北の島 南の島
70歳までに仕事や観光で47都道府県の内、45の都府県に行った。残っていたのは北海道と沖縄である。北海道には5年前の6月初め、沖縄には今年12月に旅し、目標を達成することができた。北海道では礼文島と利尻島、沖縄では宮古島を訪ねた。この二つの島は約3000キロメートル離れている。
礼文島
礼文島の名を知ったのは小学校5年か6年の国語の教科書である。この島で金環日食があったことを知った。調べてみると昭和23年5月9日のことである。それ以来この島の名前を忘れたことがなく、どんなところかと興味を持ち続けてきた。大阪空港家から羽田で乗り換え、稚内まで飛ぶ。稚内から船に乗った。
早朝に稚内港を出港し昼前には島に着いた。昼食は、うに丼ぶりで新鮮で美味しかった。
バスで北の方に進むと、ここが金環日食を観測した場所との説明があった。また島には信号が一つしかないとのことであった。
写真は礼文島の中で絶景ポイントといわれる澄海岬(すかいみさき)である。曇っていたので海の青さが見られないのが残念であった。
花の島
名前は調べていないが、6月上旬のことで、高山植物系の花が咲き乱れていた。
利尻島
礼文島の南に利尻島がある。そこには利尻富士が聳えている。ニシン漁が盛んだったころ、北陸をはじめとして本土から人々が漁師として住みついた。かつては栄えたところである。
利尻昆布でも知られている。
宮古島
宮古島はサンゴ礁が隆起してできた島で、島全体が珊瑚の石灰岩に覆われていまる。石灰層は水が浸透する速度が早いため宮古島には川がない。ダムも地上にはなく地下ダムである。高い山もない。
台湾まで400キロメートル。樺太まで40キロの礼文島とは異なり緊張感はなかった。
サトウキビ畑
関西空港から直行便があり、約3時間かかった。空港を出ると、一面サトウキビ畑である。穂がまっすぐに伸びると収穫時期だそうだ。苗を植え付けたばかりのものや、収穫間近のものが混在していた、おそらく農作業を分散させるためではないかと思った。
島全体が石灰岩のため、水田でのコメ作りができない。日本酒も本土から運ぶことになるので高価な飲み物であった。
青い海とサンゴ礁
何といってもすばらしいのは青い海である。。川がないので泥や土が海に流れ込まない。地中海やエーゲ海より青さが澄んでいるように思った。島の周りの黒っぽいのがサンゴ礁。白波が立っているところもサンゴ礁で浅くなっている。防波堤の役目も果たしているそうだ。
サンゴ礁の魚
水中観光船に乗り45分間、海中の様子を見ることができた。海岸から100メートルもない所にサンゴ礁があり、たくさんの魚が泳いでいた。ウミガメも姿を現した。時々息をするために水面に出て来る。
巨大な鯵が船に近寄ってきた。水深は5メートルから10メートルで、水族館にいるようであった。
うえのドイツ文化村
この美しい海岸に、ドイツライン川沿いにそびえる城が立っている。名前は「文化村」だが、むしろ「友好村」の方がふさわしい。説明によると明治6年(1873年)7月12日、付近を航行していたドイツ商船が台風に遭遇し座礁難破した。村民が救助、手厚く看護して本国に帰国させた。船長から報告を聞いたドイツ皇帝ウィルヘルム2世が村民の博愛精神を称え「博愛記念碑」を建立した。その友好を記念して、1996年に城の形で記念館が作られた。日曜日というのに訪れる人は少なく、維持費が大変ではないかと心配した。
ドイツに二年間駐在したが、誰も親しく接してくれたのは、この出来事が影響しているのかもしれない。
残念ながら、和歌山沖のトルコ軍艦の救助ほどには知られていない。
花や蝶
大阪の温度が2~3度の時、ここでは20度もあった。さすが、セミは鳴いていなかったが、12月というのに草むらから虫の音が聞こえた。植物は大きく成長する。写真の赤い実はヤシの実である。大きな葉のクワズイモも自生していた。
熱帯性の花に蝶が蜜を吸っていた。蝶は飛び回るのでカメラにとらえるのが難しかった。
先祖崇拝
本土とは異なり立派な墓がある。仏教は伝来せず、先祖崇拝がこの地の宗教である。墓は家ごとではなく一族ごとにあるそうだ。骨壺は一つだけあり、次の人がなくなると、前の人は土に帰る。
(2018,12,20 髙田 忍)