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トルコとギリシャの旅

 トルコとギリシャの旅

(2018,9,9~9,18)

なぜトルコとギリシャ

トルコとギリシャのツアーに参加した目的は、一つにはテレビで見たトルコの岩だらけのカッパドキアを見たかったこと、もう一つは世界史で習ったアテネのパルテノン神殿を見たいからであった。

 

エアバスA380で

9月4日に襲来した台風21号で関西空港の国際線滑走路が水を被り閉鎖された。9月9日の出発が危ぶまれたが、7日になり成田、バンコク経由で出発するとの連絡があった。かなり体力的に疲れると思ったが、準備してきたこともあり参加することにした。

新幹線品川駅で下車し、成田エクスプレスに乗り換えた。成田からバンコクまではANA、バンコクからエミレーツ航空である。機種はエアバスA380で、一階はエコノミー席、2階がビジネスクラスであった。二階後方にラウンジもありシャワーの装置もある。ラッキーであった。近く大阪ドバイ間に就航することになっている。

 

トルコ国内はバスで移動した。VIPとフロントに書かれていたが、シートベルトの不具合やトレーが壊れていて、EU基準を満たしているか疑問であった。

カッパドキアでは洞窟内のホテルに宿泊した。

カッパドキアからはかつてのシルクロードを西進した。隊商宿やイスラム色の強いコンヤを経由して次の温泉町までは600キロを超える長旅であった。早朝に出発してホテルには9時に着き、荷物を部屋に置く前に夕食という強行軍であった。

トルコからギリシャはエーゲ海の島々を巡るクルーズ船に乗った。船室は窓側にアップグレードされたが、スーツケースを置くのに一苦労する狭さでエアコンも効かないありさまでとても快適とは言えない。

帰りは関空に到着、回復の速さに感心した。リムジンも運行しており思ったより一時間早く帰宅できた。

強行軍の旅で体力的には疲れたが、気軽に話しかけてくれる人と巡り合い楽しい旅となった。旅は道連れ、世は情け。

 

 

文字

イスタンブールの二日目、文字がすべてアルファベットであることに気付いた。これまでイスラムの国ではアラビア文字が使われていると思い込んでいた。ガイドに質問すると、1923年にアルファベットが採用されたという。目的の一つは識字率の向上であったという。オスマントルコは第一次世界大戦で敗れ、トルコ革命がおこった。指導者のケマルは政教分離、ローマ字採用、女性参政権など近代化政策を進めた。

言葉には英語の影響とみられるものもあった。SIGARAは煙草のことと推測できる。

ギリシャでは勿論古代からのギリシャ文字である。αβγなどの小文字は数学で習うが、大文字はよく分らない。写真はアテネ市内のタクシーの文字である。屋根に「TAΞI」と書かれていた。Ξは「くし」と読む。町中の標識はギリシャ語と英語が併記されていて旅行者には親切である。

 

トイレ

エミレーツのラウンジはバンコク、ドバイ共にTOTOの製品を使っていた。トイレットペーパーの先端を三角に折るのは日本人のおもてなしの現れであると何かで読んだが、このラウンジはじめインスタンブールのホテルでも三角に折られていた。ある日本人の思い込みに違いない。

トルコでは、都市部のトイレは洋式であったが、地方には和式が多かった。どちらを向いて用を足すのか良く分らず手すりもなく不便この上ない。

ギリシャのクレタ島のCaféで、無料で貸してもらったトイレは紙が流れない。よく見ると紙を流さないようにとの英語の注意書きがあった。この点では南米ペルーの首都の一流ホテルと変わらない。

手を洗う蛇口の栓は、日本では上に上げるのと下に下げるのが混在しているが、トルコではすべて上に上げるものであった。

トイレの男女表記では、単数のもの複数のものが混在していた。複数の人が利用するのでMen、Womenが正しい。日本でも誤表記が多い。

 

人人人、車車車

インスタンブールでもアテネでも車が渋滞していた。インスタンブールでは、車道でペットボトルの水を売る少年がいた。まるで20年前のメキシコのようだった。アテネでは車の間をバイクがすり抜けていく。これだけ車が多くても、日本車は少なかった。おそらく高い割には高級感のない中途半端な車と思われているのかもしれない。

人の多さにも閉口した。エーゲ海に浮かぶサントリーニ島は日没がきれいなことで有名で、小さな村にはその光景を見に多くの人が押し寄せた。狭い道は人でごった返し、そのうえ石畳で歩きにくく足の裏が痛くなった。またアテネのパルテノン神殿の見学通路は満員の地下鉄のように身動きが取れないほどであった。

 

日の出と日没

カッパドキアの風景と日の出と日没

 

サントリニーア島(エーゲ海)の風景と日没

キリスト教とイスラム教

この地は、先ずギリシャ文明が栄えたあとローマ帝国が支配する。西ローマ帝国が滅びた後も東ローマ帝国がキリスト教を国教にしてコンスタンチノープルを首都にして栄える。そこにイスラムのオスマントルコが侵入するという歴史をたどった。

インスターブールのアヤソフィアはキリスト教会であった。オスマンが侵攻した後キリスト像を残してイスラム教の寺院になった。今は両者の共存を願って博物館になっている。その隣に立つブルーモスクは、1000年後に建てられたが、規模は大きいがアーチの大きさでアヤソフィアに及ばない。

カッパドキアには、ギョレメ野外博物館があった。所謂隠れキリシタンのいた洞窟である。壁に描かれたキリストの目や顔がえぐり取られていた。見つめるイスラム教徒が見つめると、改宗することを恐れたからとの説明であった。

 

トルコ商人

エジプトバザールをはじめ立ち寄った土産物店では日本語で「二個千円」と何とかの一つ覚えで迫って来る。なによりもカッパドキアの絨毯と最終日のレザーの店の営業マンの巧みな日本語を使っての商魂の逞しさには感心した。その熱意につい買ってしまうことになった。

先日NHKで、絨毯とカーペットは同じか違うかのクイズをしていたが、日本語か英語かの違いに過ぎない。写真ではよく分らないが門のところに「Carpets」と書かれていた。

絨毯を織るのは主婦の仕事で、訪れた洞窟に住む民家に織る器械が置かれていた。最近の若い女性は他の仕事を求めて、絨毯織はしなくなったという。この民家は四代目で先祖伝来の絨毯が敷かれていた。岩の上であったが、足が痛いと感じる事はなかった。洞窟に住む家族は5家族のみで、政府が世界遺産を理由に追い出しにかかっているそうだ。

レザーの店では、ファッションショウの後セールスマンが近寄ってきてコートを買う羽目になった。薄くて軽いのがセールスポイントである。いよいよ20年前に買ったコートとお別れすることにした。

 

 

遺跡と歴史

バムッカレはトルコ南西部の温泉地である。ホテル内に露天風呂があった。中国人女性が写真を撮ってくれた。

近くに石灰棚があり、温泉がローマ時代の療養所になっていた。石灰棚は雪山のようである。

美の女神に由来するアフロディスィアスの遺跡

アフロディシアスは、紀元前2世紀から6世紀まで栄えた古代ギリシャ・ローマ時代において最も壮大な都市のひとつといわれている。トルコ人学者が生涯をかけて発掘した。遺跡内には学者の墓があった。

エフェソス遺跡

エフェソス(ギリシャ語:Έφεσος, ラテン文字表記:Ephesos/Ephesus)は、トルコ西部の小アジアの古代都市で、現在のイズミル県のセルチュク近郊に位置している。古典ギリシャ語読みではエペソス、エフェソ、エペソとも表記され、現在はトルコ語でエフェス(Efes)とも呼ばれる。アルテミス崇拝で知られたギリシャ人都市であったが、のちにキリスト教を受容し、新約聖書にもエフェソの信徒への手紙がある。(ウィキペディア)

ガイドの説明によれば、世界最古の職業の館もあったという。

パルテノン神殿

アテネのペリクレスが建設した。アクロポリスの丘にある。

さいごにトルコ・ギリシャ旅行の注意

トルコでは人通りの多い露店の試食品には絶対手を出さない事、ホテルの生野菜も控えた方が良い。どのような水で洗っているかわからない。

アテネには集団スリが多い。バッグやリュックは前に持ち、財布は人の前では出さず、パスポートは腹巻に巻くなど細心の注意と警戒を怠らないことが大切だ。      

(218,9,20髙田 忍)

 

岬と思い出

足摺岬灯台

岬と思い出

足摺岬(四国最南端)

 7月2日から4日の三日間、台風が接近する中、四国の最南端の足摺岬まで車を走らせた。明石海峡を渡り淡路島を通り、鳴門で出て徳島自動車道を走った。一般道に出て渓谷美で知られる大歩危・小歩危に立ち寄った後、高知自動車道経由で目的地に向かった。約500キロの道のりであった。

 足摺岬のある土佐清水市の中浜は、ジョン万次郎の生誕地である。道端には、NHK大河ドラマ決定の看板が目立った。万次郎は1827年貧しい漁師の家に生まれた。14歳の時、足摺岬沖で漁をする漁船の雑用係をしている時に遭難、アメリカの捕鯨船に救助されアメリカに渡った。船長の養子となり教育を受け、1851年購入したアドベンチャー号で帰国した。

 1853年、黒船来航でアメリカの知識と語学力を認められ幕府に招聘された。維新後は東京大学の英語教師になった。

足摺岬灯台

足摺岬灯台

右の後方はジョン万次郎の像

右の後方はジョン万次郎の像

 

 翌日、四万十川沿いに愛媛県大洲に向かった。国道というのにすれ違うのに苦労するほどのくねくねした狭い道が続いた。中江藤樹邸跡を訪れるのが目的であった。県立大洲高校の敷地内にある。近江聖人といわれる中江藤樹は、1608年私の出身地の隣村である小川村に生まれた。9歳の時、米子藩の武士である祖父の養子となった。12歳の時、米子藩主が大洲範囲国替えとなり祖父母とともに移住した。27歳、母への孝行のため小川村に戻った。

 藤樹書院という私塾を開き、朱子学に傾倒し後に陽明学の影響を受けた。

中江藤樹邸跡

中江藤樹邸跡

邸内の額(私の出身中学校にも同じ額があった)

邸内の額(私の出身中学校にも同じ額があった)

 

 四国の最南端である足摺岬のことを書いたので、これまで行ったことのある最北端、最西端など日本や世界の「端っこ」を思い出し記録に残すことにした。

 

平戸(最西端の町)

 平戸という地名は中学生の頃から知っていた。同級生が転校していった先が平戸で、暫くは文通をしていたことがある。平戸は島であるが、九州と橋で結ばれているので九州最西端の町である。

 室町時代の1550年、松浦隆信が南蛮貿易に進出、平戸港にポルトガルの貿易船が初めて入港したといわれる。その年の九月にはフランシスコ・ザビエルが来航しキリスト教の布教を始めた。

 特に鎖国が行われる前の江戸時代初期まで対外貿易の中心として栄えていた。その後、対外貿易の窓口は長崎の出島になり平戸での南蛮貿易は終わった。

 三年前に娘と長崎を旅行した時、平戸を訪れた。

 平戸ザビエル記念教会と、光明寺、瑞雲寺が交差して見える平戸を代表する風景である。日本と西洋の文化を感じさせる景観である。

平戸ザビエル記念教会と、光明寺、瑞雲寺

平戸ザビエル記念教会と、光明寺、瑞雲寺

平戸ザビエル記念教会

平戸ザビエル記念教会

宗谷岬(最北端)

 北海道に初めて行ったのは5年前、70歳を過ぎてからである。礼文島、利尻島を巡るツアーに参加した。羽田空港を経由して稚内空港に到着し、先ずバスで向かったのが宗谷岬であった。宗谷岬はわが国最北端の地である。

 「流氷とけて春風吹いて」で始まる歌謡曲で知られている。6月3日であったが寒々としていた。曇っていてロシア領サハリンは見えなかった。

宗谷岬からサハリン方面

宗谷岬からサハリン方面

 

 

 五年経った今でも記憶に残っているのは終戦直後に起こった悲劇である。昭和20年8月20日、「真岡郵便電子局事件」のことである。

 広島・長崎への原爆投下を知ったソ連軍が8月9日に日本に参戦を表明し、当時日本領であった樺太に侵攻してきた。ソ連兵の略奪、殺害、性的暴行を怖れた真岡郵便電信局の電話交換手をしていた若い女性12名の内9名が青酸カリなどで自決した。最果ての地の出来事で、本州ではあまり知られていない。

 

潮岬(本州最南端)

 潮岬は本州最南端の岬である。潮岬は和歌山県串本にある。「ここは串本、向かいは大島、仲を取り持つ巡航船」の串本節を思い出す。祖母が祝い事や宴会などがあると、伊勢音頭とともに串本節をよく歌った。明治生まれの祖母の世代にとっては、白浜や潮岬が観光地であったようだ。

潮岬(本州最南端)

潮岬(本州最南端)

 

 

知床岬(二番目の東)

 森繫久彌作詞作曲の「知床旅情」で知られる知床岬は、昨年9月に訪れた。金沢からクルーズ船に乗り船中で二泊、苫小牧港に着き阿寒湖で一泊、バスで長い距離を走った。知床五湖を散策の後、船で知床半島を巡った。

 

知床五湖

知床五湖

知床半島

知床半島

 

 この時乗った船に、かつて勤務した会社の製品が備え付けられているのに気づき驚いた。救命ボートである。遭難すると自然に膨らむゴムボートである。

住友電工製救命ボート

住友電工製救命ボート

 

 

ロカ岬(最西端)

 ユーラシア大陸最西端にある岬である。ポルトガルの首都リスボンから、程遠くないところにある。今年3月に訪れた。ロカ岬へ来たことの証明書を有料でもらえるとの添乗員の説明であったが、確かなのは自分の目だと言い聞かせ、岬に先端に立った。強風が吹きすさび、吹き飛ばされそうであった。

 岬には碑が立っている。案内書によると「ここに地終わり海始まる」の意味だそうである。ポルトガルは、日本に鉄砲やキリスト教をはじめヨーロッパ文化を伝えた国である。同じ海洋国家である点が共通している。

ロカ岬から大西洋を望む

ロカ岬から大西洋を望む

碑

寒風の中であったが、既に花が咲いていた。

寒風の中であったが、既に花が咲いていた。

 

 これらの岬は、何らかの形で外の世界とつながりがあることがわかった。それぞれ物語がある。決して日本や世界の「端っこ」ではない。

 

 最後に鉄道の駅と関連する施設を紹介して締めくくることにする。

 

稚内駅(最北端の駅)と幌延深地層研究センター(最も深い施設)

 

 稚内駅はJR最北端の駅である。サハリンと地下トンネルでつなぎ、ロシア大陸と直結するアイデアがあるが、当面実現の可能性はない。初めての北海道旅行の時のことである。稚内駅を出発し、宗谷本線を南下し幌延駅で下車した。

稚内駅

稚内駅

 

 稚内駅を出発し、宗谷本線を南下し幌延駅で下車した。ここから東北東3キロのところに、幌延深地層研究センターがある。日本原子力研究開発機構が管理する施設で、地下350メートル以上深さへの放射性廃棄物の地層処分に関する研究をしている。地下350メートルは経験した最も深い地点だと思う。

 

宗谷本線を走るジーゼルカー

宗谷本線を走るジーゼルカー

幌延深地層研究センター全景

幌延深地層研究センター全景

地下内部

地下内部

信濃川上駅(標高一の隣の駅)

 一番標高の高い所にある駅は長野県の野辺山駅である。信越線小諸駅と中央線小淵沢駅を結ぶ小海線の長野県の南端に位置する駅である。 駅の標高は1,345.67m。野辺山の小諸寄りの隣の駅が信濃川上駅である。川上村はレタスなどの高原野菜で知られる村である

 大学に入学した年の夏休みにほぼ一か月すごしたことがある。材木業のお宅で、三食付きの家庭教師のアルバイトであった。東京の音楽大学を目指していたお嬢さんの勉強の手助けをした。大学に入学したばかりで、向学心に燃えていたのか、ドイツ語で書かれた「DAS KAPITAL」3巻を持参し読破しようと考えた。歯が立たず、中学生の弟と近くを流れる千曲川で魚を釣ったり水浴びをしたりする毎日であった。

 二年前の秋、軽井沢での大学クラス会に参加する途中に立ち寄った。50数年ぶりのことであった。その頃と変わらないひっそりとした駅であった。(髙田 忍)

信濃川上駅駅舎

信濃川上駅駅舎

ある家族からのおたより

ある家族からのおたより

 母は後期高齢者住宅に入居してからも、視力が落ちているわけでもないのですが、蛍光灯や日照りの強い日はまぶしくて食事なども見えにくくて、食堂では黒いお茶碗にして貰ったり、メニューの名前を一品ずつ説明してもらったり、切り分けてもらったりしています。

 メガネは普段は黄色いものをかけていますが、食事の時はレンズの上が黒っぽくて下が白いものを作ってもらってかけ直しています。この季節は部屋のカーテンを開けることはほとんどありません。

見えた瞬間

難病指定 網膜色素変性症患者が見えた!

58歳 女性 大阪市ご在住

長年お世話させて頂いた<難病指定>網膜色素変性症患者さんの見えた瞬間

5年前娘さんがネット検索で当店のことを知りご来店いただき、遮光レンズや様々手法で対応し見えていたが徐々に視力が落ちてゆき、とうとうある日、本当に見えなくなっており患者本人は驚きと失念のあまり涙ボロボロ流される場面に立ち会ったりしてまいりました。本人ともども小生も大変苦しい思いでした。最近では相手の顔などほとんど見えなくなってきて、娘さんに手を引かれてご来店されるなどお困りの様子は大変胸が痛く、見かねた末各方面にお願いして新型スマートグラス試着を数種行った。

2018年6月18日の新型スマートグラスの試着をして「見えた」瞬間の様子を動画で残します。お困りの方へなにとぞ福音とならんことを願っています。

網膜色素変性症の場合、環境を暗くする必要があり、急遽店舗のシャッターを下ろし装着テストした状況が下記画像からおわかり頂けるかと存じます。

ぶっつけ本番で撮影したため見苦しい点はご容赦願います。

動画は下記写真をクリックすると別ページが開き動画が再生されます。

装着後直ちに本スマートグラス購入を娘さんは決定、発注済み。

グーグルアドグランツ悪戦苦闘記

グーグルアドグランツ悪戦苦闘記

 

 NPO法人になるといろんなメリット、寄付金を受けられ国が特定非営利活動法人として認定を受けると慈善事業に準ずる対象として著名な企業から寄付などを受けられるとインターネットで知り、2017年の秋NPO法人になることを髙田会長に進言し特定非営利活動法人申請に賛同して頂き実行に移していただいた。髙田さんは幾度となく所管の大阪市にご足労いただき、実に手間のかかる定款作成、事業計画書など苦労して作成され提出して頂いた。数ヶ月の期間を経てようやく受理され特定非営利活動法人として承認を2018年4月2日付けで受け国の認める法人登録に至った。

 

 この傍ら2月か3月ころ、言い出しっぺの重たい責任が生じ早速アドグランツ承認の作業に取り掛かろうとした。甘く単純に法人申請すれば簡単に申請出来るだろうと素人考えでいた。物事には道理があり薄っすらと闇雲に誰にでも申請できるものではないだろうとは思っていたが・・・早速、やりかけた途端「法人登録番号」という暗礁に乗り上げた。これがないと何もできない。

 

グーグルのNPO支援に関する情報

「Google Ad Grants の仕組みは Google AdWords オンライン広告配信サービスと同じで、非営利団体を検索しているユーザーをターゲットにしてあなたの団体のメッセージを表示します。非営利団体の条件を満たしていれば、毎月 10,000 ドル USD 分の AdWords 広告費が助成されます。」

 最初この一節を読んでこれは新会員募集に絶対的な効果があり会と会員に寄与し皆様に喜んで頂けると信じた次第である。

 

 ところがどっこいである・・・Google Ad Grantsを申し込もうと嬉々として申し込み着手。世界共通のNPO団体のインターネット認証、テックスープという組織がありここへ登録認証する事が先であると判明、これがないと一歩も先に進めないことがわかり、テックスープへ登録しようとしたら【法人登録番号】が必須であった。

 

 特定非営利活動法人申請申請は髙田さんにより確かにされたが、法人登録番号は申請したからと言ってすぐに頂けるものではなかった。じれったい気持ちで今か今かと毎日パソコンで法務局サイトをアクセスし登記完了し番号公示されるまで待っていた。ある日法人登録がされようやく登録番号をネットから得た。

 

 小躍りしながら早速テックスープに登録申請した。ここまでは法人番号さえあれば簡単に登録できた。

 

 一般にネット上の申請は自動迅速で間もなく登録申請が受理され、確認メールで登録完了した。テックスープにあるNPO特典の数々を読んでにんやり、「こりゃ楽勝だ」と小躍りしたのはここまで、あとに地獄がまっていた。

 

 このGoogle Ad Grantsのシステムが実に難解で厳しい。Googleにアカウント登録は有ったのであるがNPO法人として登録していないので日頃使っているメールアドレスを使ってアカウントを作ってしまった。これが以降最後まであとを引き幾度となく拒絶さればかりであった。もはやこれまでかと天を仰ぐ始末、方法がわからない。NPO団体があまりこの制度を利用していない理由がほんのりわかった。

 

 問題はアドグランツ申請に必要なテックスープで登録したメールアドレスと異なる別のメールアドレスを使用していたのが最大のミステークだった。この結果拒絶の嵐に遭遇したわけであった。一度別アカウントにメールアドレスを登録してしまうと商業使用で使われた同じユーザーだと判定され、どう変更したらよいか?どれとがリンクしているのかすらわからず苦労した。

 

 このようなネット認証で一度既存のメールアドレスを使用してしまうと、システムは同一のものとみなし条件を満たさないと自動的に却下。一度作ってしまうと取り消しが利かないらしい。仕方なく登録に使用したメールアドレスをアカウントの補助連絡先と登録したものまで削除し新たにアカウントを作成した。

 

 ジレンマに落ち、悪あがきの結果いつの間にかアカウントを4つほど作ってしまっていた。一体どれがどのアカウントか?どれがアドグランツのアドワーズアカウントか?事を起こした自分でさえもはや不明。この間既に一月が経過していた。何をやってもだめ。折を見て落ち着いてチャレンジしようと決め何度もやったが駄目だった。

 

 仕方なくどこか手助けしてくれる業者(費用は言いだしっぺ自己負担を覚悟)をネットで物色した、いない。ある日検索して漸くNPO団体でアドグランツ登録を無料で手助けしてくれる業者を偶然見つけ、そこへ丸投げを試みた。しかし、数日立ってこちらも何故か、うまく行かない様子。

 

 ある日業者からホームページにタグ付けをするように指示を受けた。「うまくいきそうだ助かった!」任せていれば済むだろうと甘く考えた。

 

 指示された作業は過去にやったことがあるのでタグ付けをしようとやおらホームページのWP(ワードプレス)管理画面でタグ付けのテキスト画面に切り替えようとした。こんどはどういう訳か?WPシステムが受け付けない。いくら切り替えスイッチをクリックしてもテキスト画面に切り替えられない=ということはタグ付けができない。ここでまた挫折。

 

 色々やった挙げ句自分には到底手に負えない。業者にワードプレスのIDとPWを渡すからNPO業者になんとかして欲しいと願い出た。しかし業者は、「タグ付けでサイトが故障した場合責任を持てないから出来ない」とすげなく断ってきた。ここでまた挫折。WPホームページの恐ろしさはプロですら嫌がる代物、タグ付けなど嫌がるのは理解できるし・・・仕方ない、気を取り直してなんとかやってみようと症状を検索し解決方法を探った。ネット上の説明ではプラグインで解決とか色々有ったが余計に難しくするばかりの方法であった。

 

 「タグ付け」とは閲覧者がホームページを閲覧しても見えないグーグルに感知させるプログラムを裏に忍ばせる作業で、特殊な書き込みがサイトの目に見えない裏の部分に書かれているものを指す。サイトがアクセスされると瞬時に検索エンジンが感知し反応すると言った簡単なプログラムである。これをトップページの指定された場所とランディングページにタグ付けする(要するに前と後ろに)ように指示を受けたわけで、これが出来ないと一歩も先に進めない。

 

 一旦この作業は諦め、しばらく頭を冷やしてネット検索で原因を調査していたら過去に入れた別のプログラム(プラグインと呼ぶ)が動作を止めている可能性に気がついた。そのプラグインを停止すると、突然テキスト形式に切り替えることがやっと出来た。黒い雲が晴れ始めたような気分だった。

 

 今度は別の自分の知識上の問題に気づく、ヘッダーとボディの後ろにタグを書き込めと指示されているが、ヘッダーとボディの表現がNPO業者の書いたのと違っておりサイトを壊しそうな気配におののきながら、こうなれば危険を冒す以外方法がないと觀念。それに似た表現のものを探しおっかなびっくりだが誤っていれば書き直せばよかろうということで早速作業を完了した。メールで業者に連絡し動作確認したところタグ付けは問題はなく書かれているとメールで返事が帰ってきた。やれやれである。

 

 ところが数日して承認されたかと問い合わせたところ、駄目だった。

 

 自分のやったことは自分にしかわからない。やはりアカウントの設定にミスがあると感じ、矛盾を起こしているメールアドレスを削除し新しくアカウントをグーグルの手順書をじっくり読みながら再作成し再度登録依頼を業者に依頼した。

 

 今度は業者がある程度宣伝分などの書式に手を出せるよう、業者を管理者として登録(当たり前だが主体になる者が許可しないと外部から手出しできない)した。

 数日後業者が作成した宣伝の番号を自身の番号と関連付ける作業をしろという指示がメールであった。おそらくこれをすればうまくいくだろうと期待。しかし専門的にやっている者は簡単にわかるだろうが、藤四郎の知識では画面のどのどの位置に番号を書き込むのかわからない、また業者に連絡した。馬鹿らしい質問なのだろう返答がない。仕方なく論理的にこうなるだろうと思われる番号打ち込みを冒険して入れてみたところ画面がアクティブになった。チェックを入れて送信をクリック!システムに受理されたとの画面表示。

 

 しばらくしてグーグルから登録が受理され申込みはアクティブになったというメールが着信した。この間既に約2カ月が経過、作業をする時必ず気合を入れ「今度こそは!」を何度やったかわからない。

 

 アドグランツ承認がされて、業者へお礼とこの先どうするか?質問するも返答がない。だが肝心の広告がされていない!仕方ないので仕事の合間を見て今度は主催者であるグーグルの担当サポートへ電話し解決しよう考えた。しかしサポートを受けるにはご存知かもしれないが相当待ち時間がかかり、電話で画面確認や入力などかなり暇がいるため、よほど時間に余裕があるときでなければ出来ない。2時間ほど時間をあけられる機会を狙ってまた数日たった。来客や電話問い合わせ回答などで時間が取れなかったからである。

 

 思い立ってからまたズルズル時間は経った。やっと数日後時間に余裕ができたのでグーグルのサポートに電話をかけて設定に間違いがないか確かめたところ、「ほとんど完了しています。しかしユーザーによる最後の確認がされておらず宣伝が開始されてません」とのことで・・・

 

 言われるまま登録された画面を開けたところ、今までになかった確認画面がトップ表示され確認のリクエストが出ていた。チェックを入れるようになっていたのでチェックを入れ送信をクリックした。一緒に作業していたグーグルの担当者が「手続きが完了しました」と嬉しい返事があった。最初電話口に出た女性の声から憶測してかなり若い女性で大丈夫だろうか?思惑と違い実によく理解している担当者であった。この間のやり取りは、2カ月掛かって四苦八苦したどり着いた最終段階で約20分程度のやり取りであった。苦労が報われた感動的な瞬間だった。

 

 サポート担当者曰く、「支払い方法には一切手を触れないでください」と警告を受けた。支払い情報でクレジットカードなど入力するとシステムが無料でやっている広告の費用を請求する場合があるとのことで無料提供を受けている限度額いっぱいの宣伝設定を行っておりで毎月10000ドル言い換えると120万円も請求されたら・・・おぞましい限りではある。

 

 

 一旦完了したということで電話を切って、確認を行ってみた。キーワードを検索画面に入力し検索したところ所定の検索結果のトップページの上段に我が会の会員募集の広告がなされていた。成功である。

 

 検索キーワード設定は、iPS 治療、黄斑変性症、加齢、歪み、見ようとするところが見えない・・・など考えられるキーワードを散りばめてある。オーディエンスすなわち目で苦しむネット閲覧者が検索で我々の患者会が存在し新規会員募集中で有ることを知ってもらうのがこの宣伝の趣旨である

 

 未だアドワーズエキスプレスの設定は勉強中で詳しく十分に理解したとは言えないまでもこれ以外に設定したキーワードで広告がなされており機能していると実感している。言い出しっぺの当初の目的は達成できただろうと考えている。これ以外に制限のないNPOユーチューブ利用(目の不自由な方へ情報伝達の有効な手段となりうる)、マイクロソフトのオフィス365利用などの利用展開を開始している。

 

 

平成30年6月20日

星野 龍一