サイト管理人のブログです。
ブログ
ブログ一覧
神坂真佐子さんの体験談を読んで
神坂真佐子さんの体験談を読んで
神坂真佐子さんの体験談を読ませていただいた。3月15日の神戸アイセンター見学会で初めてお目にかかった方である。その時は忘れ物をされるなどしたため、世話の焼ける「お婆さん」という印象を受けた。
ところが、そうした第一印象とは違って、体験談に書かれた内容は示唆に富む点が多い。労作である。目が不自由なことを嘆かずに、色々と挑戦されている姿に感動を覚えた。
先ず、第一に家族のことが書かれている。息子さんが、車の運転による事故を心配して住まいを兵庫県の三田から、車がなくても生活できる大阪の京橋近くの放出という所にあるマンションに引っ越された。しかも新しい住まいに便利な病院をネットで探し出す。難病の患者にとっては家族の支援は欠かすことが出来ない。
息子さんの年齢は分からないが、おそらく50歳代の働き盛りだと思う。仕事から疲れて帰って、眼の不自由な母が作った料理をだまって食べておられる姿は目に浮かぶようだ。
医療機関については、批判的な言葉はないが、問題点が浮かび上がる。折角診てもらおうと行った眼科や病院でたらい回しされる。同じ眼科でも専門が違うと言って診察を断られる。病院には白内障や緑内障のパンフレットは置いてあるが、加齢黄斑変性のチラシは置いていない事実などが浮かび上がった。
両眼だけでなく脊柱管狭窄や肺炎などを患いながら、家に引きこもらず積極的に体や頭を使って若さを保つ努力をしておられる。老犬を散歩に連れ出したり、歌を歌う会に出たり、筋トレや脳トレなど積極的である。さらに驚いたことは、アイパッドを使いこなしていることだ。メールを通じての友人との会話や、息子やお孫さんとラインでつながり、心豊かな生活を送っておられる。とても83歳の女性とは思えない若さである。
一日も早く先進的医療が実用化し、「お料理を目でも味わいたい」という夢が、夢でなくなることを願いたい。この体験談は、多くの高齢の患者や家族に病気とどのように向き合うかのヒントを与えてくれる。一人でも多くの人が読んで下さることを願うばかりである。
(高田 忍)
NPO法人への道のり
NPO法人への道のり
1.なぜNPO法人か
関西黄斑変性友の会は2018年4月2日、特定非営利活動法人(NPO法人)の法人登記の申請を大阪法務局に行い、新たなスタートをすることになった。法人化によって、より多くの患者に情報を提供できるよう努めていきたい。
「友の会」は黄斑疾患の患者団体である。全国に70万人の患者がいると言われているが、その内会員になっているのは70人に満たない。患者団体の目的は、医師から聞くことのできない患者の貴重な体験を相互交流しようとすることにある。この目的を実現するためには、より多くの患者を会員になっていただく必要がある。
その方法としてホームページの活用や病院でのポスター掲示である。ホームページでは広告などの効果がある。病院ではNPO法人であることが信用を高める手段になる。そこで昨年から法人化に向けて準備を続けてきた。法人化を検討している他の患者団体の参考になればと思い、記録を掲載した。
2.どのような手続きが必要か
ではどのようにすればNPO法人にすることが出来るか。インターネットで検索すると、NPO法人設立を支援する司法書士などが出てくる。規模の小さい団体が、そのために費用をかけることは経済的にも負担になる。
内閣府のホームページには解説が書かれている。
大きな手続きは、二つのステップがある。自治体の認証の後、法務局での法人登記である。先ず設立する自治体の認証を得ること、認証を得たのちに法務局に法人登記をすることによって法人として認められることになる。
法人とは法律で認められたもので、個人と同じように契約などの行為が出来る。
3.どこで申請するかの判断
NPOの申請は都道府県か政令指定都市である。主たる事務所の所在地を決定して設立認証を申請する自治体を決めなければならない。
友の会の事務局が大阪市生野区にあるので、大阪市で手続きをとることにした。大阪市のホームページに詳しい申請の仕方が記されている。
大阪市の場合、窓口は市民局市民活動支援担当NPO法人グループである。
市役所地下一階にある
4.必要な書類
大阪市の場合「特定非営利活動法人設立認証申請書」に以下の添付書類を添えて申請する。いずれも、大阪市のホームページらダウンロードできる。
添付書類に設立総会議事録が含まれていることから分かるように、申請に先立ち設立総会を行う必要がある。
友の会は、定例会の日に合わせて設立総会を開催した。事前に開催通知を会員に送り、総会に参加できない会員から「委任状」を取るようにした。
以下、それぞれの添付書類の書き方の留意点、注意事項を記す。
(1)定款
大阪市のひな形をもとに作成する。特に目的事業はそれぞれの法人によって異なるので丁寧に記載する必要がある。
友の会の場合は次のような記載をした。
目的及び事業
この法人は、主として関西に在住する黄斑疾患の患者、その家族及び支援者に対して、医療や治療に関する情報、社会生活上の諸情報の提供と相互交換に関する事業を行うとともに、疾患に関する知識を深めることにより、これら患者の日常生活上の不安を緩和し社会参加の促進を通じて社会に寄与することを目的とする。
この法人は、その目的を達成するため、特定非営利活動促進法(以下「法」という。)第2条別表のうち、次に掲げる種類の特定非営利活動を行う。
(1)保健、医療又は福祉の増進を図る活動
(2)前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動
この法人は、その目的を達成するため、次の事業を行う。
(1) 特定非営利活動に係る事業
① 定期的な情報誌の発行に関する事業
② 交流会、講演会の開催に関する事業
③ 体験談集、社会生活情報誌などの発行に関する事業
会費等も独自に決めることが出来る。
年会費は正会員の場合は3000円、賛助会員は5000円とした。
(2)役員名簿
役員には理事長、副理事長、理事、監事を決めなければならない。
役員の締めに続いて住所の欄がある。住所は住民票記載の通りに書かなければならない。細かいことであるが、日常は「久出ヶ谷町」と小さい「ヶ」を皆既慣れているが、住民票は「久出ケ谷町」のように大きな「ケ」になっている。注意が必要である。
(3)就任承諾書
所定の様式に従って役員に就任する人から提出してもらう。就任承諾日は「設立総会」の開催日より後の日付でなければならない。
設立総会の前に、承諾日を空欄にして提出してもらう。
(4)役員の住民票
(5)10人以上の会員名簿
(6)法例の該当することを確認した書面
(7)設立趣旨書
(8)設立総会議事録
議長の他に議事録署名人名の署名捺印が必要である。
(9)事業計画書
(10)活動予算書
収支の計算に誤りがないか、整合性があるか確認する。
一旦出来上がった所で、市の窓口に持参しチェックを受けると良い、親切に指導をしてくれる。
5.認証通知
認証申請すると閲覧がなされ、約3カ月後に認証した旨の連絡がある。
窓口に出向き、認証通知と定款を受領する。
登記には法人の実印が必要となる。印鑑の店に出向き注文する。一日で出来上がる。
法人の実印は個人の実印と異なる。丸印で外側に法人名、内側に「理事長印」と入れる。
6.登記
認証通知を受領後2週間に内に登記申請をする必要があるので、すぐ法務局に出向き必要書類の等手続きを相談する必要がある。
大阪法務局の場合地下鉄天満橋
窓口がいくつもある、先ず相談室に行き、説明を聞いた後書類を作成し、申請窓口に提出する。
約10日後に登記が完了する。
7.大阪市への届け出
登記事項明書等を添付して大阪市に届ける必要がある。
8.全体の流れを整理すると
2017年11月1日 | 設立総会開催通知、役員就任依頼 |
2017年11月30日 | 委任状集約 |
2017年12月7日 | 設立総会開催(大阪市内) |
2017年12月15日 | 大阪市に設立認証申請書 |
2018年3月19日 | 大阪市から認証の連絡 |
2018年3月20日 | 認証通知受領 |
2018年3月22日 | 大阪法務局に相談 |
2018年4月2日 | 大阪法務局に設立登記申請 |
2018年4月12日 | 登記事項証明書 |
法人化を決定してから、完了するまで約五か月半かかった。
9.その他
(1)いかなる団体であっても会計の透明性が求められる。出来るだけ、団体名義の口座を作っておいた方が良い。例えば、ゆうちょ銀行は任意団体であっても、団体の規約を添えて申請すれば口座開設ができる。
(2)NPO法人は設立すれば、それでおしまいというわけではない。設立後も自治体に定期的に事業報告や役員の異動の報告をしなければならない。このような事務に多くの時間や労力がとられる。本来の活動がおろそかにならないよう体制を整えておく必要がある。
(3)患者団体にとっては財政上の問題もある。会員の会費のみで運営することは困難である。助成する機関があるので積極的に応募するのも解決策の一つである。
(高田 忍)
ポルトガルを旅して
ポルトガルを旅して
(2018年3月24日~28日)
なぜポルトガル?
3月23日から30日まで、旅行会社のポルトガルツアーに参加した。往復の3日を差引くと、現地滞在は24日から28日までの5日間であった。今日にいたるまで、仕事の出張も含めて30数ヶ国を訪れたが、ポルトガルはなぜか後回しになっていた。この国は日本に鉄砲やキリスト教を伝えた国で、日本にとっては最初にヨーロッパ文明に接した国である。フランシスコザビエルの名前は誰もが知っているし、学校では外来語のシャボン、カルタ、カッパ(合羽)はポルトガル語に由来すること、歴史の時間にはバスコ・ダ・ガマも教えられる。日本人にとっては縁の深い国で、是非訪ねてみたいと思っていた。
日本との関係
日本人にとっては、このようにポルトガルは心の中に潜んでいるが、この国ではそれほど日本が意識されているようには思えなかった。その理由は秀吉より後の時代に、キリシタンを迫害し虐殺したことが潜在的にあるのかも知れない。最後に訪れた商業都市ポルトのサンフランシスコ教会の壁には、イスラムに虐殺された聖人並んで日本での殉教者の像があった。
リスボンの川沿いの公園の路面には、世界地図描かれポルトガル人が発見した国の年代が記されている。日本に到達したのは1541年のことである。ポルトガルにとっては、日本は彼らが到達した多くの国の一つにすぎないようだ。
初日に訪れたリスボンの教会には、天正の少年使節の像が描かれていた他には、関係を示すようなものには接しなかった。
コインブラという学問都市の郊外、貴族の館というホテルには白い砂の上に石を並べた日本風庭園があり、傍には竹林があり、筍が既に芽を出していた。
葦(よし)の群生が各地にみられ、日本と同じく日よけに利用しているのは興味深かった。
ポルトガルという国
人口は約1000万人、国土面積は日本の4分の一という小さな国である。そのためかポルトガルがニュースになることは少ない、例えば、国際政治で重要な役割を果たすこともないし、世界経済に大きな影響を与えるような重要な産業があるわけでもない。
ポルトガルという国名は北部の商業都市Portoに由来する。英語の港を表わすportもここからきているとの現地にガイドの説明であった。そのため、古くから海に目を向けたらしい。1500年代の大航海時代にインドから胡椒を、南米から金や銀の財宝を持ち帰った。おそらく石見銀山の銀も得たに違いない。多くの財宝がイギリスやオランダのように、大西洋三角貿易などの新たな投資に使われていれば違った姿になったかも知れない。多くの金や銀は教会という宗教施設の装飾につぎ込まれた。そのためか観光で訪れる場所といえば、ロカ岬を除けば必然的に教会や修道院に限られてしまう。
コインブラ大学は日本の安土桃山時代に創立されたという。世界でも有数の歴史のある大学である。30万冊の蔵書が保存されている。
しかし、大学は古いことに価値があるわけではない。その後の歴史にどの様な役割を果たしたかが問われる。英国やドイツのような科学上の重要な功績は見られない。江戸時代の藩校に由来する日本の大学さえ、多くのノーベル賞学者を輩出している事実とつい比較してみたくなった。
交通システム
日本に比べると、自動車の運転手のマナーは良い。横断歩道に人がいると止まってくれる。もっとも赤信号で渡る人が警官に見つかった場合罰金を取られるそうだ。場所によっては片側4車線もある高速道路でも、あおり運転をする姿は見かけなかった。これに比べて街の中は道幅が狭いうえに両側に駐車する。その間をバスが通り抜ける。渋滞も発生する。
リスボンの地下鉄は日本の通勤電車並みの混雑で、スリが多いというので緊張せざるを得なかった。
世界にはイギリスや日本のように、自動車も鉄道も左側通行の国がある。これとは反対にドイツやアメリカは、いずれも右側通行である。その中間型がフランスで、自動車はドイツと同じ右側、鉄道はイギリスと同じ左側通行である。
なぜこのようなことになったか。最初に、イギリスが馬車の御者が座る位置が右側で左すれ違い際に左側に寄せたことから自動車も左側通行に決めた。ところがヨーロッパ大陸ではナポレオンが支配していて、イギリスと反対の仕組みにしたという。その後、鉄道の時代になると、蒸気機関車を発明して鉄道網を作ったイギリスが自動車と同じ左側にした。フランスはイギリスから鉄道技術を学んだので鉄道は左側、自動車は右側という折衷型になった。しかし、フランスでは同じ鉄道でも地下鉄は路面電車の延長という考えから右側になっている。世界にはこの三つの型しかないと思っていた。ところがポルトガルは違った。地下鉄も鉄道と同じ左側であった。新たな発見であった。
ワイングラス
春がまだ早いというのに、思いのほか緑が豊かであった。高速道路沿いにはいたるところで葡萄畑を目にすることが出来た。ワインは日常の飲み物のようで、レストランでは、水とともにワインが無料で供された。
これまで訪れたヨーロッパの各国では、ワインのグラスに目盛り線が入っていた。20数年前に駐在したドイツでは、度量衡法という法律で目盛り線が義務付けられ、例えば150mlの線が入っていた。営業としてワインを客に提供する店は、この目盛り線までワインを注がなければ罰せられるし、反対に客はその線まで注ぐことを店に要求できる。日本の枡酒のように溢れるばかりに次いでくれる文化とは違う堅苦しさに感じたことがある。
4年前に訪れたチェコのプラハ、昨年のクロアチアでも目盛線が入っていた。ドイツの法律がEU法に取り入れられたものと思っていた。
ところが、ポルトガルやスペインのレストラン、ホテルで目盛入りグラスは見かけなかった。謎として残った。
ポルトガル語
日本人が学んだポルトガル語を探すのも目的のひとつであった。タバコがその一つである。リスボンの空港の外に出ようとするとき、大勢の出迎えの人がいた。突然煙草の匂いがしてバスに乗るまで漂っていた。路上には吸い殻が多い。
合羽は日本語化している。普通日本語は連濁といって「灰(はい)」と「皿(さら)」がつながると、後ろの言葉が濁って「灰皿(はいざら)」となる。しかし外来語の場合は、例えば「紙」と「コップ」を組み合わせても「かみこっぷ」で「かみごっぷ」とはならない。ところが、合羽の場合は「雨合羽(あまがっぱ)」と濁る。漢字も当てられ日本語化した言葉である。
写真はコインブラ大学の学生が着ているカッパである。
東京は「Tokyo」(英語)とか「Tokio」(フランス語)で表現される。ポルトガル語では「Toquio」であった。
6年ぶりの再会
今回の旅は、初日のホテル到着時間が真夜中の1時、最終日の出発時間が早朝の4時というハードなスケジュールが組まれていた。多くの見学先はキリスト教会や修道院が多く、ゴチック建築だ、ロマネスクだと言われても事前の知識がなければ違いが即座に分からない。その上、街の歩道のほとんどは石畳で足に負担がかかってしまった。初日のリスボン、最終日のポルトの自由散策には参加せずホテルのベッドで横になった。
それでも、今回の旅はこれまでと違って思わぬ出会いがあり実り多い旅であった。ツアーの参加者は16名で、ほどなく顔を覚え打ち解けた。ほとんどの人がすでに仕事から離れた人で、中には校長先生、数学の教師、会社役員などさまざまであった。
4泊目のホテルでのことである。部屋のキーが渡されエレベーターに乗ろうとするとき、背後から「高田忍さんでしょう」と女性に呼び止められた。荷物の名札を見て確認したらしい。「歴史街道」「カモミールおいしい」「五味先生」と立て続けにキーワードを並べられたが誰か思い出せない。その時は患者会のひとりかもしれないと思った。
夕食のテーブルで隣り合わせになった。年賀状を交換していると言われ、ようやく大阪の下町で開業されている医師であることを思い出した。6年前、歴史街道倶楽部で京都から若狭の小浜へ行くバス旅行に参加した。窓側の席に座っていると、後から乗ってきた女性が空いていますかと尋ね座った。「JRが遅れるといけないので、昨晩は京都駅近くのホテルに泊まったという」ことから会話が始まった。小浜への途中、郷里の湖西街道を走ったので説明をした。神宮寺や東大寺お水取の源などを訪ねた後、京都府と滋賀県の境の鯖街道を通って京都へ戻る途中、「一人暮らしですか」と尋ねると「主人がいます」との返答と共に、名刺を頂いた。そこには、医師と書かれていた。終末医療について質問するうちに、あっという間に京都に着き、新大阪まで話し続けだったと思う。それ以来年賀状の交換が続いている。
それでも記憶力が衰えたせいか、名前が出てこない。一晩中名前を思い出そうとした。名前に「田」ついたはずだ。翌日のバスは6年前と同じく隣り合わせになった。ようやく思い出し名前を確認すると「よしこ」と読みますとのことであった。キリスト教信者にとって三大聖地の一つサンチャゴを見下ろす丘の上に立つ巡礼者の像の前で写真を撮った。
翌日ポルトのワイナリーの見学が終わった所で、友の会の定例会で「老人医療について」というテーマで講演を依頼すると快諾していただいた。思いもよらない人に再会し、有意義な旅であった。
(高田 忍)
59年ぶりの甲子園
59年ぶりの甲子園
3月23日より阪神甲子園球場で開かれる春の高校野球全国大会に我が母校、滋賀県立膳所高校が出場することになった。今年は90回の記念大会で21世紀枠に選ばれた。59年ぶりの甲子園である。昭和34年で三年生になる年であった。
写真は卒業アルバムに掲載された入場行進の模様で、当時はボーイスカウトがプラカードを持ってチームを先導した。
対戦相手は四国の強豪高知高校で、6回表に一点を入れてリードしたが、9回裏に逆転負けした。アルバムには9回表までのスコアボードの写真が載っている。
その後、昭和53年の夏の大会に出場したが群馬の桐生高校に18対0で大敗した。
是非とも今年こそ一勝してほしいものである。
今年は記念大会ということもあり36校が出場する。このうち、一度も全国優勝したことない滋賀県から3つの高校が選ばれた。そのあおりを受けたのか、何度も優勝校を出している兵庫県から出場する高校はない。不思議といえば不思議である。
確定申告と医療費控除
確定申告と医療費控除
NPO法人 黄斑変性友の会代表世話人
髙田 忍
2月16日から3月15日まで確定申告の期間です。加齢黄斑変性の患者は医療費が高額であるため、医療費控除によって所得金額を差し引くことが出来ます。その結果。還付を受けられる可能性があります。その概要を説明いたします。該当する方は、税務で手続きされることをお勧めいたします。
1.医療費控除
医療費控除額の計算式は次の通りです。
医療費控除額=(医療費控除の対象になる医療費 -保険金等で補てんされた金額)- 10万円(総所得200万円未満の人は総所得金額等×5%) |
簡単にいうと,年間10万円以上の医療費がかかった場合、超えた額について医療費控除が出来ます。
例えば抗VEGF薬アイリーアを注射した場合、3割負担で一回につき57,000円の医療費がかかります。年間2回以上注射すれば10万円以上となるので、超えた額が控除の対象になるということです。
治療回数 |
計算式 |
医療費控除額 |
2回 |
57,000円×2-100,000円 |
14,000円 |
3回 |
57,000円×3-100,000円 |
71,000円 |
4回 |
57,000円×4-100,000円 |
128,000円 |
但し、年間所得が200万円以下の人はその5%を超えた場合に医療費が控除できます。例えば、年間所得が100万円の人は医療費が5万円をこえた場合に超えた分について医療費控除が出来ます。
治療回数 |
計算式 |
医療費控除額 |
2回 |
57,000円×2-50,000円 |
64,000円 |
3回 |
57,000円×3-50,000円 |
121,000円 |
4回 |
57,000円×4-50,000円 |
178,000円 |
2.医療費控除の手続き
確定申告書を提出する際に「医療費控除明細書」を添付する必要があります。領収書は必ずしも必要ありませんが、5年間は税務署から提出を求められる場合があります。
対象となる医療費には通院費(病院までの公共交通費)を含むことが出来ます。ただしタクシー代や自家用車のガソリン代は含むことはできません。メガネは、医師が指定した場合は控除対象になる可能性があります。
3.還付される税額
医療費控除の額がそのまま還付されるわけではありません。課税所得による税率に応じて還付の額が計算されます。課税所得とは、所得から医療費控除や寄付金控除などを差し引いた所得のことです。
例えば、アイリーア年4回注射した場合の医療費控除は、上で計算したように128,000円です。
課税所得 |
税率 |
還付額 |
300万円 |
10% |
12,800円 |
2000万円 |
40% |
51,200円 |
4.具体的な対応
計算の仕方は分かったが、具体的にどのように動けばいいのか分からないかも知れません。毎年、この時期それぞれ所轄の税務署で税務相談が行われています。
給与所得や年金の源泉徴収票と医療費の領収書、マイナンバーカードを持参して税務署の相談窓口を訪ねてください。3月15日の直前は混み合いますので、出来るだけ早く相談することをお勧めします。