クルーズ船の思い出


空からダイヤモンド・プリンセス号
2月5日に行われた「関東会員の集い」と「なるほど、ザ再生医療」のシンポジウムに参加するため、大阪からJALで羽田へ向かった。冬の太平洋側は天気が良く富士山の写真を撮ろうと思い、左の窓側の席を予約していた。三浦半島を過ぎると左に旋回、東京湾を北上した。着陸態勢に入った時、富士山が美しい姿で見えた。良く見ると左下にクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が写っている。
翌日、大阪に戻り自宅へ帰る途中、学生時代同じのクラスの友人であるTさんから電話があった。「どこからかけていると思う?」「もしかしてクルーズ船?」と会話を交わした。多くの感染者が出て、前日に船室に隔離する処置がとられていた。
Tさん夫妻は幸い陰性と判定され、2月19日に下船して自宅に戻ったというメールが届いた。折り返し、写真を送ると次のような返事が返ってきた。
「2月3日の夜、予定を半日早めて横浜港に入港したのですが、4日の夜は外海で汚水処理、海水から真水を作るために横浜を出港して、5日の午前中に戻ってきました。GOOD TIMINGでしたね。ではまた。」

着陸態勢時見えた富士山とダイヤモンド・プリンセス号

着陸態勢時見えた富士山とダイヤモンド・プリンセス号

横浜港を漂うクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号

横浜港を漂うクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号

クルーズ船「飛鳥」にて
Tさん夫妻とクルーズ船で偶然、出会ったことがある。2017年9月のことである。金沢港から苫小牧港まで航行するクルーズ船「飛鳥」の船内であった。乗船し暫くすると、デッキで避難訓練の説明が行われた。集まった乗客の顔を見渡すと、そこには見覚えの顔があった。Tさん夫妻である。二泊三日の船旅で、食事やアトラクションを一緒に楽しんだことを思い出す。
写真は金沢港での乗船風景である。

金沢港での乗船風景

金沢港での乗船風景



出港すると乗客にテープが配られ、見送りに来た人と別れを惜しむ風景が見られる。五色のテープで美しい光景である。

五色のテープで美しい光景

五色のテープで美しい光景

船室は窓のある部屋であった。狭いが机なども備えられていた。TVも備えられていた。風呂については記憶がない。

船室は窓のある部屋

船室は窓のある部屋


出港すると間もなく日が暮れた。日本海に沈み行く夕陽がきれいであった。

日本海に沈み行く夕陽

日本海に沈み行く夕陽



苫小牧港に着くと、バスに乗り阿寒湖や知床半島を巡った。帰りは新千歳空港から関西空港行きの飛行機であった。到着時間が遅く、空港前のホテルに泊まった。

サンフラワー号(2017年5月)で九州へ
同じ年の5月には、九州の宮崎と鹿児島を旅行した。大阪南港からサンフラワー号というフェリーに乗った。出港すると大阪湾を南下し、四国沖の太平洋に出た。

サンフラワー号(2017年5月)志布志行

サンフラワー号(2017年5月)志布志行


室内に風呂はなく大浴場を利用した。食事は夕食、朝食ともバイキング形式であった。窓側の部屋で、外の景色も見えたので狭さを感じることはなかった。

窓側の部屋

窓側の部屋

鹿児島の志布志港に到着するとバスが待っていた。乗車口に貼られた座席表の名前を見て驚いた。私の旧姓「仁賀」という人の名前がある。この名字は生まれ故郷の滋賀県にだけしかない。琵琶湖西岸に近江の厳島神社ともいわれる白髭神社がある。湖に鳥居があることからそのように言われている。この神社を挟んで街道沿いに南と北に二つの村がある。この二つの村にしかない名字である。
宮崎の日向海岸近くのレストランでの昼食の時に「もしかして滋賀県の出身ですか」と尋ねると、予想した通りであった。南の村の生まれで中学校を卒業すると大阪へ働きに出たという。
この人は興味深い話をしてくれた。中国に旅行した時、名前の漢字を見て大変喜ばれたという。「仁」といい、「賀」といい、いずれも良い意味の漢字だからである。
この旅行では霧島温泉と指宿温泉に宿泊した。帰りは鹿児島から九州新幹線、山陽新幹線に乗った。

オスロからコペンハーゲン(2016年7月)
初めてクルーズ船に乗ったのは、その前の年に北欧に旅行した時である。関空からフィンランド航空に乗った。フィンランドの首都ヘルシンキへは9時間で着く。他の都市より短時間で行けるので便利である。その日の内に、スウェーデンのストックホルムに着いた。宮殿やノーベル賞授賞式会場を見学、再び飛行機に乗りノルウェーへ移動、フィヨルドを観光船で巡った。

ノーベル賞授賞式会場

ノーベル賞授賞式会場

フィヨルド

フィヨルド

クルーズ船に乗ったのはノルウェーのオスロ港からデンマークのコペンハーゲンであった。日記には「2段ベッドと聞いていたが、四つあり窮屈さを感じることはなかった。」と記録している。

ノルウェーのオスロ港からデンマークのコペンハーゲン

ノルウェーのオスロ港からデンマークのコペンハーゲン


この時も北海に沈み行く夕陽の写真を撮った。スウェーデンとノルウェーはEU加盟国だが、通貨はユーロでなく独自の通貨である。お金が少し残ったので、船内でシャツと靴下を買った。

北海に沈み行く夕陽

北海に沈み行く夕陽

コペンハーゲンの港に着くと人魚の像があった。洋上の風力発電も印象的であった。

コペンハーゲン港 人魚の像

コペンハーゲン港 人魚の像

洋上の風力発電

洋上の風力発電

 

エーゲ海(2018年9月)
2018年の9月、トルコとギリシャへの旅行を計画した。9月4日の台風21号で関空への連絡橋が壊れたためルートが変更になった。出発は関空から成田に変更された。新大阪から新幹線で品川まで行き、成田エキスプレスに乗り換えた。飛行機もタイのバンコック経由となり、ドバイで乗り継ぎトルコのインスタンブールという長旅であった。

トルコ・カッパドキア

トルコ・カッパドキア

ギリシャ・アテネのパルテノン神殿

ギリシャ・アテネのパルテノン神殿

 

バスによるトルコ国内の観光を終え、ギリシャへはエーゲ海の船旅を楽しんだ。三つの島に停泊する二泊三日の旅程であった。

ギリシャへエーゲ海の船旅

ギリシャへエーゲ海の船旅

非常に狭い部屋

非常に狭い部屋



部屋は非常に狭かった。椅子もない。もし、このような部屋に二週間も閉じ込められたとすると、ストレスがたまり耐えられないに違いない。
乗船すると、しばらくして日本人スタッフから船内の説明があった。主としてアトラクションの案内であったが、船内には医務室もあるという。ただし医務室が開いているのは午後7時から9時の間である。
ちなみにダイヤモンド・プリンセス号について調べると24時間診察が可能だそうである。飛鳥号は診察時間が決められている。国内海外を問わず健康保険は使えないから、旅行の傷害保険に入るよう勧めている。

北欧の海と違ってエーゲ海は空と海の碧い色が美しかった。ここでも、エーゲ海に沈み行く夕陽が観光スポットになっていた。

空と海の碧い色 エーゲ海

空と海の碧い色 エーゲ海

エーゲ海に沈み行く夕陽

エーゲ海に沈み行く夕陽

クルーズ船の旅は長くて二日が限度だと思う。船内のアトラクションも楽しいものではない。外の景色も大半は海原で次第に飽きてくる。ダイヤモンド・プリンセス号のことを思うと、これからは慎重にならざるを得ない。


(2020,2,24 髙田忍)

あなたとつくる、再生医療の今とこれから

あなたとつくる、再生医療の今とこれから


シンポジウムでは理化学研究所の高橋政代先生が「再生医療のリスクとベネフィット」というタイトルで講演された。リスクとして3点を挙げられた。
1.細胞のリスク(遺伝子)
2.治療のリスク(免疫抑制剤)
3.患者の持つリスク(リスクがあるから様子見するという不作為のリスク)
ベネフィットとして網膜色素変性症患者に対する視細胞の移植を挙げられた。
以下は当日配布された資料の抜粋である。

視機能再生のための複合組織形成技術開発及び臨床応用推進拠点

網膜は目の一番奥にある膜状の組織である。その中にある視細胞は光情報を電気シグナルに変換し、その情報は網膜内の他の細胞を経て脳に伝えられ物を見ている。
網膜は神経網膜とそれを維持するための網膜色素上皮細胞というシート状の組織からなっている。
網膜色素変性は視細胞が編成する疾患、加齢黄斑変性は網膜色素上皮細胞の機能低下により新生血管が生えて視細胞が二次的に変性し視力が低下する。
理化学研究所ではiPS細胞から移植用の視細胞や網膜色素上皮細胞を作り、これらの疾患に移植する技術を開発してきた。加齢黄斑変性に対して網膜色素上皮細胞の移植治療のヒトでの安全性を確認した。
視細胞についても動物実験で光の分らないマウスが移植後に光が分かるようになることを示し、現在ヒトでの臨床研究をはじめようとしている。視細胞と網膜色素上皮細胞はお互い支え合う関係にあり、これらの疾患は進行に伴い視細胞、網膜色素上皮細胞に変性することから最終的にはより広い適応を目指して視細胞と網膜色素上皮細胞の複合シートの移植を目標に研究を進めている。     
 
 
網膜の構造

網膜の構造1

網膜の構造2

網膜の構造2


 

京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授は特別講演で「iPS細胞 進捗と今後の展望」というタイトルで話された。
患者自身の細胞からiPS細胞を作製するのは金と時間がかかるのでストック事業を進めている。現在では、日本人の40%をカバーする遺伝子を持ったiPS細胞がストックされている。

iPS細胞ストック

iPS細胞ストック

計画の概要

計画の概要

 


高田忍(2020,02,10)

関東会員の集い

関東会員の集い


第3回関東会員の集いを2月5日(水)、東京品川駅近くのビルの会議室で開催した。
参加者は4名で初対面であったが、直ぐに打ち解け、昼食の幕の内弁当を食べながら、交流を深めた。
「加齢黄斑変性を予知できるか」「医師との付き合い方」「iPS細胞の再生医療」「運動」など多岐にわたるテーマについて率直な意見交換や情報交換が行われた。

第3回関東会員の集い

第3回関東会員の集い


参加者の一人から文字拡大器が紹介された。下に置いた本の文字が大きくなっていることが分かる。

拡大機

拡大機

株式会社システムギアビジョン クローバー4(39,800円)

富士山とダイヤモンドプリンセス号

富士山とダイヤモンドプリンセス号


2月5日、日本医療研究開発機構の主催による「AMED再生医療公開シンポジウム」に参加するために上京した。会場は品川にあるTKPガーデンシティーであった。
参加申し込みと同時に往復の格安航空券を購入した。冬の太平洋岸は天気が良いので、上空から富士山の写真を撮影しようと考え、行きは左側、帰りは右側の窓側の席を予約した。
伊丹空港を離陸すると急に左旋回をする。かねて撮影したいと思っていた昆陽池(伊丹市)が目に入った。近くにはかつて勤務した工場がある。池には日本列島を模した島がある(画面右下)。

昆陽池(伊丹市)池に日本列島を模した島

昆陽池(伊丹市)池に日本列島を模した島



飛行機はやがて紀伊半島を通過し、名古屋上空に差し掛かった。はるか前方に富士山が浮かんだ。

横浜港上空に美しい富士山

横浜港上空に美しい富士山

伊豆半島を超え三浦半島に差し掛かると左に旋回、東京湾を北上し着陸態勢に入った。横浜港の上空に差しかかった頃、再び美しい富士山が見え何枚も撮影した。数日経って、画面を良く見ると左下に大きな船が写っている。形から見て、クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」であることに気付いた。貴重な写真ではないかと思う。

海上左側にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」

海上左側にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」

翌2月6日も天気が良かった。大阪行きは少し山側の航路を飛ぶ。富士山の火口が見え、その上の方には南アルプスの山々が雪に覆われていた。

富士山の火口の向こうに南アルプスの山々が雪に覆われていた

富士山の火口の向こうに南アルプスの山々が雪に覆われていた



伊丹空港からモノレールに乗り阪急に乗り換えようとした時である。携帯に電話がかかった。

大学時代の友人T君からである。「どこからかけていると思う?」「クルーズ船からでしょう」。彼は一年に何回もクルーズの旅をしている。ニュースを聞きながら「もしかして」の予感が的中した。感染しないで早期に下船できることを祈る。


高田忍(2020,02,10)

ミステリーツアー

ミステリーツアー

 1月14日から二泊三日のミステリーツアーに参加した。ミステリーツアーとは予め目的地が分らないツアーのことをいう。とはいえ、おおよその予想をすることはできる。冬の東北と予想した。
 集合は午前7時5分伊丹空港であった。予想した通り仙台行きのANAに乗った。薄曇りであったが富士山を見ることが出来た。写真は山梨県の上空から撮影したものである。右下に光るのが富士五湖の一つである。富士山の向こうに光っているのは、太平洋である。

富士山

富士山


 仙台空港でバスに乗り換えた。バスは東北自動車道を北へ進み、盛岡ICで一般道に入った。秋田県に入った。行先は田沢湖からさらに北の山中にはいった「乳頭温泉郷にある大釜温泉」であった。廃校になった小学校に温泉があった。

廃校になった小学校に温泉

廃校になった小学校に温泉

 ここから、駒ヶ岳を見ることが出来た。

駒ヶ岳

駒ヶ岳

 温泉に入った後、元来た道を戻り岩手県盛岡市の郊外にある「つなぎ温泉」のホテルに泊まった。
 二日目、バスは7時30分に出発した。再び東北自動車道に入り北上する。鹿角ICで出て、一般道を南下した。この頃、雲一つない天気に変わっていた。田園地帯を通り抜け、やがて山の中に入る。青空を背景にした湯煙の光景は美しかった。

田園地帯

田園地帯

青空を背景にした湯煙の光景

青空を背景にした湯煙の光景

 

 朝から温泉に入った。後生掛温泉という。

後生掛温泉

後生掛温泉

 下山の途中、「死の雪中行軍」で知られる「八甲田山」が見えた。

八甲田山

八甲田山



 昼食は鹿角市内の道の駅で秋田県特産の「きりたんぽ鍋」を食べた。この付近には小坂という町がある。かつて鉱山の栄えた町である。明治時代に建てられた芝居小屋を見学した。従業員とその家族のための娯楽施設である。

芝居小屋

芝居小屋

舞台

舞台


 回り舞台の下に入り、八人がかりで回した。意外と軽く回る

回り舞台

回り舞台


 その後、「瀬戸内寂聴」も訪れたという「新安比温泉」に入った。バスは「当方自動車道」を南下、石川啄木や宮沢賢治の生誕地を通過し、南花巻温泉に宿泊した。結局、この日は四回も温泉に入ったことになる。写真は車窓から見た岩手山である。

岩手山

岩手山



 翌日、花巻空港からJALに乗った。新潟上空と通過し名古屋まで南下、方向を西に替えた。鈴鹿山脈上空から琵琶湖を撮影することが出来た。画面の中ほどの山は観音寺城跡と思われる。琵琶湖の先にはうっすらと比良山系の山が霞んで見える。今年は雪が見られない。

琵琶湖

琵琶湖


 ミステリーツアーとはいえ、過去に何度も通ったことのある道を行ったり来たりする。今回も目新しいものといえば芝居小屋くらいであった。やはり目的地は初めからはっきりわかっていた方が良いいと思う旅であった。

(2020,1,21 髙田 忍)

バルト三国旅行記

バルト三国旅行記

 11月18日から25日までフィンランド、バルト三国、ワルシャワのツアーに参加した。


 Thank You、Hankyuの後呂合わせで39万89百円の往復ビジネスクラスであった。安いだけのことはあった。寒くて暗いという印象しか残らない。そのうえ、早朝にホテルを出発し、数百キロバスで移動、訪問先の町は夕暮れ迫る中を駆け足で回るという物で決して快適という物ではない。食べ物も見た目は悪く味もいまひとつであった。


 それでも見知らぬ土地を訪ねるのは新しい発見があって楽しいものである。


1. バルト三国?


 バルト三国という名前を知っていたとしても、地図上のどこにあるのか。ましてや三つの国の名前をいえる人は少ないのではないだろうか。首都の名前に至ってはなおさらである。隣国の外交官がバルカン三国というくらいだから知名度は低い。


 国の名前を知っていたとしても、北からどのような配置になっているか。


 場所はロシアの西の端、北から五十音順にエストニア、ラトビア、リトアニアと並んでいる。人口は南の方に行くほど多くなる。豊かさは北が豊かで南へ行くほど貧しくなる。エストニアの人口は愛媛県と同じくらい132万人しかない。人種、言葉はエストニアが他の二カ国と異なる。


 三国とも国旗は三色旗、その色に意味を持たせている。ヨーロッパに三色旗の国が多いのは16世紀には国旗を制定していたオランダをまねたといわれている。いずれの国もEUとNATOに加盟し、通貨はユーロである。かつては国境に検問所が設けられてたが、現在は自由に行き来することが出来、検問所の跡が残っている。センゲン条約に加盟しているからである。センゲンとは条約が締結された町の名前に由来する。


 いずれにしても、日本の県くらいの大きさで、一つの国を構成している。ワルシャワのホテルで見たBBC放送の天気予報では登場しない国である。

バルト三国

バルト三国

2. 冬のヨーロッパ


 冬の北ヨーロッパは暗くて寒い。日の出が8時半、日の入りが午後3時半、そのうえ空は毎日雲で覆われていたため、一日中鬱陶しい。
ヘルシンキからエストニアに向かう船、午前10時頃撮影したが曇り空で薄暗い。



 エストニアの首都タリン、旧市街を望む、その先に海がある。


 道路わきの風景は、北から南に進むにつれ少しずつ変わる。エストニアでは白樺林が多く見られたが、次第に赤松の林に変わり、やがて広い野菜畑になる。



 三国を結ぶ道路は直線、片側一車線、暗いので昼間もライトをつけている。

 ようやく明かりが見えたのは杉浦千畝記念館を訪れた5日目、なんだか象徴的。1940年8月にポーランドから押し寄せたユダヤ人がかすかな光を見たのではないだろうか。



 午後1時頃の太陽の高さである。



 冬とはいえ花屋が目立った。ワルシャワ市内ではハボタンの寄せ植えが街路にかざられていた。



 同じワルシャワ市内で、街路樹の普段桜が満開であった。



 冬といえばクリスマス市、広場にツリーが飾られ店が並ぶ。寒さで防寒用の帽子を買った。15ユーロ。

3. ヨーロッパならではのこと


 日本と違う点は、どの小さな町でも城壁で守られていることである。小さな門と城壁がセットになっている。そして広場がある。道は石畳で歩きにくい。

 キリスト教会が沢山ある。プロテスタント系は質素でポルトガルで見た金銀をちりばめるようなことはない。ロシア正教は玉葱型である。十字架の下の方にある月はイスラムを表しジュ、十字軍が勝ったことを意味する。


 水はガス入とガスなしがある。ガス入りはSparkling、ガスなしはStillと表示されている。1.7ユーロ、約200円で日本より高い。


 町で見かけた派手な救急車。クロスした三本の青い線に中に蛇と杖が書かれている。スターオブライフというシンボルマークはアメリカが赤十字と区別するために1973年に考え出したもので、その後世界に広まった。日本の救急車にも使われている。蛇と杖は古代神話に由来する。

4. 杉浦千畝記念館


 杉浦千畝は、ドイツに侵攻されされポーランドから逃れてきたユダヤ人1600人に命のヴィザを発給した。家族を含めると6000人の命が救われた。リトアニアもソ連が侵攻し領事館は退去を求められていた緊迫した状態の中であった。


 ヴィザには滞在期間は拾日限りで敦賀上陸と書かれている。それまで薄暗いヨーロッパであったが、この日は日が出て少し光が見えた。79年前を象徴するようであった。



 記念館の門には「希望の館、命のヴィザ」と書かれている。


 ユダヤ人はこの駅から列車に乗って、シベリヤ経由で敦賀に向かった。シベリヤを通過するのに2週間かかったと館内の説明に書かれていた。

 

5.ワルシャワ

 ポーランドは3回目、ワルシャワは2回目、ほぼ20年ぶりである。当時はソ連の支配から解放されて10年経ちNATOに加盟した年だが、ソ連の雰囲気が色濃く残っていた。目立つ建物といえばスターリンが建てた高い建物であった。他にもごつごつとしたアパートが立ち並んでいた。

 今は文化科学館となっている。30階の展望台に上った。夕方の曇り空で視界はよくなかった。20年も経つとすっかり近代的な街に変わり、高層ビルが林立していた。

 

 

 

 ポーランドといえば、地動説をとなえたコペルニクス、放射線でノーベル賞を二度も受賞したキューリー夫人、作曲家ショパンである。

ショパン博物館には、自筆の楽譜やピアノが展示されていた。

 

ショパン博物館

ショパン博物館

ショパン自筆の楽譜

ショパン自筆の楽譜

ショパン使用のピアノ

ショパン使用のピアノ

 ショパンの心臓が葬られている聖十字架教会。

聖十字架教会

聖十字架教会

 キューリー夫人博物館

キューリー夫人博物館

キューリー夫人博物館

 

 日本語を話すガイドはしきりに蜂起という言葉を口にした。ある時はドイツに、ある時はロシアになった歴史がある。ワルシャワは第二次大戦で壊滅的被害を受けたが、戦後旧市街は瓦礫を集めて修復された。そのため例外的に世界遺産に指定されている。20年前とほとんど変わっていない。

 ここも城壁がある。

 

6.町で見かけた日本語

 フィンランド:ヘルシンキのホテルの隣 北海道寿司

 ヤクザという名前のすし屋(ラトビア)には驚いた。

 同じくラトビアの町の中でみた茶道の文字、何のためかよくわからない。

 現地語に並んで日本語が並んでいる。

教 会の中で、他の外国語に並んで日本語の小さな紙きれの案内が置かれていた。

 リトアニアのリネンの店に八女茶が売られていた。

 ワルシャワ市内の看板、琥珀の店でカタカナでアンバーと書かれていた。

 エストニアの首都タリンの市庁舎前の駐車場。トヨタが三台並んで駐車。日本車はどこでも見かけた。トヨタのタクシーもあった。

 最後はヘルシンキ空港内のラーメン屋。空港の中も日本語の案内表示があった。

 ヘルシンキへは最短ルートで9時間の飛行、便利な空港である。フィンエアー機内のモニターでは機外に付けられたカメラで外の様子が写される。これを見ていると退屈しない。

障害者手帳と交通機関の割引

障害者手帳と交通機関の割引

1.身体障害者手帳申請方法

  (1)市区町村の窓口で「身体障害者診断書・意見書」用紙を受け取る

  (2)病院に「身体障害者診断書・意見書」の記入を依頼する

  (3)市区町村の窓口に必要書類を提出する

  (4)書面等で判定結果が通知される

  (5)通知が届いたら、市区町村役所に行き手帳の交付を受ける

2.さまざまなサービス

  ・医療費の軽減 ・税金の軽減 ・交通機関の割引 ・補装具の交付など

 

3.自動券売機について

 障害者用の切符を自動券売機買う時、統一されておらず鉄道各社によって,押すボタンが異なります。

 関西の私鉄各社は「障害者マーク」です。

 近鉄は左に「障害者割引」の文字があります。京阪は障害者マークの下に「わりびき」 の文字です。大阪メトロは「福祉」の表示です。

近鉄

近鉄

京阪

京阪

阪急

阪急

大阪メトロ

大阪メトロ

 

 駅員から尋(たず)ねられた場合は、障害者手帳を見せてください。

 

 JR各社と関東地方の小田急、相鉄、京王、横浜地下鉄のいずれも子供ボタンを押します。  

      

JR西日本

JR西日本

JR東日本

JR東日本

写真は、東京、大阪、京都の会員の方の協力で撮影したものです。

 

 

抗VEGF薬の注射について

 抗VEGF薬の注射について

抗VEGF薬、なぜ注射?

抗VEGF薬の一つであるバイエル薬品のアイリーアは血管内皮増殖因子との優れた結合親和性を持つ薬剤創出目的に、ヒト免疫黒グリン(Ig)G1のFcドメインにヒトVEGF受容体(VEGFR)の細胞外ドメインを結合した「遺伝子組み換え融合糖タンパク質」から作られています。タンパク質は一般的に分子構造が大きいため、点眼では患部に散布できないので注射による投与がされている。

 専門的なことを知りたい方は下記にアクセスしてください。

https://pharma-navi.bayer.jp/omr/online/product_material/EYL_PUG_201808200_153472

 

眼球注射針穿刺位置

角膜輪部(黒目(角膜)と白目(結膜)の境目)から4mm程度の位置です。 ※虹彩根部と網膜を避けた位置。位置は、青マーク箇所あたりとなります。

注射針穿刺位置 正面

注射針穿刺位置 正面

注射の深さ

注射の深さ

注射の深さ

注射薬剤の量

アイリーア薬剤の量は投与液量0.05ml(アイリーア薬物量2mg

注射針の太さ

注射針は30ゲージの注射針が使われる。太さは0.31±0.02mmである。(大体ハガキの紙厚程度の直径)

参考までに採血に使われる注射針は21Gで太さは0.81±0.02mmである。

 

眼科を受診するときの心得

眼科を受診するときの心得

1. 加齢黄斑変性のチェック

加齢黄斑変性は「失明の怖れ」という言葉が枕詞のようにつく眼の病気です。そのため、早期発見早期治療が大切といわれています。早期に発見する方法は、片目で格子状のものを見ることです。一般にはアムスラーチャートで薦められていますが、一般家庭にあるわけではありません。障子の桟や台所のタイルでもチェックできます。

アムスラーチャート

アムスラーチャート

障子

障子

タイル

タイル

 

中央がかすんで見えるとか、障子の桟が歪んで見える場合は加齢黄斑変性の可能性があります。その場合は、直ちに眼科医の診察を受けましょう。

アムスラーチャート見え方

アムスラーチャート見え方

 

2. 眼科医の選定

どこの眼科医で診察と治療を受けるか。眼科医を選ぶにあたっては、インターネットで「加齢黄斑変性症の治療件数」で検索し、通院に便利な病院を選ぶ方法があります。あるいは、とりあえず近くの眼科医を訪ね、検査設備の整った病院を紹介してもらう方法もあります。ただし、白内障の治療件数などの実績の宣伝をしているところは避けた方がいいと思います。混雑していて待ち時間が長い所があります。

3.眼科医を受診する時

眼科医を訪ねるときは車を避け、公共交通機関を利用しましょう。出来れば家族の付き添いがあると安心です。なぜなら、受診した日に抗VEGF薬の注射をした後、眼帯をしなければならいからです。注射しない場合でも、検査のために瞳孔を開く眼薬を点すからです。

医師には、いつ頃からどのような症状(見え方)であったかをまとめておき的確に伝えることが大切です。

医師の患者に対する持ち時間は限られており、診察の時思い出しながら伝えるのでなく事前に伝えたい現在の症状など整理の上メモ書きしすべて的確に伝える患者側の努力がよりよい治療を受ける手立てになります。

4.検査について

医師が加齢黄斑変性の疑いがあると判断したときは、視力検査と眼圧検査の後に眼底検査、蛍光眼底造影、光干渉断層計検査などを行います。

視力検査は、誰でも経験があります。丸い輪のどの部分が空いているかを見えた通り答える自覚検査です。上下、左右で答えます。判断しにくい場合でも、一瞬目をつぶり開けた時に分かることがあります(涙が不足すると見えにくくなるため涙を補う)。リングがぼやけて見えていても大体空いている方向が分かればそれを答えます。視力検査の後、瞳孔を開く眼薬(散瞳剤)が点眼され、お薬が効くおおよそ20分後に眼底検査が行われます。

ランドルト環

ランドルト環

(1)眼底検査

眼底検査は赤い点を見つめながら行われます。かなりまぶしい検査です。瞬きしないようにと注意をされます。この検査では網膜の状態、特に黄斑を見ます。出血や血液中の水分が漏れて溜まっていないか、網膜がむくんでいないか、それらの原因になっている脈絡膜新生血管がないか、などを調べます。ただし眼底検査だけでは、新生血管の位置、大きさ、活動性を確定することはできません。

(2)蛍光眼底検査

診断確定と治療方針を決めるためには、蛍光眼底造影がとても大切です。造影剤を腕の静脈から注射し、造影剤が血液中を流れて眼内の新生血管に入ったときに写真を撮り、新生血管の位置や大きさ、活動性を調べます。造影剤にアレルギーがあったり、血圧が高いなど、造影剤が好ましくない病気がある場合には、この検査はできません。

そのため、承諾書にサインを求められます。

(3)OCT(光干渉断層計)検査

OCT(光干渉断層計)検査は赤い縦と横の線を見つめます。線は点滅しますが、多少の瞬きは問題ないようです。これは、眼底の断面を調べる断層検査です。新生血管の有無や形、大きさ、新生血管と中心窩との位置関係、網膜のむくみなどもわかります。数分で検査でき、造影剤も使いません。

萎縮型は進行がゆっくりで、治療法がないので、蛍光眼底造影や光干渉断層計を行わないこともあります。

5.治療方法

「萎縮型」の治療

治療は必要ないといわれています。ただし、「滲出型」に移行して急激に視力が低下することがあるので、定期的な検診が必要です。

「滲出型」の治療

抗VEGF療法という新生血管を沈静化させる薬を硝子体内に注射する方法が一般的です。

眼球注射の場面

駐車しているところ

注射針穿刺位置 正面

注射針穿刺位置 正面

注射の深さ

注射の深さ

抗VEGF薬にはノバルティスファーマ社の「ルセンティス」とバイエル薬品の「アイリーア」があります。医療費はアイリーアの方が少し安いようです。医師はいずれかを選択して治療しますが、その理由を聞きましょう。

どんな病気でも、自分の病気の状態をよく知ることが大切です。内科で血液検査を受けたらそのデータをもらいます。それと同じように、眼科で検査を受けたら、眼底写真や断層写真をもらい、アルバムに貼っておくと症状の経過や治療の効果が確認できます。写真は医療機関によって有料のところもありますが。それほど高いものではありません。

カラー写真が眼底写真で、モノクロが断層写真です。眼底写真では、赤い部分が減っていることが一目瞭然で分かります。医師によっては、赤い部分や青い部分の質問をすると親切に説明してくれることがあります。医師とは、対等の立場で積極的に質問し納得した治療を受けたいものです。

OCT(光干渉断層計)検査

OCT(光干渉断層計)検査1

OCT(光干渉断層計)検査2

OCT(光干渉断層計)検査2

その他にも、光に反応する薬剤を体内に注射し、それが新生血管に到達したときに弱いレーザーを照射し新生血管を破壊する「光線力学的療法」、新生血管をレーザーで焼く「光凝固法」などの新生血管を破壊することで黄斑へのダメージを食い止める外科的治療もあります。

光線力学療法の場合は、一泊入院の治療になるようです。抗VEGF薬の注射と光線力学療法が併用される場合もあります。

 

先進的な治療法としてiPS細胞の臨床研究が行われています。2019年4月に、理化学研究所で2017年から行われてきた5人の患者に対する臨床研究で安全性が確認されたとの発表がありました。実用化の日が来ることが期待されています。

iPS細胞治療原理

iPS細胞治療原理

6.診察と治療を終えて

抗VEGF薬の医療費は3割負担の場合、4万数千円、一割負担は一万数千円です。光線力学的療法の場合は十数万円かかります。

ただし高齢者の場合、高額療養費の自己負担限度額が定められています。必ずしも上記の額を窓口で支払うわけではありません。2019年8月の場合、一割負担の一般の人は、個人で18000円、所帯全体で57600円です。

領収書は必ず保管しておきましょう。一年間に支払った医療費が10万円を超える場合、確定申告すれば医療費控除の対象になります。タクシー代も控除対象になる場合があります。

抗VEGF薬の注射をした場合は、眼帯を付けるので足元が見えにくく、家族の付き添いがあると助かります。眼帯は翌日の朝まで着用し、感染予防のため三日間目薬を点します。

7.最後に

タバコは絶対に避けましょう。食べ物は緑黄色野菜を食べるとよいといわれています。これらにはルテインという成分が含まれています。黄斑部にあるルテインは、抗酸化作用やブルーライトの光を吸収するフィルターとなって私たちの目を守っています。

緑黄色野菜

緑黄色野菜

サプリメント(栄養補助食品)も、個人差がありますが効果があるといわれています。食物だけでは十分なルテインを摂取することが出来ません。これを補うために、サプリメントを飲んだ人は、飲んでいない人よりも加齢黄斑変性の発症率が少なく、病気の進行も25%抑えられたという報告があります。

(2019,11,11 髙田 忍)

かいま見た中国

かいま見た中国


8月30日から9月4日まで初めて中国を旅行した。目的地は武陵源と桂林である。5泊6日であったが移動日が3日もある駆け足の旅であった。初日はCathay Pacificで関西空港から香港経由長沙まで飛んだ。直行便であれば4時間で行けるが、経由地での長い待ち時間があり9時間20分かかった。自宅からホテルまでは12時間以上となる。欧米に行くのとあまり変わらない。観光地は2日と3日目が武陵源、5日目が桂林であった。この間、感じたことを写真とともにまとめることにした。


1. 中国という国
人口は14億人、面積は日本の25倍もある。台湾を含む23の省の他に、チベットなど少数民族の自治区が5つある。一番人口が多い都市は重慶市で3050万人、次いで上海が2420万人、首都の北京は2150万人と続く。


2. 武陵源
武陵源は湖南省にある。湖南とは洞庭湖の南にあることから名づけられた。洞庭湖は琵琶湖の4倍程度の大きさで、広い中国の地図では、どこにあるのか見つけにくい。上海の西南西、香港の北を結んだ線が交差した辺りにある。洞庭湖から流れ出た水は長江(揚子江)に流れ出る。長江は北上し、やがて東に向きを変え上海にそそぐ。毛沢東はこの湖南省で生まれた。詩人李白も訪れている。
観光の一日目はテレビでも報じられたこともあるガラスの橋のある天門山である。荷物検査の後、パスポートの名前入りに入場券を照合を受けてロープウェイに乗るまでに約一時間、さらに30分以上もかかる長い(7455m)ロープウェイで山頂付近まで行く。中国の奥地だから標高も高いと思ったが、1000m程度であった。



ガラスの橋を渡る時は、傷がつかないよう靴にカバーをした。

 

ガラスの橋

ガラスの橋

      
下山は何度も長いエスカレーターに乗り換えた。そこには天門洞がある。さらにエスカレーターに乗ることもできたが、景色が見えるとの添乗員とガイドの勧めで、999段の階段を下りた。しかし、階段の幅が狭く足元を見ないで降りることは出来なかった。その上踊り場がないので休むこともできず一苦労であった。途中、振り返ると巨大な洞穴、天門洞が見える。

長いエスカレーター

長いエスカレーター  

999段の階段、後方は天門洞

999段の階段、後方は天門洞


さらにシャトルバスに乗り換え、曲がりくねった道を猛スピードで町に下りた。

翌日は袁家界や天子山風景区をハイキングした。階段の昇り降りが多く疲れた。スティックを持って行けば良かったと悔やまれる。

360メートルの三菱製エレベーターで下山した。観光客を呼び寄せるためとはいえ、世界遺産にこのような人工物を設置するのがいいのか疑問に思った

エレベータ(岩山の四角い物)

エレベータ(岩山の四角い物)


3. 桂林
桂林は広西省チワン自治区にある。湖南省の南西、香港の北西方向にある。ベトナムに近い。
約3時間半の漓江川下りを楽しんだ。沿岸の特徴のある山には名前が付けられている。九頭の馬が見える岩山には「九馬画」と名づけられていた。かなりこじつけであった。似たような景色がどこまでも続いた。途中、水上生活者の村などを通過した。

川下り

川下り

九馬画

九馬画

水上生活者の村

水上生活者の村

                    
4. 鉄道と道路
長沙から桂林迄は中国高速鉄道に乗った。現地ガイドは高速鉄道のことを新幹線と称した。日本の技術によることを認めているようであった。乗車賃は三時間半の距離を二等車で179.5元(約3000円)と極めて安い。
広い待合室には優先座席が置かれている。何本もあるホームへは飛行機と同じように発車時間に近づくまで入れない。飛行機の優先搭乗のように優先改札が認められ、その中には軍人が含まれていた。軍人は災害時などに役に立つ人という説明であった。

広いコンコース

広いコンコース

愛心専座(専用座席)

愛心専座(専用座席)

専用通道(老、幼、病、孕、?、軍人)

専用通道(老、幼、病、孕、?、軍人)

      

座席は1列に5席があり番号は1A、1B、通路を挟んでC,D,Eと新幹線と同じである。最高時速304キロを出していた。広い中国で直線の線路を敷くことが出来るからだと思う。

時速304km

時速304km

 

日本の新幹線と異なるのは、乗車券に旅券番号と氏名が記載されること、改札に先立ちパスポートと荷物検査が行われることである。飛行機に搭乗する場合と同じである。ガイドからハサミや爪切りは車内に持ち込むことが許されず没収されると聞いていた。直ぐに取り出せるようショルダーバッグに入れていたが検出されず通過できた。
乗客の中に召集された兵士が赤い大きなリボンを付けて乗っていた。

名前入り乗車券

名前入り乗車券



             招集さ

招集された兵士

招集された兵士

ガイドの説明によると、少数民族が住む地域を発展させるために今後も建設が進められているという。現在の総延長距離は約8万キロである。乗客数が増加しているため、2階の列車を開発中だそうだ。それにしても、すれ違う列車の本数は少なかった。日本のように4分おきに走らせるシステムは出来ていないようだ。

来年開業予定(長沙―張家界)

来年開業予定(長沙―張家界)



5. 道路
中国の自動車販売台数は最近伸びが鈍っているが、2019年2800万台の販売が予想されている。アメリカより多い世界最大の自動車国である。自動車が多いため高速道路が整備され、分離帯には百日紅などの木が植えられている。

日本車も多く見かけた。故障しないため人気があるそうだ。写真はサービスエーリアの駐車場で撮影した。前の2台、その後方の2台も日本車であった。


高速道路の案内標識は中国語と英語の表記がされていた。英語の場合、日本では固有名詞の後に、例えば「橋」のことを「Hashi」とローマ字で書かれていることが多い。中国では「Bridge」となっていて外国人にとって、親切な表記である。日本と同じように車間を表す0m、50m、100mの標識があった。もしかすると日本の仕組みを採用したのかもしれない。運転マナーはウィンカーを出さないで急に車線変更し、車間距離も短い。その注意の看板が目についた。

短い車間距離 

短い車間距離

追尾危険 保持車間

追尾危険 保持車間

長沙は湖南省の州都で人口は950万人である。経済が豊かな都市であるためかバイクはあまり見かけなかった。
ウィンカーを出さないで頻繁に車線変更する車があり運転マナーは良くない。バスの運転手は追い越しの時、警報音を出して知らせていたが煩く感じた。
しかし広西チワン自治区の少数民族が多く住む桂林では、経済格差がありバイクが群れを成して走っていた。車道は自動車とバイクは分離されている。環境保護のためほとんどが電動バイクだそうだ。中には後ろに子供、前に赤ん坊を抱きかかえて3人乗りのバイクを見かけた。ヘルメットの着用は義務付けられていないようだ。



       

群れをなすバイク

群れをなすバイク

三人乗り(男性、子供、女性)

三人乗り(男性、子供、女性)

6. ホテル
5泊の内、長沙で一泊、武陵源のある張家界と桂林でそれぞれ2泊した。いずれも高級ホテルで快適に過ごすことが出来た。施設は威容を誇るように大きなものであった。

広いロビー

広いロビー         

充電用アダプター

充電用アダプター


外国を旅行して困ることの一つがバッテッリーの充電である。国によってコンセントの形状が異なるので、色々な種類のアダプターを携行する必要がある。しかし、中国ではどのホテルでも複数の種類の差し込み口や写真のような延長コードが置かれていた。
部屋のテレビは、中国製はなく韓国やヨーロッパのPhilip製であった。トイレ、風呂は日本のTOTO製であった。どのホテルにも体重計とペットボトルの水が置かれていた。
普通、机の中には聖書が置かれていることが多いが、張家界のホテルには赤い表紙の中華人民共和国憲法が置かれていた。
桂林のホテルではロビーを会場にして結婚式の披露宴が行われていた。招待客の服装は、親族以外は平服でもよく、中にはTシャツに半ズボンの男性やジーンズ姿の女性がいた。職場から駆け付けるためだとのガイドの説明であった。

結婚式披露宴会場

結婚式披露宴会場


7.食事
ツアーの参加者は60歳以上の8名で、一つのテーブルを囲んで中華料理を食べることが多かった。地域によって料理には特徴があるという。土家族の住む張家界ではお椀にご飯とスープを入れる猫飯であった。桂林では米の粉で作ったビーフンが特徴である。ビーフンは秦の始皇帝の時代からの伝統料理だという。
張家界の少数民族が経営するレストランでは入り口で歓迎を意味する酒がふるまわれた。テーブルに着くと代表者が店から出された酒を飲み干すことが求められた。
正直のところ、連日の中華料理には飽きてくる。鶏肉や魚は骨付きで食べにくい。日本で中華料理というと炒飯、焼きソバであるが、色々なものを混ぜるのは料理とは言えないそうだ。食器の扱いも荒く欠けているものが多かった。添乗員が持参したふりかけは美味しく頂いた。
ビールの価格は銘柄品の青島、地ビールのいずれも中瓶で30元(約500円)とほぼ日本並みの価格である。統制価格かと思うほど、どこでも同じ価格であった。

プラスチックのビール用コップ

プラスチックのビール用コップ

火鍋料理

火鍋料理

7. 文字
中国は建国後、簡体文字を使うになった。日本の当用漢字のように簡略化された。「国」のように同じ文字を使う場合もあれば、「機」が「机」になっていたりする。しかし、おおよその見当がついた。同じ文字でも「小心」は心が小さいではなく、「気を付けよ」の意味である。英語が併記されているので意味が分る。
入口と出口は日本語と同じである。トイレは「洗手間」「公共ヱ生間」となっていた。「ヱ」は「衛」の簡体字である。関空から乗ったリムジンバスは後方にあるトイレのことを「厠所」としていたが、中国でこの言葉を見かけたことはない。
男女別の英語表記は男性がMale,女性Femaleとしているところが多かった。

 

公共ヱ生間(公衆トイレ)

公共ヱ生間(公衆トイレ)


最終日に宝物の博物館を訪れた。二枚の看板が掛かっていた。前には「藝術」、後方には「藝朮」となっている。日本では「藝」を「芸」に簡略化したが、反対に中国では、難しい「藝」を残し「術」を「朮」にしている。

8. お金と支払い
中国のお金の単位は元である。8月30日の関西空港での両替レートは1元が16.43円であった。人民元安と円高の効果であった。100元、50元、10元のお札が渡された。中国国内で買い物した時、お釣に1元、5元のお札が渡された。日本やアメリカ、ヨーロッパのようにコインがあるのかわからない。
しかし、現在の中国では現金が使われることはなく、ほとんどスマホ決済である。およそ7割の人がスマホで支払っているという。関空行きのリムジンバスの切符を買う時現金で支払い、紙の切符を受け取った。長沙の空港の市内行きのバス停には、行先ごとのQRコードの案内板があった。かなり進んでいるようだ。

行先別QRコード

行先別QRコード


9. 発展する中国
至る所で建物や道路が建設されている光景を見た。すでに経済力は米国に次ぐ世界二位である。ますます発展する力強さを感じた。初めて見た長沙の町は高層建物が立ち並び30年以上前に見たアメリカのニューヨークかと思うほどであった。

長沙のホテル客室から 

長沙のホテル客室から

長沙郊外

長沙郊外

今年で建国70周年になる。至る所に政治スローガンが書かれていた。
一番よく目についたのが社会主義価値観である。富強、民主、文明、和諧
など十二の言葉が並ぶ。小学生が覚えるそうだ。右の富強以下の四つは国家、真中の自由以下は社会、最後の愛国以下は公民(国民)の価値観である。国家目標が富強というと明治政府の富国強兵政策を思い出させる。

日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。

日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。


日本は漢字を中国から学んだが、このポスターにある社会主義、自由、平等、公正、法治などは明治時代に中国の留学生が持ち帰ったものである。


10. その反面
発展する中で、環境問題が気になった。毎日、曇り空の日が続いたが、同じ曇りでも日本とは違って、どんよりと靄が掛かっていた。高層ビルの写真からも分かる。
人々は親子の会話でも大声でする。店では売り子がマイクを付けて呼び込む。観光地ではガイドがマイクを使って大きな声で説明をする。とにかく、どこへ行っても騒々しい。
タバコの場所は指定されているが守られていない。トイレは煙草の煙で充満し臭い。高速道路のサービスエーリア(服務区)には下の写真の貼り紙があった。バスの運転手はガソリンスタンドでタバコの吸い殻を捨てた。

ガソリンスタンドで喫煙

ガソリンスタンドで喫煙

禁止吸煙、禁止随地吐痰など

禁止吸煙、禁止随地吐痰など

ガイドに「痰、唾を吐くな」の注意書きを見たというと、これはアフリカから来た人に対するものだとムキになって反論した。それでも、ゴミが散らかっているという印象はなかったが、シェア自転車が沢山放置されている印象を受けた。

中国は革命後10数年を経った頃、革命の成果で、「ハエ一匹いなくなった」とのニュースが伝えられた。それから、70年経った今年、クルーズ船の中でも蠅が飛んでいた。
しかし、国が豊かになると清潔で衛生的な国に発展し、人々のマナーも改善されるのではないかと思う。とはいえ、至る所に政治スローガンが溢れ、行く先々でパスポート、名前入り入場券と荷物検査をされると監視社会を旅行しているようで息苦しい。


11. その他ガイドの説明
長沙では65歳以上には無料のバス乗車券が配布される。老人が空調の効いたバスに乗り一日を過ごす。
以前は、役人に賄賂が必要であったが、今は一掃する運動が行われている。

さいごに桂林の女性ガイド李さんが語った言葉が印象的であった。中国は5千年の歴史がある。10数年間の日本との不幸な歴史に拘っていては、国は発展しない。
髙田 忍(2019,9,8)