GO TO 佐 渡 島
1.GO TO ト ラ ベ ル
新型コロナウィールス感染の心配で国内旅行を1月以来控えていたが、GO TO トラベルを利用し、11月19日から二泊三日、感染者の出ていない佐渡島(新潟県)を訪ねた。伊丹発新潟行JAL は客室定員130人のほぼ満席で、人の移動が始まったことを実感した。この日、全国の感染者が2000人を超えていた。
新潟港から佐渡島へのフェリー改札口付近の光景で、ツアー客は密集状態である。乗船時間は2時間30分であった。
ツアー参加者にはクーポン券が配布され、地元の酒や海産物を買った。
2.空路、伊丹から新潟へ
伊丹空港を離陸すると、間もなく左へ旋回する。見えてくるのは昆陽池である。古く弘法大
師が彫ったといわれている。下に池にある島は日本列島を象ったものである。
さらに飛行機は左に旋回し北上する。桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる上空を通過する。
まもなく琵琶湖上空にさしかかる。琵琶湖から流れ出す川は瀬田川で、京都府に入ると宇治川となり、他の河川と合流して淀川になる。北上するにしたがい、雲が多くなり琵琶湖大橋より北は見えなくなった。
やがて降下を始め、米どころ新潟、刈り取りの終わった田園を見ながら新潟空港に着陸した。所要時間は1時間であった。
3.佐渡島
面積は沖縄本島に次ぐ二番目で淡路島より広く、琵琶湖の面積より狭い。人口は逆に淡路島の方が多く13万人、過疎化の進む佐渡島は57千人である。
佐渡島といえば、朱鷺、金山を思い出す。
野生の朱鷺は全国に450羽いるそうだ。トキの森公園で人工繁殖が行われている。
関ヶ原合戦の翌年(1601年)金山が発見され、徳川幕府の直轄地、天領となり財政を支えた。石見銀山などから奉行が派遣されたという。江戸、大坂など全国から無宿人、博徒、罪人などが働かされた。労働環境は悪く、4~5年で珪肺にかかり亡くなっていったと伝えられている。一時は全島で10万人、金山関係で5万人いたといわれている。
明治時代に宮内省の所管になったが、明治22年に三菱に払い下げられた。戦後、昭和27
年に廃坑になった。当時の施設が残されている。地元では世界遺産登録を目指している。
金鉱山の出口にあった、紅葉は見事に真っ赤に染まっていた。今年見た紅葉の中では最高であった。
佐渡といえば、忘れてならないのが芭蕉の句である。奥の細道に詠まれている。
荒海や佐渡に横たふ天の河
写真は島の西側で撮ったものである。かなりの波しぶきであるが、まだ穏やかな方だそうだ。
天の川を期待したが、雲が広がり見ることはできなかった。その代わり、19日は月と火星が近くに見えるというので撮影した。上の方にある、かすかにみえる点のような星が火星である。
このほかに佐渡島ならではの光景がある。他の中にある袋はもみ殻で、土壌改良に使われるとのガイドの説明であった。
北半分の島を大佐渡、南半分を小佐渡という。大佐渡の西側には柱状節理という火山性の岩石でできた断崖絶壁が多かった。
4.旅の終わり
佐渡から新潟へは高速線で戻った。所要時間は1時間と少しであった。
新潟港には先に出発し、後から入港したフェリーが停泊していた。その上に虹がかかっていたので、思わず撮影した。
(2020年11月22日、髙田忍)