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桜開花の定点観測
新型コロナウィールスに関して思うこと
新型コロナウィールスに関して思うこと
2月5日、東京での「関東会員の集い」に参加するため上京した。大阪から羽田空港行きのJALを利用した。冬のことなので富士山が美しく見えると思い、左の窓側の席を予約した。飛行機は太平洋岸沿いに東に向かい、やがて東京湾を北上した。それまで翼が邪魔になって見えなかった富士山が突然姿を現した。思わず数枚の写真を撮った。
良く見ると左端にクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号が写っている。予定では2月4日に入港することになっていたが、新型コロナウィールスの感染者が出て入港を許されず、東京湾内を彷徨っていたのである。
コロナウィールスと聞いて、トヨタの車コロナを思い出す。コロナとは「太陽の冠」を意味する言葉である。昭和40年代、トヨタの車の名前は「冠」にちなんだ名前が付けられていた。クラウン(CROWN)は王冠、カローラ(COROLLA)は花冠を意味した。偶然か分らないが頭文字は全てCである。その後、発売された車もセンチュリー(CENTURY),セリカ(CELICA)、カリーナ(CARINA)のように頭にCが付けられていた。
太陽のコロナは下の写真である。毎日テレビで見せられるウィールスとよく似た姿である。
新型コロナウィールスの感染が広がるにつれて、耳慣れない言葉を聞くようになった。クラスターとテレワークである。クラスターとは小規模集団といえばわかる。テレワークとは電話による仕事のことかと思っていたが、在宅勤務のことのようだ。分かりやすい日本語があるのになぜ使わないのか不思議である。
明治時代になり日本は西洋から多くの文化や思想を学び取り入れた。そして、カタカナ語ではなく漢字を使った言葉に翻訳した。「文化」「思想」もその一つである。他にも「経済」「社会」「会社」など、多くの言葉を漢字で表した。
その頃、中国から日本へ留学生が来ていた。留学生は日本が漢字に翻訳した言葉を中国に持ち帰った。昨年中国は建国70周年を迎えた。町の中のいたるところに「社会主義価値核心価値観」の看板が立っていた。そこには民主、自由、平等、法治など12の言葉がある。その中のいくつかは留学生が中国に伝え定着させた言葉である。正式な国名である中華人民共和国の「人民」と「共和」も元は日本語である。
そして、その漢字は古代の日本人が中国から持ち帰ったものである。新型コロナウィールスの感染拡大を防止するために、政府は中国と韓国からの入国を制限する措置を取った。中国が漢字を捨てた韓国のような反発をせず、むしろ日本に対して理解を示したのは、このような両国の長い文化の交流があるためではないかと思う。
(2020,3,14 髙田忍)
クルーズ船の思い出
空からダイヤモンド・プリンセス号
2月5日に行われた「関東会員の集い」と「なるほど、ザ再生医療」のシンポジウムに参加するため、大阪からJALで羽田へ向かった。冬の太平洋側は天気が良く富士山の写真を撮ろうと思い、左の窓側の席を予約していた。三浦半島を過ぎると左に旋回、東京湾を北上した。着陸態勢に入った時、富士山が美しい姿で見えた。良く見ると左下にクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が写っている。
翌日、大阪に戻り自宅へ帰る途中、学生時代同じのクラスの友人であるTさんから電話があった。「どこからかけていると思う?」「もしかしてクルーズ船?」と会話を交わした。多くの感染者が出て、前日に船室に隔離する処置がとられていた。
Tさん夫妻は幸い陰性と判定され、2月19日に下船して自宅に戻ったというメールが届いた。折り返し、写真を送ると次のような返事が返ってきた。
「2月3日の夜、予定を半日早めて横浜港に入港したのですが、4日の夜は外海で汚水処理、海水から真水を作るために横浜を出港して、5日の午前中に戻ってきました。GOOD TIMINGでしたね。ではまた。」
クルーズ船「飛鳥」にて
Tさん夫妻とクルーズ船で偶然、出会ったことがある。2017年9月のことである。金沢港から苫小牧港まで航行するクルーズ船「飛鳥」の船内であった。乗船し暫くすると、デッキで避難訓練の説明が行われた。集まった乗客の顔を見渡すと、そこには見覚えの顔があった。Tさん夫妻である。二泊三日の船旅で、食事やアトラクションを一緒に楽しんだことを思い出す。
写真は金沢港での乗船風景である。
出港すると乗客にテープが配られ、見送りに来た人と別れを惜しむ風景が見られる。五色のテープで美しい光景である。
船室は窓のある部屋であった。狭いが机なども備えられていた。TVも備えられていた。風呂については記憶がない。
出港すると間もなく日が暮れた。日本海に沈み行く夕陽がきれいであった。
苫小牧港に着くと、バスに乗り阿寒湖や知床半島を巡った。帰りは新千歳空港から関西空港行きの飛行機であった。到着時間が遅く、空港前のホテルに泊まった。
サンフラワー号(2017年5月)で九州へ
同じ年の5月には、九州の宮崎と鹿児島を旅行した。大阪南港からサンフラワー号というフェリーに乗った。出港すると大阪湾を南下し、四国沖の太平洋に出た。
室内に風呂はなく大浴場を利用した。食事は夕食、朝食ともバイキング形式であった。窓側の部屋で、外の景色も見えたので狭さを感じることはなかった。
鹿児島の志布志港に到着するとバスが待っていた。乗車口に貼られた座席表の名前を見て驚いた。私の旧姓「仁賀」という人の名前がある。この名字は生まれ故郷の滋賀県にだけしかない。琵琶湖西岸に近江の厳島神社ともいわれる白髭神社がある。湖に鳥居があることからそのように言われている。この神社を挟んで街道沿いに南と北に二つの村がある。この二つの村にしかない名字である。
宮崎の日向海岸近くのレストランでの昼食の時に「もしかして滋賀県の出身ですか」と尋ねると、予想した通りであった。南の村の生まれで中学校を卒業すると大阪へ働きに出たという。
この人は興味深い話をしてくれた。中国に旅行した時、名前の漢字を見て大変喜ばれたという。「仁」といい、「賀」といい、いずれも良い意味の漢字だからである。
この旅行では霧島温泉と指宿温泉に宿泊した。帰りは鹿児島から九州新幹線、山陽新幹線に乗った。
オスロからコペンハーゲン(2016年7月)
初めてクルーズ船に乗ったのは、その前の年に北欧に旅行した時である。関空からフィンランド航空に乗った。フィンランドの首都ヘルシンキへは9時間で着く。他の都市より短時間で行けるので便利である。その日の内に、スウェーデンのストックホルムに着いた。宮殿やノーベル賞授賞式会場を見学、再び飛行機に乗りノルウェーへ移動、フィヨルドを観光船で巡った。
クルーズ船に乗ったのはノルウェーのオスロ港からデンマークのコペンハーゲンであった。日記には「2段ベッドと聞いていたが、四つあり窮屈さを感じることはなかった。」と記録している。
この時も北海に沈み行く夕陽の写真を撮った。スウェーデンとノルウェーはEU加盟国だが、通貨はユーロでなく独自の通貨である。お金が少し残ったので、船内でシャツと靴下を買った。
コペンハーゲンの港に着くと人魚の像があった。洋上の風力発電も印象的であった。
エーゲ海(2018年9月)
2018年の9月、トルコとギリシャへの旅行を計画した。9月4日の台風21号で関空への連絡橋が壊れたためルートが変更になった。出発は関空から成田に変更された。新大阪から新幹線で品川まで行き、成田エキスプレスに乗り換えた。飛行機もタイのバンコック経由となり、ドバイで乗り継ぎトルコのインスタンブールという長旅であった。
トルコ・カッパドキア
バスによるトルコ国内の観光を終え、ギリシャへはエーゲ海の船旅を楽しんだ。三つの島に停泊する二泊三日の旅程であった。
部屋は非常に狭かった。椅子もない。もし、このような部屋に二週間も閉じ込められたとすると、ストレスがたまり耐えられないに違いない。
乗船すると、しばらくして日本人スタッフから船内の説明があった。主としてアトラクションの案内であったが、船内には医務室もあるという。ただし医務室が開いているのは午後7時から9時の間である。
ちなみにダイヤモンド・プリンセス号について調べると24時間診察が可能だそうである。飛鳥号は診察時間が決められている。国内海外を問わず健康保険は使えないから、旅行の傷害保険に入るよう勧めている。
北欧の海と違ってエーゲ海は空と海の碧い色が美しかった。ここでも、エーゲ海に沈み行く夕陽が観光スポットになっていた。
クルーズ船の旅は長くて二日が限度だと思う。船内のアトラクションも楽しいものではない。外の景色も大半は海原で次第に飽きてくる。ダイヤモンド・プリンセス号のことを思うと、これからは慎重にならざるを得ない。
(2020,2,24 髙田忍)
あなたとつくる、再生医療の今とこれから
あなたとつくる、再生医療の今とこれから
シンポジウムでは理化学研究所の高橋政代先生が「再生医療のリスクとベネフィット」というタイトルで講演された。リスクとして3点を挙げられた。
1.細胞のリスク(遺伝子)
2.治療のリスク(免疫抑制剤)
3.患者の持つリスク(リスクがあるから様子見するという不作為のリスク)
ベネフィットとして網膜色素変性症患者に対する視細胞の移植を挙げられた。
以下は当日配布された資料の抜粋である。
視機能再生のための複合組織形成技術開発及び臨床応用推進拠点
網膜は目の一番奥にある膜状の組織である。その中にある視細胞は光情報を電気シグナルに変換し、その情報は網膜内の他の細胞を経て脳に伝えられ物を見ている。 網膜は神経網膜とそれを維持するための網膜色素上皮細胞というシート状の組織からなっている。 網膜色素変性は視細胞が編成する疾患、加齢黄斑変性は網膜色素上皮細胞の機能低下により新生血管が生えて視細胞が二次的に変性し視力が低下する。 理化学研究所ではiPS細胞から移植用の視細胞や網膜色素上皮細胞を作り、これらの疾患に移植する技術を開発してきた。加齢黄斑変性に対して網膜色素上皮細胞の移植治療のヒトでの安全性を確認した。 視細胞についても動物実験で光の分らないマウスが移植後に光が分かるようになることを示し、現在ヒトでの臨床研究をはじめようとしている。視細胞と網膜色素上皮細胞はお互い支え合う関係にあり、これらの疾患は進行に伴い視細胞、網膜色素上皮細胞に変性することから最終的にはより広い適応を目指して視細胞と網膜色素上皮細胞の複合シートの移植を目標に研究を進めている。 |
京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授は特別講演で「iPS細胞 進捗と今後の展望」というタイトルで話された。
患者自身の細胞からiPS細胞を作製するのは金と時間がかかるのでストック事業を進めている。現在では、日本人の40%をカバーする遺伝子を持ったiPS細胞がストックされている。
高田忍(2020,02,10)
関東会員の集い
関東会員の集い
第3回関東会員の集いを2月5日(水)、東京品川駅近くのビルの会議室で開催した。
参加者は4名で初対面であったが、直ぐに打ち解け、昼食の幕の内弁当を食べながら、交流を深めた。
「加齢黄斑変性を予知できるか」「医師との付き合い方」「iPS細胞の再生医療」「運動」など多岐にわたるテーマについて率直な意見交換や情報交換が行われた。
参加者の一人から文字拡大器が紹介された。下に置いた本の文字が大きくなっていることが分かる。
株式会社システムギアビジョン クローバー4(39,800円)