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アメリカ人の親切

アメリカ人の親切

ワシントンの桜

アメリカ生活2年目、1994年4月のことであった。バージニア州にある会社と技術提携の話を進めていた。その会社はWinchesterという南北戦争の激戦地にあった。北軍と南軍が毎日のように入れ替わった所である。首都ワシントンから車で北西に約80キロメートルの所にある。その会社で打ち合わせのために金曜日に訪問することにした。

週末はワシントンで過ごし、ポトマック川の桜を撮る計画である。そのため少しばかり高級なカメラを買った。ワシントンの空港に着いたのはお昼時であった。軽食の店の前でカメラの入ったショルダーバッグを椅子の上に置き、何を食べようかとショーウィンドーのメニュウを見ていた。一瞬の出来事だった。気の付いた時にはショルダーバッグが消えていた。ワシントンはアメリカの首都である。世界の首都といってもよい。世界で最も安全な都市と思い込んでいた。置き引きに遭うとは夢にも思わなかった。

訪問先に着くと、真っ先に被害に遭ったことを話した。それを聞いた社長が「アメリカ人として大変申し訳ないことをした」と犯人でもないのに謝ってくれた。その上、打合せが終わり帰る時に、「お詫びのしるしに」と新品のカメラを渡してくれた。

写真はそのカメラで撮ったワシントンの桜である。やや色あせているが、フィルム写真だから仕方がない。ぼくにとっては貴重な写真で、額に入れて書斎に飾っている。これを見ると、いつもアメリカ人の親切を思い出す。

 

 

 

 

Wonderful

デトロイトに赴任して3年目、1995年4月阪神淡路大地震の年のことである。自動車用電子部品を製造する工場の予定地ミネソタ州に出張する日々が続いた。ミネソタ州はカナダと接し、ミシシッピ河が流れ出す源でもある。古い世代であれば「ミネソタの卵売り」という歌謡曲で知られた馴染みのある州である。

ミシシッピ川の洪水

ミシシッピ川の洪水

 

週末を利用してカナダ国境までレンタかカーでドライブすることを思い立った。土曜日の朝、州都セントポールを出発し途中鉱山跡に立ち寄り北上した。その夜は国境近くの湖畔のホテルに泊まった。

翌日曜日、国境沿いに針葉樹林の森の中を東へ走り南下することにした。国土の広いアメリカはどこまでも同じ景色が続く。やがて薄暗い森の中を抜けると、一面菜の花畑が広がった。そして、その前方に突然湖が現れた。五大湖の一つスペリオル湖である。向こう岸は見えない。まるで海のようであった。景色の単調な森を走り続けてきた者にとっては、水のある風景は心を和ませてくれる。この光景を是非写真に撮っておきたい。思い出として残しておきたい。車を停めるとカメラを持って飛び出した。ワシントンの桜を写したカメラである。何枚かフィルムに収めた後、車に戻った。ドアが開かない。キーを差し込んだままロックしてしまったのだ。窓ガラスを壊すわけにもいかない。携帯電話も中に置いたままで、知人に連絡する術もない。半ばパニック状態に陥った。

治安の悪いデトロイトでは、車が故障し路上に停止した場合、車外に出てはいけないというのが鉄則だ。強盗の被害に遇う危険が高まる。暫くの間、車の陰で身を隠していた。しかし身を隠したところで事態は解決しない。行動が先だ。人の助けを借りる他には解決する道はないと意を決した。

車の陰から恐る恐る出て、手を振って助けを求める合図を送ることにした。片田舎のことで、通る自動車はそれほど多くない。気付かないのか、トラブルに巻き込まれたくないのか、手を振っても通り過ぎて行く。やがて通り過ぎて行った車が引き返してきて停まってくれた。事情を話すと、次の町で警察に連絡すると言ってくれた。救われた気持ちになった。パトカー(英語ではpolice car)を待つ間も、手を振っていないのに、何台かの車が止まり「May I help you?」と聞いてくれた。

ミネソタにはノルウェーやスウェーデンなど北欧から移り住んだ人が多い。湖や森が多く気候風土が似ているため住むのに適したに違いない。寒い土地で農業や林業で暮らす人々は困っている人を見かけた時は、自然と助ける習慣が身に着いたのではないかと思う。

ほどなくパトカーが2台も到着した。薄い鉄板をガラスとドアの隙間に差し込んで開けてくれた。車を停めて助けてくれた人や警察官に何度もお礼を言った。翌日、地元の新聞社に感謝の気持ちを認めた手紙を出した。

この地方の人々は日常会話で「Thank you」というと、{Wonderful}の言葉で返す。何と素晴らしい表現ではないか。言葉だけではない。この地の人々の人情もWonderfulである。

その時写した写真である。日本であればこのような風景はどこにでも見られる。陸ばかりのアメリカでは、湖や川の水のある風景を見るとホッとする。4月も終わりに近いというのに湖はまだ氷で覆われていた。ワシントンの桜の写真とともにぼくにとっては大切な写真である。

ヨーロッパの交通システム

ヨーロッパの交通システム

ヨーロッパの玄関口

今年放送されてるNHK大河ドラマ「いだてん」。オリンピックのマラソン選手は東京の新橋から福井県の敦賀を経て日本海を渡り、シベリア鉄道でストックホルムへ向かった。

敦賀はかつてヨーロッパ大陸への玄関口であった。10年ほど前にそれを確かめるために敦賀へ来た。リトアニア駐在の外交官杉浦千畝氏が発行した命のビザで多くのユダヤ人がこの港に上陸した。敦賀から神戸や横浜に行き太平洋を渡った。またシベリアに抑留されていたポーランドの子供たちも逃れてきた。

鉄道資料館には新橋発伯林行きの切符が展示されていた。敦賀はヨーロッパへの玄関口であったことがわかる。

 

ヨーロッパの交通システム

敦賀とつながっていたヨーロッパの交通システムは国によってさまざまである。三つの類型がある。仮にイギリス方式、ドイツ方式、フランス方式と名づける。

イギリス式

日本の交通システムは、明治時代にイギリスから鉄道技術を取り入れたためイギリス方式が採用されている。すなわち複線の鉄道線路では、列車は左側を通る。自動車も同じで左側である。運転席は右にあり右ハンドルだ。

地中海に浮かぶ島、かつてはイギリスの植民地であったマルタは当然のことながら、イギリス方式である。赤いポストはその名残である。同じ右ハンドルということで、日本車が多かった。驚いたことに日本では生産されなくなったいすゞ自動車の乗用車が駐車していた。

この島は1989年 12月2~3日に冷戦を終わらせるため米ソ首脳会談が行われた歴史的な島である。

  

赤いポスト

赤いポスト

左側通行

左側通行

いすゞの乗用車

いすゞの乗用車

                 

ドイツ式

イギリスとは正反対のドイツ方式がある。自動車も鉄道も右側通行である。

ドイツのアウトバーン

ドイツのアウトバーン

ノルウェーの高速道路 

ノルウェーの高速道路

ノルウェーの鉄道

ノルウェーの鉄道

   

      

アメリカもドイツと同じである。

ヨセミテ方面へ向かう車列

ヨセミテ方面へ向かう車列

アメリカの貨物列車、とにかく長い

アメリカの貨物列車、とにかく長い

 

ところが、この中間にフランス方式がある。自動車はドイツと同じ右側を走るが、鉄道はイギリス方式である。ナポレオン時代に、イギリスに対抗して馬車は右側通行にした。その結果、ヨーロッパ大陸では自動車も右側を走るようになった。鉄道については、蒸気機関車を発明したイギリスから技術を学んだため左側になっている。もっとも地下鉄は路面電車の延長という考えから右側になっていて複雑だ。

このフランス方式を採用している国がドイツの周辺にある。スイスやチェコである。ドイツからICE(Inter City Express)という特急に乗ってスイスに向かうと、国境の小さな駅でしばらくの間停車する。走る鉄道線路を右から左に切り替える必要があるからだ。

左の写真はフランスの鉄道でテレビから撮影したものである。日本と同じ左側を走っている。右の写真はスイスに旅行した時、列車の中から撮影したものである。窓の外に線路が見えるからフランスと同じ左側であることがわかる。向かってくる自動車は右側を走っている。

フランスの鉄道(テレビから)

フランスの鉄道(テレビから)

スイス(鉄道:左、 車:右)

スイス(鉄道:左、 車:右)

  

定年後、関西や名古屋の大学で学生を前に会社員時代の経験を話す機会があった。90分授業で年に一回か多くても二回の授業であった。この時話した内容の一部である。

世の中には、選択の余地がないルールと、選択の余地はあるがどちらかに決めないと世の中が機能しないことがある。「人を傷つけてはいけない。人の物を盗んではいけない」などは前者の例である。後者の例として、「生ごみは月曜と木曜」というゴミ出しのルールや、交通システムがある。そのため、ヨーロッパの交通システムは国によって異なるのである。  

ヨーロッパの鉄道の思い出

幼児専用コンパートメント

20年ほど前、オーストリアのブリゲンツで開かれた音楽祭に行った。舞台は湖の上につくられ、オペラ仮面舞踏会が上演された。終わりには花火が打ち上げられ、劇場の舞台では見られない迫力があった。

帰りはボーデン湖畔のリンダウからローカル線に乗り、ウルムからフランクフルトまでのICE(特急のこと)のコンパートメントの指定席をとっておいた。入口の扉に「Klein Kind Abteil」と書かれた貼り紙がしてある。ぼくらの席には幼児連れの二組が占有している。何かの間違いではないか。押し問答するも席を譲ろうとはしない。仕方なく、空いた席を探したが車内は込み合っていて座れない。車掌を探したが、近くにはいない。よく考えると、「幼児用コンパートメント」という意味だ。

シュツットガルトに停車した時ホームでやっと車掌をつかまえた。ぼくらの席は他の一般席の車両に移したといって案内してくれた。ところが、そこにも既に別の乗客が座っていた。ドイツでは指定席と自由席の区別はない。空いている席には誰自由に座ることができる。それが自由席になる。座席を確保したければ指定席券を買えばよい。車掌はその客を立たせた。一息入れてしばらくすると暑さと疲れのせいか、近くの席で幼児が大きな声で泣き出した。それにつられて別のところからも泣き声が上がった。

ようやく扉に貼られていた言葉の理由が分かった。幼児の鳴き声から周りの乗客に迷惑をかけないための工夫である。

それにしても車掌はウルムで乗車した時に指定席が変わったことを知らせる工夫をすべきではないか。幼児を他の客から隔離するとはよく考えている。しかし、はみ出された乗客のサービスにまでは、手と頭が十分に回らないようだ。(2000年9月)

 

イタリアの列車の中で

旅では色々な経験をする。楽しいこともあれば不愉快なこともある。初めてのウィーンでは、すれ違った見知らぬ人から楽友協会のチケットを二枚頂いた。毎年NHKが生中継するニューイヤーコンサートの劇場である。ハンガリー交響楽団の演奏だったと思う。

定年で帰国する直前の休暇を利用してイタリアのヴェローナという町で開かれる夏の音楽祭に行った。この町の円形闘技場では毎年オペラが上演される。あいにく開演間近に夕立が降、開演が10時に延びた。上演されたのは一幕のみであったが、アイーダは迫力があった。

翌日、列車でフィレンツエへ向かった。この時も、コンパートメントの指定席をとっていた。中に入ると6人掛けの席には、すでに夫婦と子供二人の家族の他に老婆の5人が座っていた。明らかに老婆が不法占拠している。切符を見せるように言っても、目をつぶり、横を向いて知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ。

目的地のフィレンツエまでは、わずか30分のことだから通路に立つことにした。すると子供連れの父親がドアを開け、ぼくを招き入れ小学生の子供を立たせ座らせてくれた。お礼を言うと、子供の教育のためだという。スイスから来た大学教授だった。人間の二つの側面を見ることができた。教えられる旅であった。

2019年1月アンケート調査 結果

加齢黄斑変性の実態調査

 2019年1月実施 アンケート

この度のアンケートには、8割を超える51名の方から回答頂きました。ご協力ありがとうございました。

このアンケートは第7回定例会で 兵庫医科大学眼科学教室主任教授 五味 文先生 が行われた調査項目に、友の会独自の項目を若干追加し年齡や性別による差異がないかを調べたものです。

友の会への建設的なご提案や励ましをただきありがとうございました。

ご提案にはできるだけ対応させていただきます。(「要望と回答」ご参照ください)

回答者の男女別年齢別構成

会員の居住地

加齢黄斑変性症の発症

加齢黄斑変性症の型

滲出型と萎縮型の両眼の一が3名、不明の人が3名

発症した時の年齡

60歳で発症する人が多い

 

1 あなたが黄斑疾患に気付いたきっかけは何でしたか?

歪みは質問の選択肢にはなかったが、その他で具体的に記入した人が多かった。具体例は次の表

 

具体例

表の角がゆがんで見えた
テレビを見ていてゆがみがあった
左目の中に黄色いものが見え、すぐに金城の眼科へ行きました。そのときにはストレスから来るもので、三ヶ月ほどで勝手に治ると言われて様子を見ていましたが、だんだん黄色い物が黒ずみ、ゆがんでみえるようになり再度眼科に行った時に加齢黄斑変性症といわれた。  
パソコンの外枠が歪んで見えた
アムスラーチャートの歪み、最初は右目、2年後に左目
道路の中心線がゆがんで見えた
左目の左隅がゆがんで見えた
卓球をしていてボールを一瞬見失った
私の父た黄斑変性症です。左目はだいぶ以前より(たぶん15年くらい前)中心が見えないと言っていました。2年前に白内障手術をしました。その後よく見えていたのですが、最近どうも見えにくそうだなと思い受診して黄斑変性と分かりました。
道、電柱等直線であるべきものが曲がって見えるようになった

 

ゴルフ中ティーショットの際ボールが二個のように見え眼科に検査、碁盤の目が曲がって見え関西医大を紹介された

携帯がふくらんで見えたりマンションの柱や障子の桟がゆがんで見えた

TVの番組の特集でたまたまテストが放送されており何気なく試したら、右目で見たときの線がゆがんでいました。その後検診で確定しましたが、まだ編成は小さく経過観察で3ヶ月毎に検査しています。
テレビの健康番組
朝、起床時テレビの画面がゆがんで見えた
  窓枠がゆがんんで見えた
線がゆがんで見えた
段差に気付かずころんだ
運動中に見にくくなった
最初は網膜前膜で、一年経過後に加齢黄斑変性症、その後再び加齢黄斑変性症でないといわれています。

 

2 最初にきづいたときの症状を教えてください

 

3 黄斑疾患の診断を受けてからどのくらい期間が経っていますか

 

4 あなたは今黄斑疾患について治療を受けていますか

 

 抗VEGF薬の注射のタイミング

 

6 どのくらいの間隔で通院しています

 今の主治医はどのようにして選びしたか

 

性別、年齢別による特徴は見られない

 

主治医について

8 今の主治医に対する考え

 

9 今の主治医・治療に対する不満の理由 

見通しががわからないことに不安を覚える人が多い一方で、不満はない人(無記入)も多い。

 

10 現在の治療への不満の中でもっとも深刻なものは何ですか

 

サプリメント

11 黄斑疾患予防目的でサプリメントをとっていますか

 

12 サプリメントをとることで何らかの効果を感じますか

 

 

 

13 あなたが病気について情報を得るのは、以下のれが最も多いですか

 

 

14 これがあると助かると感じるものは

 

15 これから治療を受ける方に伝えたいこと

 

16 iPS細胞由来の網膜色素上皮細胞を移植する臨床研究が進んでいます。実用化された場合、治療を受けたいと思いますか

 

 

17 受けたいと思わない理由

もっと確実性(よく見える)が高くならないと怖いです    (80歳代女性)

歳を取っているし黄斑以外でも色んな病気をかかえているから(80歳代女性)

何例もして間違いないと思ったとき、費用も自分で払える程度なら       (70歳代女性)

臨床研究の進行度合いの情報が少なく判断できない      (70歳代男性)

現在の治療、自身で選んだ健康食品で満足している。他の人にも是非お勧めしたい (70歳代男性)

最初医師から治療法はないといわれ、眼底をみてとても難しいと思いました

90歳代男性)

今年で84歳、大金をかけられない           (80歳代男性)

視力回復は望めないと思っているから          (70歳代男性)

難病だから仕方がない                 (70歳代女性)

自身85歳の高齢ですし費用の面で            (85歳男性)

費用、年齢   (70歳代男性

 

 

友の会への要望と回答

年会費についての提案

もし、双方で了承できるのであれば情報のやり取りをパソコンやEメールで行ったらいいのでは?と思います。ハガキや封書では郵送料の負担が大きいと思いますので(但し普段から使用している人に限ると思いますが)                     (50歳代男性)

年会費が高いと思います。            (60歳代男性)

2017年12月NPO法人に移行後、年会費を1000円から3000円に改正しました。現状は3000円でも不足するため、多くの方からの寄付や助成金で運営しています。

年会費を改正した結果、2018年の会員更新時に約10名の方が退会されました。残念な思いをしています。病気は人を選びません。黄斑疾患の人は誰でも会員になっていただく仕組みを作ることが大切だと考えています。

そこで年会費3000円が負担と思われる方には、例外的に「メール会員」とし従来通り1000円にいたします。ただし資料類は郵送に替え、原則としてメールで送ることでご要望にお応えしたいと思います。希望の方は事務局までご連絡ください。

 

話し合う場の提案

体験談の二回目三回目とどのように病気と向かい合い良い方向にいかれたのか話し合う場を提供していただくようお願いしたい。良くなっても又悪くなるのではとの不安があります。 
目がよく見えないのと身体不自由のため大阪中心でなく各地でも友の会の会合を開いて欲しい。  

友の会では、年回大阪市内で開催する定例会の他、関西各地で見学会や歩こう会を催しています。しかし、いずれも会員同士がゆっくりとした雰囲気で語り合える場がないことを承知しています。

ご提案の「話し合う場」の第一回は4月3日午後1から大阪市中央公会堂第6会議室で行います。テーマは決めず気楽に話し合う会です。名称は「二水会」で原則として第二水曜に行います。第一回は予約の都合で第一水曜になりました。会員への郵送物のお手伝いもお願いすることもあります。その節はご協力のほどよろしくお願いいたします。お菓子やケーキの持ち込み大歓迎です。会費は500円。

大阪以外での開催は会員の7割が大阪府と兵庫県であることから現状では困難です。ご要望の各地で会合を開けるように、会員が増えるよう努力してまいります。

 

 

宿泊旅行の提案

年に一度くらいで宿泊旅行等を考えていただければ一人で無理な方でも助け合って出かけられたらと思います。 (60歳代女性)

一昨年、京都宮津方面への「カニ旅行」を計画しましたが、参加希望者名で実現しませんでした。

「かんぽの宿」での宿泊を計画します。赤穂と彦根です。赤穂は瀬戸内海に、彦根は琵琶湖に面する風光明媚な所です。いずれも料金が割安で料理がおいしく温泉もあります。城崎温泉も候補のひとつです。

いずれもJRで乗り換えなしで行くことができます。交通手段は参加人数や参加者の住所を考慮して決めることにいたします。

第一回は11月中旬を予定しています。月頃希望者を募ります

 

iPS細胞治療の進捗情報を詳細に報告してほしい。

iPS細胞に関する情報は今後もお伝えしていきます。

神戸理化学研究所とアイセンターの見学会(313日)には是非参加してください。

ここまで2019年1月アンケート調査記事

 

 

iPS細胞との出会い

[Ⅰ]iPS細胞との出会い

1.妻の病気

iPS細胞という言葉を初めて知ったのは2011年6月のことであった。その頃、血液がんの一種である骨髄形成症候群(MDS)という病気で入院していた妻に、毎日読み終えた日経新聞を届けていた。こうがん剤治療は効果がないとの理由で打ち切られ、延命治療としては輸血だけが残されていた。治療に専念していた妻は科学欄にまで目を通す毎日であった。その中に、東京大学医科学研究所の江藤浩之先生がiPS細胞から血小板を作り出す研究をしているとの記事に興味を抱いた。輸血で延命していることから、血液の情報には関心を持っていたようだ。

妻は研究に役立てるために寄付をしたいと言い出した。子供が大きくなってから仕事を始めたので、いくらかの蓄えがあった。自分も妻と同額を医学研究目的にと東京大学に寄付した。二人の名前が安田講堂の銘板に刻まれた。

 

 

医科学研究所の江藤先生は、その後京都大学iPS細胞研究所に移られることを新聞で知った。そこで、京都大学にも二人で寄付することにした。それから半年もたたない2011年12月に妻は亡くなった。

妻の遺産の大半を東京大学と京都大学に医学研究目的に寄付させていただいた。「一年後の生存率20%」との余命宣告をされてから、一年をはるかに超え544日も生きることができた。これは多くの方から貴重な血液をいただいたお蔭である。そうした思いから、妻が働いて残してくれたものは自分の老後に使うより、少しでも病気で苦しむ人の役に立ちたい、医学研究目的に使って頂くことが妻の遺志でもあると考えたからである。

 

昨年夏ごろ、血小板の臨床研究がいよいよ始まることをニュースで知った。少しでもお役に立てたと思うと喜びもひとしおであった。京都大学の発表によると、iPS細胞から血小板をつくり「再生不良性貧血」の患者に輸血する臨床研究は近々始まる予定であるという。             

東京大学から毎年感謝の集いに招かれている。集いでは安田講堂で講演があり、2015年ノーベル物理学賞を受賞された梶田隆章教授ニュートリノの話を聞いたことがある。

 

2012年10月8日、京都大学山中教授がノーベル賞を受賞されるとのニュースに接した。

 

山中伸弥所長がノーベル生理学・医学賞を受賞!

ノーベル財団(本部:スウェーデン)は、日本時間の10月8日(月)夕方、ノーベル生理学・医学賞を山中伸弥 iPS細胞研究所長(米国グラッドストーン研究所上席研究者)に贈ると発表しました。共同受賞者は、ジョン・ガードン卿(英国ケンブリッジ大学ウェルカム・トラスト/英国癌研究基金ガードン研究所教授)です。受賞理由は成熟した細胞を多能性を持つ細胞へと初期化できることを発見したためです。

(京大iPS細胞研究所ホームページ)

 

このニュースから8日後の10月16日、京都大学の山中教授から直々に感謝状を頂き記念撮影もしていただいた。後に、国から褒章と木杯を戴いた。毎年、この木杯で新年を祝うのが楽しみの一つである。

 

国からの褒章

 

2.加齢黄斑変性と告げられて

その翌年(2014年)8月の終わりの早朝、パソコンに電源を入れると、右側の枠が何となく歪んでいるように見えた。幸運だったのはその二日後(金曜日)に人間ドックを予約していたことである。夏の疲れかもしれないと思いつつ眼科の女性医師に「ゆがみ」を訴えると、翌週9月3日(水曜日)に検査をすることになった。9月3日、病院で診察を受けると加齢黄斑変性であると告げられ、その日の内に抗VEGF薬の注射が施された。迅速な処置であった。4年経過したが早期発見早期治療のお蔭で、日常生活は不自由するはなく、ときには高速道路を運転することもできる。

それから10日も立たない9月12日、テレビでビッグニュースが流れた。神戸の理化学研究所で加齢黄斑変性の患者にiPS細胞の移植手術を行われたというニュースである。数ある病気の中で加齢黄斑変性が臨床研究対象の第一号になったことに驚くと同時に、何かの因縁があるように思った。妻と私のいずれもがiPS細胞に係る治療を受けられる病気であることに偶然とはいえないような思いがした。明るい光が見えたような気がした。

 

3.「友の会」に参加

翌年10月に患者団体「関西黄斑変性友の会」を立ち上げ、情報収集を行い直接会員やホームページをつうじて提供する活動に携わることになった。70歳も過ぎると世の中とのつながりは次第に減っていく。大学の臨時講師のような仕事も75歳で辞めることになる。病気を通してしか役立つ方法はないとの思いからであった。それまで関西での患者に対する支援活動は、東京を拠点に活動していたAMD Internationalの神谷和子さんと大阪市内で眼鏡店を営む星野龍一さんがされていた。お二人から関西で患者会を立ち上げようとの誘いを受け代表世話人の役目をお引き受けすることになった。

友の会発足について、神戸新聞からインタビューを受け顔写真入りで掲載していただいた。生れて初めてのことである。翌年5月にはテレビ朝日の「たけしのみんなの家庭医学」という番組から取材を受けた。階段がゆがんで見えるので、気を付けて昇り降りする話をした。テレビに出たのも初めての経験であった。

 

[Ⅱ]加齢黄斑変性とiPS細胞について

 

患者会の活動に関わるようになって、加齢黄斑変性とiPS細胞の臨床研究に関する情報を意識して集めてきた。講演会には積極的に参加し研究論文を読み理解を深めるように努めた。そこで加齢黄斑変性とiPS細胞について基本的なことをまとめることにした。

図を使った方がわかりやすいのだが、著作権のことも考え控えることにした。文章が多くなったが、最後にiPS細胞に関する情報を得られるホームページを記載したので参考にしていただければと思う。

 

1.iPS細胞とは

iPS細胞とは京大のホームページには次のような説明がされている。

人間の皮膚などの体細胞に、ごく少数の因子を導入し、培養することによって、様々な組織や臓器の細胞に分化する能力とほぼ無限に増殖する能力をもつ多能性幹細胞に変化します。 この細胞を「人工多能性幹細胞」と呼びます。英語では「induced pluripotent stem cell」と表記しますので頭文字をとって「iPS細胞」と呼ばれています。 名付け親は、世界で初めてiPS細胞の作製に成功した京都大学の山中伸弥教授です。

下3番目の写真は京都大学iPS細胞研究所の展示室に置かれた顕微鏡から撮影したものである。

 

 

京都大学iPS細胞研究所は一年に数回一般公開をしている。その時の説明によるとiPS細胞は人の皮膚や血液の細胞に四つの遺伝子(多能性誘導因子)を導入して培養する。山中教授はこの四つの遺伝子をつきとめられた。

(図は京大iPS細胞研究所ホームページより)

 

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

 

iPS細胞はそのままでは人の体に移植することはできない。例えば神像や神経など、再生すべき細胞に分化しなければならない。受精卵が細胞分裂を繰り返して人に成長するのと同じプロセスをたどる。分化誘導するためには、物質を加える。研究所の説明員によると、どのような物質を加えるかは発生学という学問からある程度推定できるそうだ。iPS細胞には人の細胞に変化していく遺伝子情報がある。

 

(図は京大iPS細胞研究所ホームページより)

NHKのテレビでは下のような図を使って説明された。iPS細胞は色々な遺伝子情報を持っている。

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

 

筋肉の細胞を作りたい時は、その部分のみを取り出すのだそうだ。

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

このような技術によって体の細胞が作られていく。番組の中で山中先生は、細胞に分化誘導させるのであって臓器を作るものではないと強調されていた。すなわち心臓であれば、心臓の細胞を作るのであって、心臓を作るのではないということだ。

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

 

 

2.臨床研究の始まり

2014年9月12日発表された加齢黄斑変性の患者に対するiPS細胞は自分の細胞から作ったものであった。自分の細胞のことを「自家細胞」と呼ぶ。

講演会で見たスライドには「自家iPS-RPE細胞シート」と書かれている。「RPE細胞」とは網膜色素上皮細胞のことで、シート状のものが移植された。

一例目は移植を果たしたが、続く二例目は遺伝子異変が見つかり移植を断念したと伝えられている。自家細胞による臨床研究は実質的に一例だけで終わった。

iPS細胞の培養に一年近くの長い期間がかかる上、安全性確認のために患者一人につき1億円とも言われる費用の問題がある。

 

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

 

3.自家細胞から他家細胞へ

この自家細胞の機関や費用の問題を解決するため、他人の細胞から作ることが考えられた。「自家細胞」に対して他人の細胞のことを「他家細胞」という。備蓄した他家iPS細胞を使えば費用を節減し時間を短縮できるというわけだ。

「自家細胞」の場合は、細胞シートが移植されたが、2017年に行われた5人の患者に対する臨床研究では「懸濁液を注射する」方法がとられている。RPE懸濁液移植手術のあと、網膜前膜除去手術が行われる。

 

「他家細胞」を用いた臨床研究については、2017年3月28日に発表があった。兵庫県内の60歳代男性に「他家細胞」から作った網膜上皮細胞による手術をしたという。新聞初めテレビで大きく報じられた。この時、神戸新聞、産経新聞、読売新聞、NHK神戸放送局から取材を受けコメントを求められた。次は神戸新聞の記事を抜粋したものである。

神戸新聞 医療ニュース   2017.3.28  21:25

 世界初、神戸で他人のiPS移植手術 理研など

神戸市立医療センター中央市民病院(同市中央区)と理化学研究所多細胞システム形成研究センター(同)は28日、重い目の病気を抱える兵庫県内の60代男性患者に、他人の人工多能性幹細胞(iPS細胞)から作った網膜の細胞を移植する手術を同病院で実施した、と発表した。iPS細胞を使った移植は、理研多細胞研などが2014年9月、世界で初めて実施して以来2例目で、他人からの移植は世界初となる。

 

 他人iPS移植 難病患者ら「研究は希望の光」

「生きる希望の光だ」。兵庫県内の難病患者らは、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使った治療の確立へ強い期待を寄せた。

加齢黄斑変性の患者でつくる関西黄斑変性友の会代表世話人の高田忍さん(75)=西宮市=は、移植の臨床研究に参加を希望する多くの患者から相談を受ける。「重症化し失明を恐れる人には切実な問題。より安く、短時間でできる方法として実用化への期待は大きい」と話した。

この神戸新聞の記事からはシート状の網膜色素上皮細胞(RPE細胞)を移植したのか、それとも懸濁液を注射したのか明確ではない。記者は、その手術内容にまで正確に理解し記事にしてはいないように思った。

産経新聞と読売新聞は次のようなコメントを掲載してくれた。

(いずれも2017.3.29朝刊)

産経新聞

関西に住む患者らでつくる「関西黄斑変性友の会」(大阪市)の星野龍一事務局長は「実用化に向けた第一歩といえる。患者にとって明るい兆しになると感じている」と述べた。同会の代表世話人で、滲出(しんしゅつ)型加齢黄斑変性を患う高田忍さん(75)=兵庫県西宮市=は「実用化されても、費用面や安全性などの課題は残る。過大な期待はせず、早期発見や早期治療を促すことも重要だ」と話した。

読売新聞

加齢黄斑変性の患者ら約50人でつくる「関西黄斑変性友の会」の代用世話人、髙田忍さん(75)(兵庫県西宮市)は「iPS細胞を使った医療の実現に近づく大きな一歩だが、研究段階なので、結果を冷静に見守りたい」と話す。

 

この他家細胞の臨床研究は、次の研究機関の協力のもとで行われた。

再生医療用iPS細胞のストックを進めてきたCiRA(京大iPS細胞研究所)が他人由来のiPS細胞を提供し、理化学研究所CDBは移植用の網膜色素上皮細胞を製造する。計画では患者への移植を行うのは神戸市立医療センターと大阪大学であった。2017年3月から11月までに5人の加齢黄斑変性に患者に手術が行われたが、実際に大阪大学で行われたかは明らかではない。

 

この「他家細胞」による手術の発表から10ヶ月後の2018年1月に次のような発表があった。

他人のiPS細胞を使って網膜の病気を治療する臨床研究で、手術を受けた5人の加齢黄斑変性の患者の内2017年6月に手術した70代男性の網膜の上に膜ができ、取り除く再手術をしたと理化学研究所などのチームが発表した。失明のリスクは少なく拒絶反応もないとの説明だ。(2018,1,16)

 

他人の細胞は拒絶反応の問題があり、誰にでも使えるというものではない。ところが世の中には、血液型のO型のように拒絶反応を起こしにくい特殊な免疫タイプを持った人がいる。

京都大学では日本赤十字社の協力を得て、多くの人に適合する遺伝子をもったiPS細胞の備蓄を進めてきた。現在では日本人の40%に適合できるiPS細胞が備蓄されているという。

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

 

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

人には血液型のようにそれぞれ細胞の型がある。誰にでも提供できるというもではない。自分に合った細胞でなければ拒絶反応が起こる。

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

自分以外の人に提供できる細胞を持った人がいる。京大は日赤などの協力でこの細胞の型を持つ人を見つけ出した。4つの型で日本人の40%=4000万人をカバーできる種類のiPS細胞をストック(備蓄)している。

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

 

京都大学は、昨年12月今後iPS細胞の備蓄は外部に移管すると発表した。この決定は治療用細胞を製造・出荷する事業は研究とは異なることからなされた。(2018年12月18日)

 

4.臨床研究から治験へ

次の段階は、より多くに患者に研究対象を広げることである。昨年11月21日兵庫県宝塚市で行われた社会人対象のセミナーで理化学研究所生命機能科学研究センターの大西暁士先生が「全国の他の施設でも臨床研究を行う計画である。」と語られた。

その際は公表され、患者募集も行われると思われる。このことは、ネットで調べると高橋政代先生が日本眼科医会で講演されたスライド(2018,5,30)にも書かれている。

実用化されるためには「治験」というプロセスを経る必要がある。「多施設」による手術が臨床研究、臨床試験なのか治験なのかは今の所は発表がないのでよく分からない。

実用化されるまでには、臨床研究、臨床試験、治験というプロセスを得る必要がある。

 

ここで、臨床研究、臨床試験、治験の違いを整理しておきたい。 (以下の説明は新聞記事から引用したものである)

 

臨床研究とはどのようなものですか?

人を対象として行われる医学研究のことです。病気の予防・診断・治療方法の改善や病気の原因の解明、患者さんの生活の質の向上を目的として行われます。そこでは、長時間かけて発症する病気や、稀にしか見られない病気も対象になりますし、すでに行われている治療の効果やその予後を観察していくこともあります。医療に活用できる確かな情報とするため、患者さんにご協力いただいて行われるのが臨床研究です。

 

臨床試験や治験は、臨床研究とどう違いますか?

 臨床研究、臨床試験、治験は図に示すような関係にあります。臨床試験は、臨床研究のうち、治療や指導などの介入を行って、その結果を評価するものを言います。治験は、臨床試験のうち、新しい薬や医療機器が国の承認を得て一般の診療で使えるように、客観的なデータを集めることを目的として行うものを言います。

臨床研究人を対象として行われる医学研究

臨床試験臨床研究のうち薬剤、治療法、診断法、予防法などの安全性と有効性を評価することを目的としたもの

治  験 臨床試験のうち、新しい薬や医療機器の製造販売の承認を国に得るために行われるもの

 

5.他家細胞から「マイiPS」へ、大阪万博が目標

実用化の目標は2025年大阪万博といわれている。大阪万博のテーマは「命かがやく未来社会のデザイン」である。

大阪万博を目標に二つのニュースがある。一つは「マイiPS」で、もう一つは加齢黄斑変性への実用化だ。

「マイiPS」については、山中教授が大阪万博を目標に「マイiPS」を進めると語っている。「他家細胞」ではすべての人を対象に出来ないからだ。少し長くなるが、朝日新聞の記事を引用する。

2025年大阪・関西万博に向け、低コスト、短期間で一人ひとりの細胞からiPS細胞をつくる技術開発を進め、「『マイiPS細胞』を万博会場で披露したい」と話した。

 山中所長は、新薬が高額になっている現状を踏まえ、「これからは単に新しい治療法をつくるだけでなく、低コストで提供できて初めて成功といえる」と指摘。患者自身のiPS細胞をつくるには、現在は品質の検査などに数千万円のコストと1年程度の時間が必要だが、25年ごろには「100万円で、数週間で提供できるようにしたい」と説明した。

 同研究所で進めているiPS細胞の備蓄事業については、「ベストなiPS細胞を低コストで提供することが使命」と強調。現在は免疫反応を起こしにくいまれなタイプの人を探し出して血液を提供してもらっているが、コストがかかる。このため、狙った遺伝子を改変できるゲノム編集技術を20年ごろから導入して免疫反応を抑え、多くの人に移植可能なiPS細胞をつくる方針も明らかにした。

 

加齢黄斑変性の実用化の時期については、昨年12月神戸アイセンター開設一周年記念行事の場で、関係者から大阪万博を目標にしているとの発言がありました。最初の臨床研究から10年です。是非その頃には実現してほしいものです。

iPS細胞の臨床研究は加齢黄斑変性から始まったが、最近では他の細胞の研究が進んでいる。新聞には毎日のように新しい情報が伝えられるようになった。

(2月13日NHK総合テレビ【探検バクモン】より)

 

[Ⅲ]アンケート調査から

今年一月、友の会の患者会員61名にiPS細胞への期待度に関してアンケートをとった。

「iPS細胞由来の網膜色素上皮細胞を移植する臨床研究が進んでいます。実用化された場合、治療を受けたいと思いますか」と質問した。51名から回答があった。

 

年齢別でみると

 

 

受けたくない理由を聞いたところ、次のような理由が寄せられた。

80歳代

女性

もっと確実性(よく見える)が高くならないと怖いです

80歳代

女性

歳をとっているし黄斑以外でも色んな病気をかかえているから

70歳代

女性

何例もして間違いないと思ったとき、費用も自分で払える程度なら

70歳代

男性

臨床研究の進行度合いの情報が少なく判断できない

70歳代

男性

現在の治療、自身で選んだ健康食品で満足している。他の人にもお勧めしたい。

90歳代

男性

最初、医師から治療法がないといわれ、眼底を見てとても難しいと思いました。

80歳代

男性

今年で84歳、大金をかけられない

70歳代

男性

視力回復は望めないと思っているから

70歳代

女性

難病だから仕方がない

85歳

男性

高齢ですし費用の面で

70歳代

男性

費用、年齢

 

一日も早くこのような心配がなくなる情報を期待したいと思います。

 

 

iPS細胞の詳しいことについては、以下をご覧ください。

京都大学iPS細胞研究所のサイト

http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/

 

理化学研究所

https://www.bdr.riken.jp/jp/

 

高橋政代先生講演「再生医療とアイセンター」スライド

https://www.gankaikai.or.jp/press/20180530_1.pdf

眼底写真から思うこと (眼底画像の見方)

眼底写真から思うこと

2019年2月5日、大阪の病院で3カ月ぶりに検診を受けた。いつもと同じように視力検査の他に断層写真と眼底写真が撮影された。今回は、加齢黄斑変性の右眼のほかに正常な左眼の撮影も行われた。幸い、今回も右眼は悪化しておらず、抗VEGF薬の注射はなかった。

下の表は2014年9月に発症して以来、暦年毎に注射の回数と、次の注射までの間隔を表したものである。前回の注射は2018年5月22日で9カ月間病状は安定していることになる。2016年には一度も注射がなかったのは、発症時の治療の効果が持続していたものと感がられる。その効果が薄れ2017年には4回も治療を受けた。

2018年5月以降の最も大きな生活上の違いはサプリメント服用の有無である。効果があったと判断している。

 

2014

2015

2016

2017

2018

2019

3

1

0

1

0

    8か月➡       20か月➡ 9か月➡サプリメント

 

 

下は右眼の眼底写真と断層写真である。医師の説明によると、眼底写真の色は網膜の厚さを等高線図のように表わしたものだという。緑色は正常な厚さであることを表し、白色は薄いことを示し水が溜まっていると考えられるという。この写真からは異常がないので、注射は必要ないと判断された

 

下は参考までに撮影された左眼である。右下の断層写真も異常は見られず、眼底写真も素人目にも正常なことがわかる。

 

次の写真は前回注射した9カ月前の2018年5月22日のものである。たしかに白い部分が大きく写っている。納得して注射をして貰った。

 

ところが、念の為に一昨年2017年4月21日の眼底写真をみた。この時は注射されたのである。一見した所、2月5日の写真と大きな違いは見られない。違いはといえば、この間に担当する医師が変わったということだけである。医師の判断にも個人差があるようだ。次の検査の時に、医師の判断基準を聞いてみようと思う。

 

この時から75歳以上の後期高齢者となり3割負担が適用され45400円支払っている。生命保険の手術特約も適用されなくなり負担と感じるようになった。それ以前は一割負担であったことことに加え、生命保険の手術給付金を一回当たり50000円を受け取ることができた。天と地の差がある。

サプリメントの価格
今回、注射をせずに済んだのはサプリメントの効果ではないかと考えている。発症して4年以上経過しているのに、治療をしなくて良い状態が続いているからである。2017年には4回も注射したことと比較するとサプリメントの効果を信じたい。

サプリメントはボシュロムジャパン社の「オキュバイト50+」である。同社から直接購入すると60粒(一ヶ月分)で3780円(税込み)で、3か月分に換算すると11340円となる。ところがアマゾンから三か月分を購入すると6800円である。アマゾンは大量仕入れの価格でボシュロム社から割安で入手しているようだ。この違いは大きい。

【注意】 以上は参考事例であり個人差により合わない場合があることもあります。服用にあたっては「眼科医とよく相談して服用を決めるよう」に願いします。

(2019,02,06 髙田 忍)