗製乱造気味のゆるキャラの中で、「ひこにゃん」は「くまもん」と並んで人気がある。「くまもん」は、熊本の熊であることは容易にわかるが、彦根はなぜ「猫」なのか

ひこにゃん

ひこにゃん


2代目直孝は、徳川秀忠、家光、家綱の執政を務め大老職に就いた。徳川幕府の役職は「大老」「老中」「若年寄」などの、年寄臭い名称が使われる。

これは徳川家が三河で使っていた役職名を持ち込んだからである。

 

井伊家は譜代大名筆頭格で、徳川幕府の中で5人6回(4代直興は2回)の大老を出している。このような地位を占めたのは、いずれ「おんな城主」で明らかにされると思うが、織田信長が本能寺の変で暗殺された後、徳川家康が伊賀越えで三河まで逃げ帰るときに、初代藩主となった直政が護衛し命を守ったからとされている。

 

直政は関が原合戦の後、石田光成の居城、佐和山城を攻める先鋒を務めたが、翌年亡くなった。

 

彦根藩は35万石を与えられた。内訳は近江国28万石、佐野領(現在の群馬県)1万8千石に加え世田谷領が賄料として2千石与えられた。世田谷は井伊家の所領であった。

 

これは江戸藩邸の藩士たちの食費のようだ。このほか幕府の役職手当としてに対して5万石が加わる。

 

ちなみに一石とは成人の一年間のコメの消費量の単位である。一食一合として、一日三合、一年約千合で、これが一石に相当する。そして太閤検地の頃、一石の米がとれる田の面積が一反と定められた。

 

東京の世田谷に豪徳寺というお寺がある。

小田急線に同じ名前の駅がある。

今年一月の半ば豪徳寺を訪ねた。

言い伝えによれば、井伊の殿様が鷹狩か領内見回りかの目的で寺の近くへ来た。その時、雷鳴がとどろき、門前の大木の下に雨宿りした。その時、寺の猫が手招きをして招き入れた。その直後、大木に雷が落ち命拾いをしたとの言い伝えがある。

豪徳寺の猫は井伊家にとっては命の恩人というわけである。寺には沢山の招き猫が供えられている。一月のことで、訪れる人は少なかったが、直孝をはじめ直弼までの藩主の墓がある。

 

豪徳寺(東京世田谷)

豪徳寺(東京世田谷)

 

 

 

豪徳寺の招き猫

豪徳寺の招き猫

 その前日、幕末の大老井伊直弼が水戸浪士に暗殺された桜田門を訪れた。

暗殺されたことを示す碑の様なものはなく、お堀の周りを多くの人がジョギングをしていた。

彦根藩邸跡より桜田門を臨む

彦根藩邸跡より桜田門を臨む


護衛をしていた彦根藩士の内、現場で死亡したものの他、傷を負ったものは切腹、負わずに逃げ帰ったものは全員打ち首となった。水戸藩士18名も明治まで生き延びた2名を除いて亡くなっている。

井伊大老は安政の大獄で独裁者とのイメージ作りが明治政府によってなされたが、「開国」という決断をしたことによって、今日の日本があると確信している。墓は世田谷豪徳寺の片隅にあり、今日の日本を眺めているに違いない。

井伊直弼公の墓(東京世田谷、豪徳寺)

井伊直弼公の墓(東京世田谷、豪徳寺)

02/06/2017

近畿 KINKI

関西と近畿

この地域には、名前に関西や近畿をつける会社や団体が多い。

「関西の気象情報をお知らせします」これはNHKテレビで毎日耳にする言葉である。

そして、冬であれば「近畿北部は大雪でしょう」が続く。関西と近畿はどのように違うのだろうか。NHKの関西の気象情報の地図は、近畿二府四県に三重県に四国の香川県と徳島県を含んでいる。近畿北部は兵庫県、京都府の日本海沿岸地方のようだ。関西が広い範囲であることがわかる。

古い都があったこの地域は「畿内」といった。山城、大和、摂津、河内、和泉の五つの国である。「近畿」は「畿内」に近い所というのが名前の由来である。

「関西」とは関所の西という意味である。具体的には、近江と他の国を隔てる関所、すなわち愛発関(越前)、不破関(美濃)鈴鹿関(伊勢)のことである。近江より西が関西である。

この定義からすると、NHKが関西に三重県を含めているのはおかしいということになる。

 詳説日本史研究(山川出版社)よりいashuppamsha 

詳説日本史研究(山川出版社)よりいashuppamsha

 

 この地域には、名前に関西や近畿をつける会社や団体が多い。

関西を名称にしている代表的なものは、関西電力、関西学院大学、関西大学、そして海外との玄関口関西国際空港がある。

一方近畿はというと、養殖マグロで一躍有名になった近畿大学、青の交響曲で知られる近畿日本鉄道、役所では経済産業省近畿経済産業局などがある。

ところが興味深いことは、これらの英語名である。近畿大学であれば普通KINKI UNIVERSITY、近畿日本鉄道はKINKI NIPPON RAILWAYではないかと想像する。ところがいずれも「KINKI」を使わない。近畿大学は「KINDAI UNIVERSITY」、近鉄は「KINTETSU RAILWAY」である。役所の方は「The Kansai Bureau of Economy, Trade and Industry」と、近畿を関西に置き換えている。

大阪:阪急梅田駅構内広告

大阪:阪急梅田駅構内広告

 

だから海外からのお客さんの玄関口が、「近畿国際空港」ではなく「関西国際空港」と名付けたのはうなずけるKINKIを避ける理由は、英語の「Kinky」と発音が似ていて、「HENTAI」を連想させるからである。だじゃれではないが、KINKIは禁忌である。

もっとも、大阪には一文字違いであるが「KANKYO」の看板を屋根につけたタクシーが堂々と走っている。関西ハイタク事業協同組合に所属するタクシーである。

 

 JR大阪駅タクシー乗り場


JR大阪駅タクシー乗り場

02/06/2017

 

 

 

 

 

 

 

セカンドオピニオン

セカンドオピニオン

今まで聞いたこともない病気や難病に罹(かか)ると、誰しも今受けている治療法でいいのかと不安になることがある。先生の言葉足らずや一寸した不用意な言葉に接するとなおさらである。尤も、こうした先生の言葉使いは、患者の側の感情的な態度に影響している側面があるかもしれない。コミュニケーションには双方に問題がある。


いずれにしても、患者にとっては信頼できる医師の下で安心して治療を受けるのが望ましいが、そのような医師を探すのは容易なことではない。このような治療に対する不安を解消する方法の一つがセカンドオピニオンである。


6年前、妻が大阪の大学病院で血液癌(けつえきがん)の一つである骨髄異形成症候群(こつずいいけいせいしょう)と診断された。満室のため自宅近くの市民病院に入院することになった。担当の先生は無神経にも「一年後の生存率」を口にした。そして、抗ガン剤治療を行うという。この治療法で本当にいいのかと思い、セカンドオピニオンをとることにした。


問題は、どの病院の、どのような医師の意見を聞くかである。インターネットで治療実績の多い病院を検索した。その中から京阪神に限定せず、名古屋から岡山まで範囲を広げた。病状の進み具合で三回、それぞれ二人の先生、合計六人の先生から意見を聞いた。


結果は、どの先生も特に異なる治療法を示すことはなかった。それでも病院によっては、一人の先生だけで判断せず、他の医師と協議して丁寧な説明書を書いてくれるところがあった。また、他の病院の知り合いの医師にその場で電話してくれる先生もいた。

そうしたなかで、神戸の病院の先生は人柄もよく信頼できると判断したので転院することにした。おかげさまで、この先生の下で治療を受けた結果、生存率20%になるといわれた一年どころか、さらに半年も長く生きることが出来た。この先生の医療技術もさることながら、安心して療養生活を送ることが出来たからだと思っている。


セカンドオピニオンは病気の診断が正しいか否かを聞くためではない。その治療法が妥当かを聞くものである。癌であれば、手術か放射線投射かを選ぶことが出来る。最近はオブジーボという薬もある。


しかし加齢黄斑変性の場合は、治療法は限定されている。選択肢が多いわけではない。違った治療法を示される可能性は少ないと思う。とはいえ、今まで抗VEGF薬の注射をしてきたのに、これからは必要ないなどといわれることもある。すると何もしなければ悪化して、最悪の場合は失明するのではないかと不安になる。


安心するためにセカンドオピニオンをとる価値はある。先ず、病院を探すことから始まる。私であれば、やはり妻の時にしたようにインターネットで治療実績の多い病院を調べる。他に、製薬会社のホームページの病院検索を利用する。どちらも共通する病院が並んでいるので、その中から病院を選ぶことになる。


セカンドオピニオンは患者のための制度である。今罹っている先生の恩義に反するのではないかと心配する必要はない。手続きは、病院の「地域医療センター」というような名称の患者相談窓口が教えてくれる。  (髙田  忍) 

加齢黄斑変性症の見え方

見え方の変化、それはしばしば突然起こります。

歪んで見える、真ん中が黒くかすんで見える。色が違う。

このように、いつもと見え方が違うと思ったら、加齢黄斑変性かもしれません。

速やかに眼科医の診察を受けましょう。

病名が分らないといわれたら、検査設備の整った加齢黄斑変性症に詳しい病院へ紹介状を書いてもらいましょう。

 

以下の写真は、会員を含む多くの患者さんの体験情報を参考に、NPO法人 黄斑変性友の会が作成したものです。

 

日常生活での実例

歪んで見える

窓枠、 障子の桟、 柱、 戸、 物干竿、 パソコンの画面、 TV, テーブル、 駅の階段、 通路のタイルの網目、 バスの窓枠、 屋根、 電柱と電線

色が違って見える

日傘を持った手、 ゴルフボール、 信号の色、 オリンピックの白い輪(TV)が黄色、 青空に円盤状のもの(色は多様)

 

 

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注意!

両目ではなく必ず片目ずつ見てチェックします。

近くが見える老眼鏡を掛け (遠く用のコンタクトレンズ使用の場合は老眼鏡をかける。近視の場合はメガネを外す。45歳以上の場合)

片目を手で覆い、表の中心の丸い点を 見つめて、どう見えるか、チェックします。

このように見えたら、すぐに眼科を受診しましょう。痛みがないからと言って軽く考えないようにしましょう。 

早期発見・早期治療が最善策!

 

街の中で見る間違い英語

街の中で見る間違い英語

街の中には英語があふれている。その中には間違い英語が多い。そのいくつかを写真で紹介する。

 

京都のスーパーマーケットの駐車場の写真である。たった二文字、最も簡単なスペルの間違いである。

ミススペル

ミススペル

IN」が「NI」になっている。この会社の社長室に、写真を添えて「このようなミスを放置しておくことは、店の商品の品質に疑念を抱かざるを得ない」と記した手紙を送った。「ご指摘ありがとう」の返事はなかったが、一カ月後には直されていた。

                                  

 箱根駒ヶ岳のロープウェイ乗り場の「プラットフォーム」は「PLATFORM」と「PLATFOME」が共存している。

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辞書を引けばわかるのだが、なぜ違っていることに誰も気が付かないのだろう。箱根は外国人観光客の多い所である。広報部に手紙を送ったが反応はない。

 

 この駅にはもう一つの間違いがあった。「足元に注意」の意味で、「WATCH YOUR STEPS」と「STEP」にSがつき、複数になっている。足元は一つしか見られないのだからかと思う。普通は「WATCH YOUR STEP」でSは付けない。

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比較的多い間違いは「本日は閉店しました」のつもりで「CLOSE」が使われることだ。

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この間違いは全国で見られる。営業中を表わす「OPEN」に対する言葉は「CLOSE」だと思い込んでいる。この場合の「OPEN」は形容詞的用法である。「CLOSE」の形容詞は「近い」という意味で「閉店」の意味はない。閉店は「CLOSED」が正しい。

これは自宅近くの食品店の店先である。20年以上気が付かないようだ。そこで、これも写真を添えて、「店の前を通る小中学校生が間違った英語を覚えると困る。」との手紙を送った。すると、店のラスクというお菓子を持ってお礼に来てくれた。

                                  

日本語には単数複数の概念がない。そこで間違いが起こる。複数の人が利用するトイレは、通常複数で表わされる。

 

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大阪梅田の紳士用品の店のトイレの女性用は複数の「LADIES」だが、男性用は単数の「GENTLEMAN」となっていた。広報部に手紙を送った所、お礼の手紙が届き、ほどなく文字のない表示に替えられた。
 

神戸の病院では、いずれも複数だが、女性用は「LADIES」に対して、男性用は「MEN」となっている。神戸には紳士がいないらしい。

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函館の湯の川温泉の大浴場は単数になったり複数になったりしている。9階の大浴場の正面の壁には男性が単数、女性が複数にした看板が張られている。ところが暖簾は、それぞれ反対になっている。ここにも手紙を送ったが、音沙汰無しである。

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トイレがそもそも男性女性の区別があるから英語の間違いが起こる。スウェーデンでは男女の区別はない。

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大きなホテル、小さなレストランでも例外なく同じトイレを利用する。英語の問題ではなく、男女平等の考えだろうか。日本では例えば劇場の休憩時間には、女性用は長蛇の列ができる。そうした不平等をなくす考えではないかと思う。しかし、同じトイレで女性が男性に見られながら、化粧が出来るか疑問である。もっとも、この写真では鏡はない、手を洗うだけである。英語では、トイレのことをREST ROOMというが、これではRESTどころではない。単に用を足す場所になってしまう。

                                  

ドイツのトイレ

ドイツのポツダムのレストランのトイレである。ドイツのジョークが小便器の上に貼られていた。ドイツではごみの分別収集が厳しい。そこで、ワインを飲んだ人はの小便器へという意味である。隣に「BIER」があった。ワインを飲んで出る尿と、ビールを飲んで出る尿を分けて排尿せよとのジョークである。

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観光客で賑わう京都清水寺近くの参道で不思議な英語に出くわした。警告文なので、簡単に「DO NOT PASS」とすれば分かるのだが、わざわざ文章にしている。しかも、なぜ主語を「YOU」ではなく「I」にしているのか、よく意味が分からない。

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今は取り払われていて見ることができないが、五条坂バス停近くの駐車場には「通り抜け禁止」の意味だと思う。「YOU CANNOT ABLE GO THROUGH」というのがあった。

 

高田 忍