ひと筆書きの冬の旅、北近江から若狭、丹後の宮津へ

ひと筆書きの冬の旅、北近江から若狭、丹後の宮津へ

 2月の3連休を利用して大阪から宝塚まで三日間の旅をした。

 

 大阪から宝塚へは30分330円で行けるところ、時計の反対廻りで北近江の余呉、若狭、丹後の宮津を三日で巡った。

 

 北びわ湖観光協会のボランティアをしている知人から、「ジビエの祭典」に誘われた。ジビエとは狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉を意味する言葉(フランス語)で、ヨーロッパでは貴族の伝統料理として古くから発展してきたが日本では一般的ではない。

 

 会場は滋県賀の湖北地方、雪深い長浜市余呉町であった。折角ここまで行くのであれば、敦賀まで足を延ばし初めて小浜線に乗ることにした。若狭で一泊、さらに丹後の宮津に泊まることに決めた。

 

余呉で地元料理

 余呉は湖北の山に囲まれた小さな村であるが、賤ヶ岳の合戦が行われ歴史の舞台となった地である。

 

 信長が本能寺の変でなくなった後、羽柴秀吉と柴田勝家その後継者を信長の次男にするか三男かを巡って争った。両軍は冬の間、二か月間にらみ合いを続け雪解けを待った。

 

 ボランティアの説明によると、先に動いたのは勝家であった。その時、大垣にいた秀吉が北国街道50キロを5時間という猛スピードで木ノ本まで駆け戻り、勝家軍を破ったという。相撲でも、がっぷり四つに組んだ場合、先に動いた方が負けることが多いと思いながら話を聞いた。相手の力を利用できるからだ。


 合戦の説明が終わると、料理が出された。前菜は地元の主婦が作った蕨などの山菜、小エビと豆、大根の漬物などの伝統料理であった。湖西に生まれた自分にとっては、昔懐かしい「菜」(おかずのこと)が沢山並べられ、母親の味を思い出しながら頂いた。



 メインの料理は熊、鹿、猪であった。

 この地方では猿を含めて害獣の被害が増えている。山に杉や檜を植林した結果ドングリが減り、動物が里に下りてきて、時には家の中に入り込むこともあるという。そこで、害獣の捕獲が許されている。


 熊は澄まし汁、鹿はしゃぶしゃぶ、猪は味噌炊きにしていただいた。熊と鹿は初めての経験であった。


 左が鹿の肉、右が猪の写真で牡丹のように盛り付けられている。

 県の職員の説明では生臭さを抜く秘訣は、全身に血が回らない内に瞬時に息の根を止めることであるという。味は、いずれもさっぱりしていて臭みはなかった。しかし、美味しいというほどでもなかった。

 

 雨模様のこの日は、あたりに靄がかかっていた。かつて何千、何万もの血が流されたところである。まるで墨絵のような世界であった。

 

三方五湖、湖畔の秘湯の宿
 北陸線余呉駅から近江塩津まで行き、敦賀行きに乗り換えた。小浜線は単線、二両編成でほとんどが無人駅であった。無人駅では先頭車両の運転士に切符を手渡して降りる。同じ放送を何度も繰り返すので、少し煩いように思った。


 宿は三方五湖の湖畔にあった。虹岳島(こがしま)温泉という秘湯である。



 宿は古い建物で、広い館内にまで暖房が行き届かず、またスリッパもなく足元が冷え、とても快適とまでは言えなかった。しかし、若狭湾で獲れた鯛や鰆の刺身、フグの天婦羅などの魚料理は新鮮で美味しかった。


 必ずしも交通の便が良いとは言えないのに、宿泊客十数名はいたと思う。会社の同僚と思われるグループ、若い夫婦連れ、年老いた親とその娘、そして自分のような一人旅などさまざまであった。送迎の運転手の話によると、福井の豪雪のニュースが流れ半数近くのキャンセルが出たという。

 

 翌朝、雨が雪に変わり無人駅で電車を待つのは寒かろうと心配したがホームには待合室があった。

宮津湾を臨むホテル
 小浜線の終点は西舞鶴駅であった。そこから東舞鶴駅まで行き、京丹後鉄道に乗り換えた。宮津駅で下車。

 

 ホテルの迎えシャトルバスは満員となり、予備の車が用意された。


 ホテルは宮津湾を臨む高台にあった。写真は8階の部屋から写したものである。


 夕食はバイキングで期待していたカニ料理もなく特徴はなく、大浴場に入り早々寝た。



 目を覚ますと一面銀世界であった。夜の間に降り積もったらしい。


 昨日は、駐車場の車が見みえたが、一晩で雪に覆われた。車の持ち主が苦労して雪を取り除いていた。

 電車の運休を心配して、早めにホテルを出ることにした。しかし、電車は遅れることなく動いていた。


 鬼退治で知られる大江山まで来ると青空がのぞいた。予定より一時間早く帰宅した。

 

 帰宅後、同じルートを一日で回れるか調べた。

 大阪駅7時45分発敦賀行き新快速に乗ると9時50分に着く。

 琵琶湖は東回りより、湖西線経由の方が景色を楽しめる。

 小浜線敦賀10時44分発に乗り、東舞鶴に12時50分に着く。同駅13時20分発福知山駅14時10分着、福知山線に乗り換え15時52分発、宝塚には17時50分に着く。


 普通列車は検札も来ないからといって、330円の切符で乗ることはできない。JRに切符には経由路線、この場合は福知山線と記載されているので、区間外の乗車は無賃乗車となる。

 正規の料金でローカル列車の旅を楽しむ方が良いと思う。

患者会で得たこと

患者会で得たこと

―私たち夫婦の体験から―

高田 忍

妻の場合

1.妻に余命宣告

 妻に病魔が襲ったのは2010年8月のことである。今でも忘れもしない8月6日、広島原爆投下の日の朝いつもより早く起きた妻が大阪の大学病院へ行くと言い残して出て行った。夜中に血を吐いたという。大阪の大学病院へ行選んだのは、10年近く感染性心内膜炎という心臓の病気で通っていたからである。

 

 三日続けて行われた検査の結果、骨髄異形成症候群と診断された。血液癌の一種で骨髄の中にある血液を造る細胞が破壊され、赤血球、白血球、血小板が造れなくなるとい厄介な病気である。大学病院の病室が満室で自宅近くの市民病院に緊急入院することになった。

 

 入院の翌日、医師は私たち二人を前にして「一年後の生存率20%」と余命宣告した。治療法はCAG(キャグ)という抗癌剤治療しかないとの説明である。事態を直ぐには受け入れることが出来ずパニックに陥った。妻はこの日の日記に「どん底」と気持ちを現わした。

 

2.患者会との出会い

 これにさかのぼること8か月、その年の1月に私は前立腺癌と診断され、京都の大学病院へ通っていた。数カ月のホルモン注に続いてIMRTという放射線照射を受けることになっていたその矢先のことである。

 

 京都の大学病院には癌支援センターがあり、そのコーナーに色々な癌患者団体のチラシが置かれていた。血液癌の患者会の集いがあることを知った。和歌山で行われた会合には家族として参加した。何人かの医師が病気や治療法についての講演をし、個別相談会では病気の説明や治療法を聞いた。製薬会社がスポンサーについていて、お土産のトートバッグをもらった記憶がある。その後、大阪本町のビルの一室で行われた患者と家族の懇談会にも参加し、お互いの悩みを語り合ったことがある。

 

3.朝ご飯一緒に食べましょう

 京都の大学病院から戻ると、妻のもとへ洗濯物を届ける日がしばらく続いた。老老介護ならぬ病病介護と自分自身に言い聞かせていた。放射線治療を受けて、さらに妻のもとへ駆けつけるのは正直疲れた。幸い、抗がん剤の効果が出て入院から3カ月後には退院することが出来た。

 

 その翌朝,妻は「これからは一緒に朝ご飯を食べましょう」と言って起きてきた。その日までは長年の生活習慣から、朝食は別々に食べていた。この日から二人で過ごす時間を増やすようにした。

 

 ところが、年が変わると再び病状が悪化し、入院することになった。治療法は同じ抗癌剤治療であるという。

 

4.ある女性のアドバイス

 同じ治療を続けて治るのか確信が持てなかった。そこで、名古屋の国立病院へセカンドオピニオンを聞きに行くことにした。名古屋を選んだのは骨髄移植で実績があり評判が良いと知ったからである。しかし結果は同じで医師の説明は変わらなかった。

 

 この時、名古屋に住む女性が同行してくれた。母親が同じ病気で亡くなったという。医師との面接が終わった後、名古屋城近くの喫茶店で女性から患者である母との接し方についてアドバイスを求めた。

 

 女性は「この病気は治らない。このことを前提に残った人生を楽しく送らせてやることが大切だ。母を温泉につれて行き、好きな刺身は火を通してたべさせるようにした」と反してくれた。この言葉は、それからの妻との接し方を考えるうえで大変参考になった。

 

5.カモミールおいしい

 その後、妻は入退院を繰り返した。治療は輸血しか方法がなくなった。医師から感染症の危険があるので人ごみを避けるように言われていた。一週間に一度の通院は電車を使わず、車で国道二号線を走り神戸の病院へ通った。

 

 輸血もなく早く終わった日にはスーパーに立ちより食材の買い物につき合った。買い物は主婦の楽しみの一つである。妻は鰤の照焼きが得意料理であった。遅くなる時は、近くのホテルに泊まり最上階のレストランで神戸の夜景を見ながらフランス料理を食べたりもした。身だしなみは女性にとって大切である。時には美容院へ送り迎えしたこともある。

 

 そうしたことも手助けになったのかもしれない。心に安らかさが戻った。妻が残したメモがある。メモには「カモミールおいしい」と書かれていた。喉に通るものと言えば、ハーブティーしかなかったのである。一年どころか、17か月、発病から544日も生きてくれた。

 

 それから、一年半後に闘病記「カモミールおいしい」を出した。

 ご希望の方には無料で差し上げます。連絡先090-6905-0872

カモミールおいしい

カモミールおいしい

 

私の場合

6.歪んだパソコンの枠

 妻が亡くなって3年経った2014年8月も終わりの頃である。いつものように早朝パソコンに電源を入れた。パソコンの枠が歪んで見える。疲れのせいかとも思った。たまたまその二日あとに人間ドックで定期検診を受けることになっていた。これが幸いした。

 

 眼科の診察室前に掲げられた医師の名前の札も歪んで見えた。医師にそのことを訴えると、早速翌週の水曜日に検査をすることになった。検査の結果、右眼が加齢黄斑変性であると告げられ、その日のうちにアイリーアの注射がなされた。

 

 白内障、緑内障なら聞いたこともあるが、こんな病気の名前聞いたことがない。一体、どのような病気なのか良く分らなかった。その後一か月おきに合計3回受けた結果、しだいに安定状態を保つことが出来た。早期発見早期治療のお蔭である。

 

7.集いに参加

 二回目の注射を受けに行った時、病院の待合室の掲示板を目が止まった。患者会の集いがあるポスターが貼られていた。早速、メールで世話役をしている東京の神谷さんに参加したい旨伝えた。中之島の大阪市中央公会堂で開かれた集いには多くの人が参加していた。東京の患者が体験を語り、星野さんの眼鏡の話もあった。早速、眼鏡の調整もしてもらった。暫く控えていた車の運転も再開した。

 

 その後、1~2回関西での集いに参加したところ、翌年の2015年5月、神谷さんと星野さんから関西でも患者会を作るので世話人になって一緒に活動しないかと打診を受けた。

 

 一つ返事でお受けすることにした。理由は二つあった。一つは妻の病気を通じて患者会の役割を知っていたからである。患者は、それぞれ医師から聞くことのできない貴重な経験を持っている。患者会を作って経験交流の場を設けることは必要なことだ。もう一つの理由は、定年後大学関係の仕事が少し残っていたが、75歳でこの仕事が終わる。しかし、少しでも世の中とつながりを持っておくことは自分自身のためにもなる。

 

 そういう思いから引き受けることにした。その年の10月に関西黄斑変性友の会が会員数20数名で発足した。

 

 第1回会合は12月に住友病院の講堂で、同病院の五味文先生から講演を聞くことから活動を始めた。

 

8.体験談集など情報発信活動に注力

 右眼は早期治療の効果もあり安定した。左眼は問題がなく、右眼をカバーしてくれるので、日常生活に不自由を感じることはない。積極的に動くことを心に決めた。

 

 患者会は医師から聞くことのできない体験を交流し合うことにあるとの考えから、それぞれの会員から体験を募り冊子を発行した。高齢者の医療制度など一般情報などをまとめた「サードオピニオン」というタイトルで出した。かなり費用が掛かり、年会費だけでは不足したので、会員の皆さんに寄付をお願いした所、多くの方から協力を頂き、大変うれしい思いをした。

 

 iPS細胞の臨床研究に関する情報も精力的に集め、会員に伝えるようにした。NHKの健康番組の情報もいち早くキャッチし、放送予定日を会員に伝えるようにもした。

 

 新聞やテレビなどの報道機関からの取材にも積極的に応じた。ホームページを立ち上げ、広く会員以外への情報発信に努めた。さらに外出を控えがちな会員のためにハイキングを企画し実施した。これには会員の家族のサポートがあった。

 

 これらの活動の成果が実り、会員は関西だけでなく、全国に広がった。そこで、5月にはNPO法人に発展させより充実した活動を目指している。

 

9.飛鳥ハイキングで学んだこと

 こうした中、昨年暮れに左目に異変が起こった。目の真ん中に薄い膜が貼っているようで字が読みにくくなった。先生に診てもらったが、加齢黄斑変性ではなく治療法はないとの診断である。右眼をカバーしていた左眼が役に立たなくなった。紙の新聞は文字が小さくて読めないの。タブレットを購入し大きな字なら読めるようになった。

 

 1月30日、好天の中、奈良県飛鳥地方のハイキングを実施した。参加者は男女各4名ずつの8名であった。古代の都を歩いた。高松塚古墳、石舞台古墳、そして日本で一番古い仏教のお寺飛鳥寺を参拝し、奈良の大仏より古い大仏との説明をお坊さんから聞くこともできた。楽しい一日であった。

 

 なによりも良かったのは、みんなで一緒に食べた昼食の時と帰りの電車に乗る前の喫茶店での懇談であった。大津から参加したFさん(男性)が話した音の出る時計やタブレットの幅広い使い方は大変参考になった。大阪から参加したHさん(女性は)、視力が0.01で杖を突きながら、支援者の助けを借りながら1万8千歩、約8キロを歩いた姿は感動的であった。それ以上にその感想の言葉が励ましになった。

 

 「眼と足が不自由な者にとっては、一番楽なのは家にいる事です。でも外出すれば、足も使えば手も使う。そして不自由な眼も使う。すると脳が刺激され頭も使うことになる。これが元気を保つ秘訣です。」

 

 大変勉強になった有意義な一日でした。

 

 今迄は日常生活に不自由を感じなかったため、主に情報を送る立場のみを患者会の中においてきたが、これからは他の人の経験を積極的に取り入れる立場も考えに入れて、悔いのない人生が送れるようにしたいと考えている。

 

眼に検査と写真

眼の検査と写真

 加齢黄斑変性の患者は、二か月から三か月に一回の頻度で病院を訪れます。


 私の場合、受付で診察カードを見せると、ほどなく検査室に呼ばれます。

1)先ず細い穴から風がと吹き出してくる眼圧検査を受け、続いて視力検査を受けます。(トノメーター 眼圧計測定)

2)丸い輪の空いている向きを検査の人に伝えます。あてずっぽうでも大体正しいようです。(視力検査 ランドルト環)

3)それが終わると,瞳孔を開く目薬が点されます。20分ほど待合室で待った後、再び検査室に入り眼底の写真が撮影されます。(散瞳)

4)非常に眩しい光を当てられますが一瞬のうちに終わります。続いて赤の縦線、横線が出てくる検査を受けます。断層写真です。(OCT撮影、OCT画像の見方

5)検査が終わり、しばらくすると診察室に呼ばれます。医師はレンズを通して眼の中を観察します。(細隙灯顕微鏡検査)

6)そしてパソコンの画面を見せながら、状態を説明し抗VEGF薬の注射をするか判断します。

 この時示される写真(OCT撮影画像)を毎回貰うようにしています。初めて受診したころは、写真をもらう考えは浮かびませんでした。ある時、内科のことを思いつきました。内科では、尿検査と血液検査を受け場合は、要求しなくてもコレステロールや中性脂肪、尿酸値などのデータをくれます。過去数回のデータを示して、傾向が分かるようになっています。医師は生活習慣の指導をします。


 そこで、発症時からその時までの写真を頂けないか尋ねたところ、快くOKしてくれました。その写真を見て納得したうえで注射の治療を受けるようにしています。


 眼科の場合は内科と違って、要求しなければ写真の提供はないようです。遠慮しないでもらうようにして経過を把握し、自分の目の状態を理解することをお勧めします。


 下の写真は2014年9月発症直後の断層写真です。素人目にも異常であることがわかります。



 次の写真は発症から2年半後のものです。このときまで4回眼球注射をし、安定していましたが、やや膨らみが出たので注射することになりました。

 内科と違って、眼科の場合は要求しなければ写真の提供はないようです。遠慮しないでもらうようにして経過を把握し、自分の目の状態を理解することをお勧めします。


 神戸市立神戸アイセンター病院「外来受診のご案内」に「患者の権利と責務」が書かれています。どこの病院であっても共通することだと考えます。検査結果の写真は「権利」の3項と4項を根拠に貰うことが出来ます。ただし権利には義務が伴うことを忘れないように。


 神戸市立神戸アイセンター病院 

患者の権利と責務


 患者さんには、医療を受けるにあたって、憲法が保障する基本的人権の尊重を要求する権利があります。一方で、医療は患者さんと医療提供者がお互いの信頼の上で協働して取り組むべきものであります。


 神戸市立神戸アイセンター病院は、医療の中でこれらのことを実現することが何より大切と考え、ここに「神戸アイセンター病院、患者の権利と責務」を制定します。

患者の権利と責務


権利
1. 病気にかかった場合には、だれでも良質で適切な医療を安全かつ公平に受ける権利があります。
2. 医療を受けるにあたっては、一人の人間として、その人格や価値観などを尊重される権利があります。
3. 病気、検査、治療、見通しなどについて、わかりやすい言葉で説明を受ける権利があります。
4. 十分な説明を受け、かつ納得したうえで、検査や治療方法などを自分の意志で選ぶ権利があります。
5. 自分が受けている診断や治療について、他の医師の意見を求める権利があります。
6. 自分が受けている医療を知るために、診療記録の開示を求める権利があります。
7. 診療中に得られた個人の情報が厳密に保護され、また、自分のプライバシーが他人にさらされず、乱されない権利があります。
8. 研究途上にある医療に関しては、目的や危険性などについて十分な情報提供を受けたうえで、それを受けるかどうかを決める権利と、いつでも中止を求める権利があります。
9. 市民の一人として健康の増進と病気の予防を自分の責任で行うため、それに必要な健康教育を受ける権利があります。

 私たちは、上に掲げた患者さんの権利を充分に尊重した医療に取り組みます。しかし、一方では権利には義務が伴います。患者さん及び家族の皆様には次のような配慮をお願いいたします。


義務
1. 医師をはじめとする医療提供者に、皆さんご自身についての情報提供してください。
2. 検査や治療について納得し合意したことを守るのは、皆さんご自身の健康回復のためであることを理解し実行してください。
3. 病院は、多くの患者さんと職員が共同生活を送る場です。他の多くの患者さんともども、会的な環境で医療が受けられるよう、病院内での規則と病院職員の支持を守ってください。
4. 医療が安全かつ適切に行われるために、患者さんご自身が医療者とともにチーム医療に主体的にかかわってください。
5. 医療の安全確保や院内感染の防止のための取り組みに協力してください。
6. 犯罪行為、迷惑、その他これらに準じる行為を禁止します。これらの行為により、当院との信頼関係が破たんした場合は、当院での診療を原則としてお断りいたします。

薬の水-巡り合った名医

薬の水-巡り合った名医

 昨年暮れに妻の七回忌を迎えた。2010年は私たち夫婦にとって悪い年であった。1月に私は前立腺癌と診断され、8月には妻が夜中に血を吐いた。大阪の大学病院へ駆け込んだが、病室が満室という理由で、自宅に近い隣町の市民病院に緊急入院することになった。骨髄異形成症候群という病気で、血液癌の一種である。骨髄の中にある造血幹細胞が破壊され、赤血球、白血球、血小板を造れなくなる病気である。医師から根本的に治療法はなく、一年後の生存率は20%と告げられた時は二人ともパニック状態になった。


 入退院を繰り返し、抗がん剤治療を二回受け終わった頃、厚生労働省が皮下注射による薬を近く認可する予定であることを知った。抗がん剤に比べ体への負担が軽く、通院で治療を受けられるという。初めに駆け込んだ大学病院では、倫理委員会の承認が必要との理由で治療を断られた。市民病院の医師は、認可されることすら知らなかった。


 妻には一刻も早く言い治療を受けさせてやりたい。こんな思いから、インターネットで治療経験の多い病院を調べ、神戸の病院でセカンドオピニオンを取ることにした。対面した医師は白髪交じりで経験豊な医師に見えた。医師によると、アメリカではすでに実績がある。認可前であってもアメリカから輸入して治療することが出来るという。病院の組織のことより、患者の身になって考えてくれた。干天に慈雨とはこのことかと思った。


 東日本大震災の後に神戸の病院に転院し、この医師のもとで治療を受けることにした。結果的に新しく認可された治療薬の効果はなく、輸血で延命を図る他に方法はなかった。


 妻は診察を受ける時、必ず何か質問するようにしていた。ある時、薬をのむ時の水はペットボトルが良いかと尋ねたことがある。白血球が少なくなり免疫力が低下していた。不衛生な水を飲んで他の病気に感染することを恐れていたのである。


 多くの患者を抱え多忙な医師は、いやな顔もせず「水道の水が最も安全です、何故なら塩素殺菌されているからです」と親切に教えてくれた。このとき、医師の表情や言葉に温かみを感じた。名医とはこういう医師のことを言うのではないかと思った。


 妻はこの医師のもとで、一年をはるかに超えさらに五か月か月も長く生き延びることが出来た。神戸の病院とは、加齢黄斑変性について、iPS細胞による臨床研究をしている神戸中央市民病院のことである。命日を迎えるたびに思い出している。       (高田 忍)

こんなに違う 冬の日本列島

こんなに違う 冬の日本列島

 東京では48年ぶりの寒波に見舞われた。1月27日、仕事で旅行する機会の少ない長女と伊豆方面へ旅をした。西宮の家を出るころは小雪が舞っていた。彦根、米原から関が原辺りは一面雪で覆われ白銀というより灰色の世界であった。

  ところが名古屋に近づくと雪もやみ青空が広がってきた。浜松を過ぎたあたりから、遥か遠くに富士山が見え始めた。 富士川を渡るとき青空をバックにした富士山を写した。

 

 熱海で下車。あたみ桜祭りが行なわれ、賑わっていた。一月に桜が咲いているのを見たのは初めてである。

 翌日、早咲きで知られる河津桜を見に行った。少し時期が早かったようだ。訪れる人は少なく、伊豆とはいえ肌寒く花見はやはり春に限ると思った。

神戸アイセンターへの乗継案内

神戸アイセンターへの乗継案内


昨年12月に開設された神戸アイセンターに行く方法は、ホームページに掲載されている。括弧内はホームページの説明である。「各交通機関から三宮でポートライナーで乗継」と簡単に書かれている。三宮には阪急、阪神、地下鉄、JRの各駅がある。1月21日アイセンターを訪れる機会があったので、初めての人にとって、分かりやすく乗継できるか確認した。

 

ポートライナーでお越しの方
ポートライナー「医療センター」駅より徒歩2分


• 各交通機関から三宮でポートライナーに乗り継ぎ、医療センター駅で下車してください(所要時間:約12分)


• 「神戸空港行き」または「京コンピュータ前止まり」にご乗車ください。「北埠頭行き」または「中埠頭止まり」は停車いたしませんのでご注意ください


• 運賃250円

 


阪急電車の場合


ホームに乗換案内がある。東出口へ進む。



エレべーターで降り改札を出る。右に行く。


5メートルほど先に左方向への矢印があり、短いスロープを上がると屋外に出る。


正面いビルがあり右へ曲がりさらに左に曲がる説明がある。
曲がって90メートルほど先に駅がある。

 

阪神電車の場合


東出口と西出口がある。西出口の場合改札を出ると通路に案内がある。

右に曲がると、直進の表示がある。



エスカレータを昇ると、右向きの矢印がある。



しばらくすると、直進の案内がある。



迷うことはない。


地下鉄の場合


地下鉄は市内の居住者だけでなく、新幹線の乗客も利用する。
改札を出ると、路面に矢印がある。薄くて見えにくい。


左方向に進み突き当りまで歩く。


そこでエスカレータに乗って地上へ出る。



地上へ出るとJR三ノ宮駅の中央口に入る。



駅構内には案内がない。逆に新幹線方向の矢印が目に入る。

駅構内を抜けると、右か左かの表示もない。そこで左へ曲がることにした。人ごみの中を歩くと表示が出た。



エスカレータで上がったところがポートライナーの駅である。

新幹線で遠方からくる人は、新神戸駅でホテルのシャトルバスを利用する方法がある。20分おきに出ている。ポートライナーの駅はホテルの横にあり、一駅で行くことが出来る。ホテルの最上階には中華レストランがあり、バイキング形式で60歳以上はシニア料金で利用できる。眺めも良い。

 

JRの場合


ホームから改札への階段は3カ所あるが、表示はない。ホームの中央にある階段又はエスカレータで降りる。中央口ではなく東改札を出る。東改札付近に案内があったが、工事中の柱に隠れて見つけにくい。




改札を出ても案内はないが右にエスカレータがある。それを昇ればポートライナーの駅である。



ポートライナーでは医療センターで下車する。



改札を出て左へ行くと路面に矢印があり、迷うことはない。

阪急と阪神は分かりやすいが、JRが最も不親切のように思えた。

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この件に関して友の会事務局からの対応とJR西日本から

「ご指摘有り難うございます。改善に務めます。」との回答がありました。

ちょっとしたことが世の中役に立って嬉しく思います。

事務局長 星野

クリスマスカードと年賀状

クリスマスカードと年賀状

今年もクリスマスカードが届いた。イギリスから二通、アメリカら一通である。いずれも、20数年前アメリカに工場を作る仕事で親しくなった間柄である。

日本でいうクリスマスカードは、アメリカではSeason‘s Greetingsと呼ばれている。文面にもMerry Christmasという挨拶は用いない。アメリカは多民族,多宗教の国である。キリスト教に由来するChristmasという言葉は避け、国民の融和を図っている。

下は、先祖がアイルランドから移民できたTheiserさんからの季節の挨拶状である。Christmsの言葉は見られない。

イギリスからの二通にはいずれもChristmasが入っていた。

Shakespear生誕地のStratford upon AvonにすむSavageさんからのカードにはWith Best Wishes for Christmas and the New Yearとかかれていた。アメリカとイギリスではやはり国民性に違いがあるようだ。

ただ共通していることがある。それは封筒の宛名を手書きで書いていることだ。手書きで書くことによって相手のことを思い出だす。今でも自分のことを思い出してくれる人が世界にいるかと思うと嬉しくなる。

年が明けると年賀状が送られてくる。宛名は殆ど印刷されている。自分は今年も10数痛の年賀状を出したが、毎年宛名だけは手書きにしている。(高田 忍)

Xmas card

Xmas card

こんな商売ってあるか ― 競争相手の少ないプリンター

こんな商売ってあるか  

競争相手の少ないプリンター

MG6030

MG6030

3年使ったCanonのMG6030というプリンター複合機が、インク吸収体満杯という理由で使えなくなった。インク代が高いので純正品でなく市販品を使った為であるかもしれない。

キャノン pixus TS6030

キャノン pixus TS6030

修理代が高いので、最近発売されたTS6030 という機種をCanonのオンラインショップで10月20日に購入した。価格は24710円であった。その時、セットで購入したインク代は5583円である。本体価格と消耗品の価格を比べると消耗品の価格が高すぎるように思った。単純な比較はできないが、例えば一台200万円の自動車に対して、少なくとも4~5年は持つタイヤの価格が五分の一の40万円もすることはない。4本で10万円程度である。

 

12月に入って新しく購入したTS6030で、友の会ニュースを印刷することにした。それまでにも会員に情報を届けてきた。印刷のページ数はおよそ1000ページになる。この間、購入したインク代が約40000円、すでに本体価格を飛び越えている。

 

ところが、購入してからちょうど二か月、12月20日に故障した。

 

両面印刷をしていた所、紙詰まりが発生した。背面から詰まった紙を取り除いても再び詰まる。この背面のカバーをはめにくいという難点があった。やむを得ず片面印刷にしたところ、紙送りのローラーの大きな音が出始めた。それも我慢しながら続けたが、最終的には紙をセットしているのに「紙がセットされていない」という意味不明のメッセージが出て動かなくなってしまった。

 

やむをえず、大阪フェスティバルタワーにあるサービスセンターに持ち込んだ。修理は年明けになるという。この時点で友の会ニュースの印刷が終わっていたのは40部。残りの30部は予備として持っていた古い機種のプリンターを使って印刷し、年内に発送することが出来た。

 

Canonという世界的なブランドを持つ会社の製品にしては、あまりにもお粗末だ。自動車であれば購入して二か月で故障すればリコールものである。

 

プリンターの場合本体価格を安く設定して顧客をつかむ。安いだけ、品質や耐久性に手を抜いているのではないか。そして、消耗品で稼ぐ商売をしているようだ。自動車のように世界的な競争相手がいないだけに、このような商売が成り立つのかもしれない。

12/24/2017

 

 

12月22日の日記から

12月22日の日記から


1. 大阪の地下鉄-たった二駅の混雑

星野さんの店に9時過ぎに着くよう家を出て、阪急神戸線に乗った。通勤時間帯で勿論座ることはできなかった。梅田まで僅か10数分のことだから座らなくても我慢はできる。

地下鉄御堂筋線の梅田駅で午前8時半頃ホームへ降りると、停車していた電車には満員で一本見送った。ホームには整列乗車の矢印が大きく書かれている。そこに並んで次の電車を待った。この時間帯は二分ごとにダイヤが組まれている。直ぐに入ってきたで電車は一つ先の中津始発だったのか、乗客は少なく乗り込むことが出来た。しかし、あっという間にすし詰め状態。次の淀屋橋では降りる人と乗る人が同数で込み具合は変わらなかった。ところが次の本町で大半の人が降り、座席も空きが目立った。

難波で乗り換えた千日前線は、これでも通勤時間帯かと疑うほどすいていた。

夕方のテレビで大阪市内にタワーマンションの建設ラッシュを報じていた。働く世代が都心に住むようになれば、地下鉄の混雑は解消するように思った。

それにしても、梅田ー本町間のためにだけ過密ダイヤで地下鉄を運転しているのは無駄のような気がした。他に解決策があればいいのだが・・・

50歳になった頃アメリカ駐在を前にして、淀屋橋にある本社に半年ほど通ったことがある。梅田から淀屋橋まで御堂筋を歩いた。勤め先が淀屋橋や本町近辺にある人の内、何人かが健康のため歩けば解決の糸口になるかもしれない。

2. マイナンバーカードが使えない
一昨年、鳴り物入りで導入されたマイナンバーカード。住基カードや印鑑証明カードが一体化され便利になるという振れ込みであった。


そのマイナンバーカードを使える日がやってきた。印鑑証明を取るためである。


早速、星野さんの店から帰る途中、駅前のダイエーの中にある市民サービスセンターの窓口へ行った。時間は12時半頃で昼休みらしく窓口にはカーテンがかかっていた。一人だけいた係員に、マイナンバーカードで印鑑証明書を交付できるかと尋ねると、その答えはできないということだった。

これが第一の驚き。昔の印鑑証明カードなら受け付けるとのこと。料金は一枚300円。そこで勧められたのが、近くのコンビニで。そこならマイナンバーカードが使え、しかも料金は200円。これが第二の驚き。


コンビニへ行くと、多機能の複写機が置かれていて行政サービスをタッチし、印鑑証明を選択し必要枚数を入力、コインを入れるとプリントされて出てきた。


市民サービスセンターにも同じ複写機を入れれば職員も削減できるし、昼休みでも市民が利用できる。
「コンビニへ行ってください」との応対だけで仕事したような気になっているようだ。お役所の仕事とはこんなことかと、感心するやらあきれるやらの一日でした。

夙川サービスセンター

夙川サービスセンター

 

ローソン複写機

ローソン複写機

12月15日早朝の空 

12月15日早朝の空

 

12月15日午前6時頃南東の空の写真です。左は月、右の点は木星です。露出時間を15秒に設定したため、月が三日月のように見えますが、この間に移動したためです。実際は爪のように細い月でした。

写真には写っていませんが、月の左上には火星が赤く輝いていました。

12月15日6時東の空

12月15日6時東の空

(髙田)