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障害者手帳と交通機関の割引
障害者手帳と交通機関の割引
1.身体障害者手帳申請方法
(1)市区町村の窓口で「身体障害者診断書・意見書」用紙を受け取る
(2)病院に「身体障害者診断書・意見書」の記入を依頼する
(3)市区町村の窓口に必要書類を提出する
(4)書面等で判定結果が通知される
(5)通知が届いたら、市区町村役所に行き手帳の交付を受ける
2.さまざまなサービス
・医療費の軽減 ・税金の軽減 ・交通機関の割引 ・補装具の交付など
3.自動券売機について
障害者用の切符を自動券売機買う時、統一されておらず鉄道各社によって,押すボタンが異なります。
関西の私鉄各社は「障害者マーク」です。
近鉄は左に「障害者割引」の文字があります。京阪は障害者マークの下に「わりびき」 の文字です。大阪メトロは「福祉」の表示です。
駅員から尋(たず)ねられた場合は、障害者手帳を見せてください。
JR各社と関東地方の小田急、相鉄、京王、横浜地下鉄のいずれも子供ボタンを押します。
写真は、東京、大阪、京都の会員の方の協力で撮影したものです。
抗VEGF薬の注射について
抗VEGF薬の注射について
抗VEGF薬、なぜ注射?
抗VEGF薬の一つであるバイエル薬品のアイリーアは血管内皮増殖因子との優れた結合親和性を持つ薬剤創出目的に、ヒト免疫黒グリン(Ig)G1のFcドメインにヒトVEGF受容体(VEGFR)の細胞外ドメインを結合した「遺伝子組み換え融合糖タンパク質」から作られています。タンパク質は一般的に分子構造が大きいため、点眼では患部に散布できないので注射による投与がされている。
専門的なことを知りたい方は下記にアクセスしてください。
https://pharma-navi.bayer.jp/omr/online/product_material/EYL_PUG_201808200_153472
眼球注射針穿刺位置
角膜輪部(黒目(角膜)と白目(結膜)の境目)から4mm程度の位置です。 ※虹彩根部と網膜を避けた位置。位置は、青マーク箇所あたりとなります。
注射の深さ
注射薬剤の量
アイリーア薬剤の量は投与液量0.05ml(アイリーア薬物量2mg)
注射針の太さ
注射針は30ゲージの注射針が使われる。太さは0.31±0.02mmである。(大体ハガキの紙厚程度の直径)
参考までに採血に使われる注射針は21Gで太さは0.81±0.02mmである。
眼科を受診するときの心得
眼科を受診するときの心得
1. 加齢黄斑変性のチェック
加齢黄斑変性は「失明の怖れ」という言葉が枕詞のようにつく眼の病気です。そのため、早期発見早期治療が大切といわれています。早期に発見する方法は、片目で格子状のものを見ることです。一般にはアムスラーチャートで薦められていますが、一般家庭にあるわけではありません。障子の桟や台所のタイルでもチェックできます。
中央がかすんで見えるとか、障子の桟が歪んで見える場合は加齢黄斑変性の可能性があります。その場合は、直ちに眼科医の診察を受けましょう。
2. 眼科医の選定
どこの眼科医で診察と治療を受けるか。眼科医を選ぶにあたっては、インターネットで「加齢黄斑変性症の治療件数」で検索し、通院に便利な病院を選ぶ方法があります。あるいは、とりあえず近くの眼科医を訪ね、検査設備の整った病院を紹介してもらう方法もあります。ただし、白内障の治療件数などの実績の宣伝をしているところは避けた方がいいと思います。混雑していて待ち時間が長い所があります。
3.眼科医を受診する時
眼科医を訪ねるときは車を避け、公共交通機関を利用しましょう。出来れば家族の付き添いがあると安心です。なぜなら、受診した日に抗VEGF薬の注射をした後、眼帯をしなければならいからです。注射しない場合でも、検査のために瞳孔を開く眼薬を点すからです。
医師には、いつ頃からどのような症状(見え方)であったかをまとめておき的確に伝えることが大切です。
医師の患者に対する持ち時間は限られており、診察の時思い出しながら伝えるのでなく事前に伝えたい現在の症状など整理の上メモ書きしすべて的確に伝える患者側の努力がよりよい治療を受ける手立てになります。
4.検査について
医師が加齢黄斑変性の疑いがあると判断したときは、視力検査と眼圧検査の後に眼底検査、蛍光眼底造影、光干渉断層計検査などを行います。
視力検査は、誰でも経験があります。丸い輪のどの部分が空いているかを見えた通り答える自覚検査です。上下、左右で答えます。判断しにくい場合でも、一瞬目をつぶり開けた時に分かることがあります(涙が不足すると見えにくくなるため涙を補う)。リングがぼやけて見えていても大体空いている方向が分かればそれを答えます。視力検査の後、瞳孔を開く眼薬(散瞳剤)が点眼され、お薬が効くおおよそ20分後に眼底検査が行われます。
(1)眼底検査
眼底検査は赤い点を見つめながら行われます。かなりまぶしい検査です。瞬きしないようにと注意をされます。この検査では網膜の状態、特に黄斑を見ます。出血や血液中の水分が漏れて溜まっていないか、網膜がむくんでいないか、それらの原因になっている脈絡膜新生血管がないか、などを調べます。ただし眼底検査だけでは、新生血管の位置、大きさ、活動性を確定することはできません。
(2)蛍光眼底検査
診断確定と治療方針を決めるためには、蛍光眼底造影がとても大切です。造影剤を腕の静脈から注射し、造影剤が血液中を流れて眼内の新生血管に入ったときに写真を撮り、新生血管の位置や大きさ、活動性を調べます。造影剤にアレルギーがあったり、血圧が高いなど、造影剤が好ましくない病気がある場合には、この検査はできません。
そのため、承諾書にサインを求められます。
(3)OCT(光干渉断層計)検査
OCT(光干渉断層計)検査は赤い縦と横の線を見つめます。線は点滅しますが、多少の瞬きは問題ないようです。これは、眼底の断面を調べる断層検査です。新生血管の有無や形、大きさ、新生血管と中心窩との位置関係、網膜のむくみなどもわかります。数分で検査でき、造影剤も使いません。
萎縮型は進行がゆっくりで、治療法がないので、蛍光眼底造影や光干渉断層計を行わないこともあります。
5.治療方法
「萎縮型」の治療
治療は必要ないといわれています。ただし、「滲出型」に移行して急激に視力が低下することがあるので、定期的な検診が必要です。
「滲出型」の治療
抗VEGF療法という新生血管を沈静化させる薬を硝子体内に注射する方法が一般的です。
抗VEGF薬にはノバルティスファーマ社の「ルセンティス」とバイエル薬品の「アイリーア」があります。医療費はアイリーアの方が少し安いようです。医師はいずれかを選択して治療しますが、その理由を聞きましょう。
どんな病気でも、自分の病気の状態をよく知ることが大切です。内科で血液検査を受けたらそのデータをもらいます。それと同じように、眼科で検査を受けたら、眼底写真や断層写真をもらい、アルバムに貼っておくと症状の経過や治療の効果が確認できます。写真は医療機関によって有料のところもありますが。それほど高いものではありません。
カラー写真が眼底写真で、モノクロが断層写真です。眼底写真では、赤い部分が減っていることが一目瞭然で分かります。医師によっては、赤い部分や青い部分の質問をすると親切に説明してくれることがあります。医師とは、対等の立場で積極的に質問し納得した治療を受けたいものです。
その他にも、光に反応する薬剤を体内に注射し、それが新生血管に到達したときに弱いレーザーを照射し新生血管を破壊する「光線力学的療法」、新生血管をレーザーで焼く「光凝固法」などの新生血管を破壊することで黄斑へのダメージを食い止める外科的治療もあります。
光線力学療法の場合は、一泊入院の治療になるようです。抗VEGF薬の注射と光線力学療法が併用される場合もあります。
先進的な治療法としてiPS細胞の臨床研究が行われています。2019年4月に、理化学研究所で2017年から行われてきた5人の患者に対する臨床研究で安全性が確認されたとの発表がありました。実用化の日が来ることが期待されています。
6.診察と治療を終えて
抗VEGF薬の医療費は3割負担の場合、4万数千円、一割負担は一万数千円です。光線力学的療法の場合は十数万円かかります。
ただし高齢者の場合、高額療養費の自己負担限度額が定められています。必ずしも上記の額を窓口で支払うわけではありません。2019年8月の場合、一割負担の一般の人は、個人で18000円、所帯全体で57600円です。
領収書は必ず保管しておきましょう。一年間に支払った医療費が10万円を超える場合、確定申告すれば医療費控除の対象になります。タクシー代も控除対象になる場合があります。
抗VEGF薬の注射をした場合は、眼帯を付けるので足元が見えにくく、家族の付き添いがあると助かります。眼帯は翌日の朝まで着用し、感染予防のため三日間目薬を点します。
7.最後に
タバコは絶対に避けましょう。食べ物は緑黄色野菜を食べるとよいといわれています。これらにはルテインという成分が含まれています。黄斑部にあるルテインは、抗酸化作用やブルーライトの光を吸収するフィルターとなって私たちの目を守っています。
サプリメント(栄養補助食品)も、個人差がありますが効果があるといわれています。食物だけでは十分なルテインを摂取することが出来ません。これを補うために、サプリメントを飲んだ人は、飲んでいない人よりも加齢黄斑変性の発症率が少なく、病気の進行も25%抑えられたという報告があります。
(2019,11,11 髙田 忍)
かいま見た中国
かいま見た中国
8月30日から9月4日まで初めて中国を旅行した。目的地は武陵源と桂林である。5泊6日であったが移動日が3日もある駆け足の旅であった。初日はCathay Pacificで関西空港から香港経由長沙まで飛んだ。直行便であれば4時間で行けるが、経由地での長い待ち時間があり9時間20分かかった。自宅からホテルまでは12時間以上となる。欧米に行くのとあまり変わらない。観光地は2日と3日目が武陵源、5日目が桂林であった。この間、感じたことを写真とともにまとめることにした。
1. 中国という国
人口は14億人、面積は日本の25倍もある。台湾を含む23の省の他に、チベットなど少数民族の自治区が5つある。一番人口が多い都市は重慶市で3050万人、次いで上海が2420万人、首都の北京は2150万人と続く。
2. 武陵源
武陵源は湖南省にある。湖南とは洞庭湖の南にあることから名づけられた。洞庭湖は琵琶湖の4倍程度の大きさで、広い中国の地図では、どこにあるのか見つけにくい。上海の西南西、香港の北を結んだ線が交差した辺りにある。洞庭湖から流れ出た水は長江(揚子江)に流れ出る。長江は北上し、やがて東に向きを変え上海にそそぐ。毛沢東はこの湖南省で生まれた。詩人李白も訪れている。
観光の一日目はテレビでも報じられたこともあるガラスの橋のある天門山である。荷物検査の後、パスポートの名前入りに入場券を照合を受けてロープウェイに乗るまでに約一時間、さらに30分以上もかかる長い(7455m)ロープウェイで山頂付近まで行く。中国の奥地だから標高も高いと思ったが、1000m程度であった。
ガラスの橋を渡る時は、傷がつかないよう靴にカバーをした。
下山は何度も長いエスカレーターに乗り換えた。そこには天門洞がある。さらにエスカレーターに乗ることもできたが、景色が見えるとの添乗員とガイドの勧めで、999段の階段を下りた。しかし、階段の幅が狭く足元を見ないで降りることは出来なかった。その上踊り場がないので休むこともできず一苦労であった。途中、振り返ると巨大な洞穴、天門洞が見える。
さらにシャトルバスに乗り換え、曲がりくねった道を猛スピードで町に下りた。
翌日は袁家界や天子山風景区をハイキングした。階段の昇り降りが多く疲れた。スティックを持って行けば良かったと悔やまれる。
360メートルの三菱製エレベーターで下山した。観光客を呼び寄せるためとはいえ、世界遺産にこのような人工物を設置するのがいいのか疑問に思った
3. 桂林
桂林は広西省チワン自治区にある。湖南省の南西、香港の北西方向にある。ベトナムに近い。
約3時間半の漓江川下りを楽しんだ。沿岸の特徴のある山には名前が付けられている。九頭の馬が見える岩山には「九馬画」と名づけられていた。かなりこじつけであった。似たような景色がどこまでも続いた。途中、水上生活者の村などを通過した。
4. 鉄道と道路
長沙から桂林迄は中国高速鉄道に乗った。現地ガイドは高速鉄道のことを新幹線と称した。日本の技術によることを認めているようであった。乗車賃は三時間半の距離を二等車で179.5元(約3000円)と極めて安い。
広い待合室には優先座席が置かれている。何本もあるホームへは飛行機と同じように発車時間に近づくまで入れない。飛行機の優先搭乗のように優先改札が認められ、その中には軍人が含まれていた。軍人は災害時などに役に立つ人という説明であった。
座席は1列に5席があり番号は1A、1B、通路を挟んでC,D,Eと新幹線と同じである。最高時速304キロを出していた。広い中国で直線の線路を敷くことが出来るからだと思う。
日本の新幹線と異なるのは、乗車券に旅券番号と氏名が記載されること、改札に先立ちパスポートと荷物検査が行われることである。飛行機に搭乗する場合と同じである。ガイドからハサミや爪切りは車内に持ち込むことが許されず没収されると聞いていた。直ぐに取り出せるようショルダーバッグに入れていたが検出されず通過できた。
乗客の中に召集された兵士が赤い大きなリボンを付けて乗っていた。
招集さ
ガイドの説明によると、少数民族が住む地域を発展させるために今後も建設が進められているという。現在の総延長距離は約8万キロである。乗客数が増加しているため、2階の列車を開発中だそうだ。それにしても、すれ違う列車の本数は少なかった。日本のように4分おきに走らせるシステムは出来ていないようだ。
5. 道路
中国の自動車販売台数は最近伸びが鈍っているが、2019年2800万台の販売が予想されている。アメリカより多い世界最大の自動車国である。自動車が多いため高速道路が整備され、分離帯には百日紅などの木が植えられている。
日本車も多く見かけた。故障しないため人気があるそうだ。写真はサービスエーリアの駐車場で撮影した。前の2台、その後方の2台も日本車であった。
高速道路の案内標識は中国語と英語の表記がされていた。英語の場合、日本では固有名詞の後に、例えば「橋」のことを「Hashi」とローマ字で書かれていることが多い。中国では「Bridge」となっていて外国人にとって、親切な表記である。日本と同じように車間を表す0m、50m、100mの標識があった。もしかすると日本の仕組みを採用したのかもしれない。運転マナーはウィンカーを出さないで急に車線変更し、車間距離も短い。その注意の看板が目についた。
長沙は湖南省の州都で人口は950万人である。経済が豊かな都市であるためかバイクはあまり見かけなかった。
ウィンカーを出さないで頻繁に車線変更する車があり運転マナーは良くない。バスの運転手は追い越しの時、警報音を出して知らせていたが煩く感じた。
しかし広西チワン自治区の少数民族が多く住む桂林では、経済格差がありバイクが群れを成して走っていた。車道は自動車とバイクは分離されている。環境保護のためほとんどが電動バイクだそうだ。中には後ろに子供、前に赤ん坊を抱きかかえて3人乗りのバイクを見かけた。ヘルメットの着用は義務付けられていないようだ。
6. ホテル
5泊の内、長沙で一泊、武陵源のある張家界と桂林でそれぞれ2泊した。いずれも高級ホテルで快適に過ごすことが出来た。施設は威容を誇るように大きなものであった。
外国を旅行して困ることの一つがバッテッリーの充電である。国によってコンセントの形状が異なるので、色々な種類のアダプターを携行する必要がある。しかし、中国ではどのホテルでも複数の種類の差し込み口や写真のような延長コードが置かれていた。
部屋のテレビは、中国製はなく韓国やヨーロッパのPhilip製であった。トイレ、風呂は日本のTOTO製であった。どのホテルにも体重計とペットボトルの水が置かれていた。
普通、机の中には聖書が置かれていることが多いが、張家界のホテルには赤い表紙の中華人民共和国憲法が置かれていた。
桂林のホテルではロビーを会場にして結婚式の披露宴が行われていた。招待客の服装は、親族以外は平服でもよく、中にはTシャツに半ズボンの男性やジーンズ姿の女性がいた。職場から駆け付けるためだとのガイドの説明であった。
7.食事
ツアーの参加者は60歳以上の8名で、一つのテーブルを囲んで中華料理を食べることが多かった。地域によって料理には特徴があるという。土家族の住む張家界ではお椀にご飯とスープを入れる猫飯であった。桂林では米の粉で作ったビーフンが特徴である。ビーフンは秦の始皇帝の時代からの伝統料理だという。
張家界の少数民族が経営するレストランでは入り口で歓迎を意味する酒がふるまわれた。テーブルに着くと代表者が店から出された酒を飲み干すことが求められた。
正直のところ、連日の中華料理には飽きてくる。鶏肉や魚は骨付きで食べにくい。日本で中華料理というと炒飯、焼きソバであるが、色々なものを混ぜるのは料理とは言えないそうだ。食器の扱いも荒く欠けているものが多かった。添乗員が持参したふりかけは美味しく頂いた。
ビールの価格は銘柄品の青島、地ビールのいずれも中瓶で30元(約500円)とほぼ日本並みの価格である。統制価格かと思うほど、どこでも同じ価格であった。
7. 文字
中国は建国後、簡体文字を使うになった。日本の当用漢字のように簡略化された。「国」のように同じ文字を使う場合もあれば、「機」が「机」になっていたりする。しかし、おおよその見当がついた。同じ文字でも「小心」は心が小さいではなく、「気を付けよ」の意味である。英語が併記されているので意味が分る。
入口と出口は日本語と同じである。トイレは「洗手間」「公共ヱ生間」となっていた。「ヱ」は「衛」の簡体字である。関空から乗ったリムジンバスは後方にあるトイレのことを「厠所」としていたが、中国でこの言葉を見かけたことはない。
男女別の英語表記は男性がMale,女性Femaleとしているところが多かった。
最終日に宝物の博物館を訪れた。二枚の看板が掛かっていた。前には「藝術」、後方には「藝朮」となっている。日本では「藝」を「芸」に簡略化したが、反対に中国では、難しい「藝」を残し「術」を「朮」にしている。
8. お金と支払い
中国のお金の単位は元である。8月30日の関西空港での両替レートは1元が16.43円であった。人民元安と円高の効果であった。100元、50元、10元のお札が渡された。中国国内で買い物した時、お釣に1元、5元のお札が渡された。日本やアメリカ、ヨーロッパのようにコインがあるのかわからない。
しかし、現在の中国では現金が使われることはなく、ほとんどスマホ決済である。およそ7割の人がスマホで支払っているという。関空行きのリムジンバスの切符を買う時現金で支払い、紙の切符を受け取った。長沙の空港の市内行きのバス停には、行先ごとのQRコードの案内板があった。かなり進んでいるようだ。
9. 発展する中国
至る所で建物や道路が建設されている光景を見た。すでに経済力は米国に次ぐ世界二位である。ますます発展する力強さを感じた。初めて見た長沙の町は高層建物が立ち並び30年以上前に見たアメリカのニューヨークかと思うほどであった。
今年で建国70周年になる。至る所に政治スローガンが書かれていた。
一番よく目についたのが社会主義価値観である。富強、民主、文明、和諧
など十二の言葉が並ぶ。小学生が覚えるそうだ。右の富強以下の四つは国家、真中の自由以下は社会、最後の愛国以下は公民(国民)の価値観である。国家目標が富強というと明治政府の富国強兵政策を思い出させる。
日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。
10. その反面
発展する中で、環境問題が気になった。毎日、曇り空の日が続いたが、同じ曇りでも日本とは違って、どんよりと靄が掛かっていた。高層ビルの写真からも分かる。
人々は親子の会話でも大声でする。店では売り子がマイクを付けて呼び込む。観光地ではガイドがマイクを使って大きな声で説明をする。とにかく、どこへ行っても騒々しい。
タバコの場所は指定されているが守られていない。トイレは煙草の煙で充満し臭い。高速道路のサービスエーリア(服務区)には下の写真の貼り紙があった。バスの運転手はガソリンスタンドでタバコの吸い殻を捨てた。
禁止吸煙、禁止随地吐痰など
ガイドに「痰、唾を吐くな」の注意書きを見たというと、これはアフリカから来た人に対するものだとムキになって反論した。それでも、ゴミが散らかっているという印象はなかったが、シェア自転車が沢山放置されている印象を受けた。
中国は革命後10数年を経った頃、革命の成果で、「ハエ一匹いなくなった」とのニュースが伝えられた。それから、70年経った今年、クルーズ船の中でも蠅が飛んでいた。
しかし、国が豊かになると清潔で衛生的な国に発展し、人々のマナーも改善されるのではないかと思う。とはいえ、至る所に政治スローガンが溢れ、行く先々でパスポート、名前入り入場券と荷物検査をされると監視社会を旅行しているようで息苦しい。
11. その他ガイドの説明
長沙では65歳以上には無料のバス乗車券が配布される。老人が空調の効いたバスに乗り一日を過ごす。
以前は、役人に賄賂が必要であったが、今は一掃する運動が行われている。
さいごに桂林の女性ガイド李さんが語った言葉が印象的であった。中国は5千年の歴史がある。10数年間の日本との不幸な歴史に拘っていては、国は発展しない。
髙田 忍(2019,9,8)
名称変更について思うこと
名称変更について思うこと
多彩な人材
2015年10月、主に関西在住の会員20数名で発足した関西黄斑変性友の会は、活動内容の充実が充実し、中でもホームページによる日常的な情報発信を務めてきた結果、グーグル検索のトップに掲載されるようになった。
特に抗VEGF薬の注射で手術している写真はこれまでに約4万件のアクセスがあった。患者やその家族だけでなく医療関係者も閲覧されているようで、その紹介で入会する人もいる。その結果6月10日現在の会員数は73名となった。「病気は人を選ばず」で全国から多彩な人材を会員に迎えるようになり、当会の貴重な財産となった。(8月26日現在79名)
このように会員が全国に広がってきた状況を考えると、会の名称の「関西」は地域団体の印象を与える。むしろ、関西ではiPS細胞から作った網膜細胞を移植するなどの先進的な臨床研究が行われている。関西こそ全国の中心ではないかとの思いから、「NPO法人黄斑変性友の会」に変更することに決定した。
6月10日臨時総会を行った。会員総数の過半数を超える55名(委任状を含む)の出席があり、満場一致で賛同を得た。ただし課題も残った。実際に出席した人数はわずか21名で、過去の出席数と比べると下から二番目に少ない人数であった。また、返信用はがきに切手を貼っていたにも関わらず出欠の回答のない人が11名もいたことであった。定例会をより魅力的にするなどの工夫が必要かもしれない。
役所の仕事
法人名を変更するについて、3月に大阪市役所のNPO法人担当に手続きを聞きに行った。係の人から70ページ(付属ページを含めると82ページ)もある「特定非営利活動法人(NPO法人)運営の手引き」という冊子を手渡された。
臨時総会の数日前に、用意した申請書類のチェックを受けるためた窓口を訪れ、確認することにした。会の名称は定款の第一条に規定されているので、定款の変更手続きをすればいいと考え、「定款変更届書」(第6号様式)に変更内容と理由を記載し、「議事録」と「変更後の定款」を添えて持参した。
ところが、「名称変更」の場合は、「定款変更認証申請書」(第5号様式)が正しい手続きであるとの指摘を受けた。どちらも、書類に記入する内容は変更内容と変更理由のみで同じであるにもかかわらず、異なる書類を用いる仕組みになっている。
総会の翌日、窓口を訪れ書類を提出した。すると、窓口にああ現れた女性係員が開口一番「予約しましたか」との応対である。それならば、事前に「予約をとってから来るように」といえばいいのに、役所とはこんなものか。
お役所の仕事は事前に丁寧に説明すればいいのに、いつも後から問題を指摘する。
一応書類を預かってくれたが、代表者の印は個人印ではなく、法人印であるとの指摘を受けた。たしかに70ページに及ぶ説明書には「法務局に届けた印」と書かれていた。しかし、申請する書類にも「法人印」との記載があれば、迷わずに済むではないか。
この法人印も、山梨県の会員の方に無料で作って頂いた。多彩な人材は何物にも代えがたい当会の貴重な財産である。
もっとも、議事録には署名・押印するようにと注意が書かれていたが、実際は自筆ではなく予め印字したものを提出した所、受理された。規則と異なるではないか!
翌日、法人印を押印した書類を再提出した。市役所には結局4回も足を運んだ。
たのんまっせ、市長さん
申請書類の選択や記入方法、押印する印鑑の間違いは私だけではあるまいと思う。市役所の係員は、間違いの傾向を把握しているはずである。申請者には、70ページの冊子を渡すときに、注意すべきポイントにマーカーで示して説明するくらいの親切心が欲しいと思う。
民間会社であれば、事務改善の提案制度があり、優秀な提案には報奨金が支払われ、日夜改善の努力をしている。お役所には改善という意識はないのだろうか。
大阪府と大阪市の一体化が検討されているが、市民に身近な書類の一体化を提案したい。書類の具体的な一体化の案を示します。参考にしてください。
それにしても気がかりなことが一つある。府と市が一体化された場合、大阪市のNPO法人はどうなるのだろうか。新たに申請が必要になるのだろうか。。。
認証から登記変更届まで
6月11日、臨時総会の翌日に提出した定款変更認証申請書は一か月間の閲覧期間を経て、ほぼ2カ月後の8月19日に認証された。翌20日に市役所で認証書を受け取り、大阪谷町二丁目にある大阪法務局へ変更登記するために訪れたた。相談窓口の女性に、登記変更のために必要な書類は何かと質問した。女性は、そのような相談は予約が必要だという。訪問した時間は午前11時30分で、予約できたのは2時間後の午後1時30分であった。
質問の内容は簡単であるから、その場で答えられるはずである。2時間も待つわけにはいかない。予約をキャンセルし、自宅に戻り法務省のホームページで調べると「名称変更」の用紙をダウンロードした。添付書類として、市役所の認証書、総会議事録、定款の三つが必要であることが分かった。
このような基本的な手続きは、窓口で説明できるようにしてほしいし、そうでなければ説明書の閲覧が出来るようにしてほしい。民間がこのような対応をすれば、お客は離れていくと思う。
翌日、受付窓口に行くと添付書類は全て原本が必要という。一応受理されたが、総会議事録の原本は市役所に提出してある。市役所から原本を借り受け、法務局に再提出した。すべての手続きが終わったのは8月27日である。
ところがその場で登記事項証明書をもらえるわけではない。翌日の28日であった。結局法務局へは4回も足を運んだ。
これですべて完了というわけではない。市役所に「登記事項証明書提出書」という書類を市役所に、登記事項証明書とその写しを添えて提出する。これは郵送でもよい。
とにかくお役所の仕事は手間がかかるものである。